高倉天皇
(たかくらてんのう 1161年9月23日~1181年2月6日)とは、第80代天皇である。諱は「憲仁(のりひと)」。
概要
1161年に後白河天皇の第七子として生まれる。母は平清盛の異母妹・平滋子。二条天皇と以仁王は異母兄。
実子の二条天皇との不仲から政治の実権を奪われていた後白河上皇により、二条天皇の死後に歴代最年少で即位した六条天皇が1168年に3歳で退位させられると、新たな天皇として即位した。
色白の美男で、平清盛の娘・平徳子を中宮に迎えて言仁親王(後の安徳天皇)を設け、藤原殖子との間に尊成親王(後の後鳥羽天皇)を設けた。政治の実権は父の後白河法皇が握っていた為、1180年には平清盛の孫にあたる言仁親王に譲位して高倉上皇となった。
平清盛による治承三年の政変が起きて後白河法皇が幽閉されると、自ら院政をはじめて平氏との強固な関係を用いて自身の政治を行いはじめるもまもなく病に倒れ、1181年に数え年21歳の若さでお隠れになられた。
同年には平清盛も亡くなった為、高倉天皇という政治的な後ろ盾と、平清盛というカリスマ的存在を失った平家は盛者必衰の道を進む事になる。
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関連項目
79代 | 80代 | 81代 |
六条天皇(ろくじょうてんのう) 1165~1168 |
高倉天皇(たかくらてんのう) 1168~1180 |
安徳天皇(あんとくてんのう) 1180~1185 |
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