SA-2とはソビエト連邦によって開発された地対空ミサイルである。ガイドラインとも。またその見た目から空飛ぶ電信柱という渾名もある。なおSA-2は西側のつけたNATOコードネームであり、正式な名称はS-75(С-75)というのだが日本含む西側では前者のほうが通りが良い。
概要
SA-1(S-25)[1]
ソ連はまずS-25という地対空ミサイルを完成させ、1954年に実戦配備した。西側では型番が分からないので仮にSA-1と名付けた。最大射高は14000m、水平距離は45kmまで到達した。推進薬はノズル手前で混合すると自動的に着火する液体燃料で、ミサイルを起立させてから注入する。米軍の1トン爆弾にも耐えられる固定陣地に設置された。
ソ連は、米軍が1都市目標に1000機の超重爆を集中させるだろうと予測し、モスクワとレニングラード市の周囲を、市の中心から80kmと45kmの二重丸状に点々と取り巻いてミサイルを設置した。
このSA-1を一層実用的に改良したのが、SA-2(S-75)である。
SA-2(S-75)
時は冷戦真っ盛りの50年代。米ソは互いに核兵器を保有し合い互いに威嚇しあっていた。もし冷戦が熱い戦いとなれば、それら核兵器による応酬が繰り広げられると考えられていた。当時はICBMがなく核爆弾の投射手段といえばB-36のような戦略爆撃機である。第二次世界大戦において日本やドイツを焼いた米軍の戦略爆撃機の能力は明らかであった。というわけで核爆撃機を迎撃するために開発されたのがSA-2である。
53年に開発が決定された時の開発要件としては一つには安価で移動させやすいことが求められた。というのもソ連初の地対空ミサイルシステムSA-1(S-25)は固定式でしかも高価だったのである。純粋なSA-1の後継として固定式のS-50が開発計画も同時期にスタートしたが計画倒れに終わった。
誘導方式はこの時代のSAMとしてはごく標準的なビームライディング方式、すなわち地上に設置された照準用レーダーが目標を常に追い続けミサイル自身はレーダーが発する照準線に乗り続けるようにする方式である。SA-2においては照準用レーダーは「ファンソン」という名で呼ばれるものが使用される。なおロシアでの正式な名称は「RSN-75」というが誰もこちらで言ってくれない。
実戦での活躍はなんといってもU-2撃墜事件という歴史的なイベントにおいて戦果をあげたのはこのSA-2である。MiG-19などの最新鋭迎撃戦闘機が全く手も足も出なかったU-2を叩き落とし、その設計当初の目標だった高々度低速目標への高い能力を示した。しかしベトナム戦争においては低空で高速を飛行するF-105やF-4などの戦闘機のような目標を迎撃することになり低高度迎撃能力の不足を露呈した。特に目標に一定高度以下で降下されるとミサイルが目指す敵機との予想着弾点が地中になるために地面に自分から激突するという弱点が広まると命中率は下がり、低空目標用の誘導モードが急いで導入された。それでもSA-2は敵機に低高度への降下を強要することで従来型の対空砲・機関砲の有効射程に引きずり落とし迎撃率を高めるという隠れた戦果をあげていたことは否定できない。
多くの国に輸出されたSA-2は中東戦争など多くの戦場で活躍し最も実戦経験のあるSAMといえるだろう。
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関連項目
脚注
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