概要
赤バスは2000年5月、淀川区・浪速区・城東区・西成区・平野区で試験運行を開始した路線バス。
その名の通り、車体が真っ赤だったことから「赤バス」という名前が付けられた。なんと安易な…
運賃は1乗車大人100円(子供50円)と、一般バスの半額以下であった。
2002年1月に本格運行を開始、2006年3月には市内全24区で運行開始。
となったが、2013年3月に全路線が廃止となってしまった。
このバスは数々の迷要素が多かった。地下鉄の市営モンロー主義と共に、大阪市交通局の黒歴史のひとつとして今でも語り継がれている。
では、何故黒歴史となってしまったのか。
その要因をひとつずつ読み解いていこう。
ダイヤ編成のミス
まず、利便性の悪さが挙げられる。
始発が遅く、終バスが早い。つまり運行時間帯がかなり短かった。下手したら16時台で最終という路線もあった。
ダイヤ間隔もあまり使い物にならず、特に通勤通学用には使えないシロモノであった。
下手したら、少し歩いて一般路線のバス停や鉄道駅に出たほうが早いということもザラにあった。
車両選定のミス
赤バス運行にあたり、大阪市交通局はスウェーデンの「オムニノーバ・テクノロジー社」の『オムニノーバ・マルチライダー』という小型ノンステップバスを導入した。
オムニノーバ社はボルボの子会社。
マルチライダーは、フランスの「ルノー」が製造していた前輪駆動の商用バンの「ルノー・マスター」のシャーシに、オムニノーバ製の自社製造ボディをかぶせたものであった。エンブレムはルノーのままだったことから、ルノー車だと思われることが多かったが実際は違った。
車両価格は新車で1台2000万円程度だった。
故障発生率がとんでもなく高かったのだ。日本製バスの8倍~12倍というとんでもない高さで、運行コストもその結果日本製バスの2倍となってしまった。
とどのつまり、『安物買いの銭失い』となってしまった。
もし、そのようなバスを選ばずに、最初から安価で実績のあるトヨタ・ハイエースコミューターや日産・キャラバンバスを選んでいればこのような事態は避けられたのかもしれない。
その反省か、2012年には小型路線バスとして定評のある「日野・ポンチョ」を導入したが、もう赤バスをやめる腹積もりであったことから車体の色を赤色にオールぺンすることはなく、クリーム色に赤い帯テープを巻いただけのものだった。これなら赤バス廃止後に赤い帯テープを剥がし、緑色の帯テープに張り替えればすぐに他の路線に転用が可能だからである。
そして路線廃止後、黒歴史となったマルチライダーは全車が競売(官公庁オークション)で売却され、一部は中古車屋を経て個人に売却されたほか、長崎県の平戸市で一部が現役で動いているという。
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関連項目
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