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BWV 140 とは、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ作曲したカンタータ第140番『目覚めよと、われらに呼ばわる物見らの声』Wachet auf, ruft uns die Stimme の作品番号である。邦題は『目覚めよと呼ぶ声が聞こえ』『覚めよと呼ぶあり』等とも訳される。

曖昧さ回避
目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」はこの記事に転送されています。
1996年12月20日イマジニアから発売されたRPGについては「G.O.D 目覚めよと呼ぶ声が聴こえ」を参照してください。

BWV 140 とは、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ作曲したカンタータ第140番『目覚めよと、われらに呼ばわる物見らの声』Wachet auf, ruft uns die Stimme の作品番号である。

概要

邦題は『目覚めよと呼ぶ声が聞こえ』『覚めよと呼ぶあり』等とも訳される。

バッハライプツィヒトーマスカントルをしていた頃に三位一体日後第27日のためのカンタータとして作曲され、1731年11月25日に初演された。

フィリップニコライによって1599年に作曲された同名のコラールを基にしている。

特に有名な第4曲は後にバッハ自身の手によって1746年頃オルガン用に編曲され『シュープラーコラール集』Scbler-Choräle の第1曲 BWV 645 となった。

構成

  1. Wachet auf, ruft uns die Stimme
  2. Er kommt, er kommt
  3. アリア二重唱(ソプラノバス
    Wann kommst du, mein Heil
  4. コラール(テノール
    Zion hört die Wächter singen
  5. レチティーヴォ(バス
    So geh herein zu mir
  6. アリア二重唱(ソプラノバス
    Mein Freund ist mein
  7. Gloria sei dir gesungen

三位一体主日後第27主日

先述したようにこの曲は三位一体日後第27日のために作曲されたのだが、この「三位一体日後第27日」は稀にしか現れない。現存するバッハカンタータ約200作品のうち、三位一体日後第27日のために作曲されたのはこの作品のみである。

(ルターにとって)三位一体日というのは復活イースター春分を過ぎて最初の満月[1][2]を過ぎて最初の日曜日)の8週後の日曜日であり、三位一体日のn週後が三位一体日後第n日となる。しかし降誕祭クリスマス12月25日)の4つ前の日曜日からは待降節アドベンに入るので、三位一体日後第27日が現れるのは復活祭が3月26日以前にある年のみだ。

1700年の改以降バッハの生前にあった三位一体日後第27日は、1704年11月23日バッハ19歳)、1731年11月25日バッハ46歳)、1742年11月25日バッハ57歳)の3回だけである。[3]

この記事を執筆している2023年現在、前回の三位一体日後第27日は2008年11月23日で、次回の三位一体日後第27日は2035年11月25日である。

とはいえ現代においてこの曲は BWV 645 ともども日付を問わず自由演奏されており、むしろその人気から演奏や録音の機会には恵まれているといえよう。

18世紀から27世紀の三位一体主日後第27主日一覧(グレゴリオ暦)

1700年から1775年頃までドイツプロテスタントでは「改良」Verbesserte Kalender とよばれるを用いていたが、この期間について三位一体日後第27日の有や日付に差はい。

18世紀
19世紀
20世紀
21世紀
22世紀
23世紀
24世紀
25世紀
26世紀
27世紀

ピコカキコ

プレイヤー タイトル スレ
18663
Wachet auf,ruft uns die Stimme BWV645 guriguri1(ユーザー記事)#369

関連動画

BWV 140

BWV 645

関連項目

関連リンク

脚注

  1. *バッハが生まれた1685年当時、ドイツプロテスタントユリウスを採用していた。当該地域では改によって1700年2月18日の翌日を1700年3月1日として以降グレゴリオ暦との日差がくなったが、復活祭の日付を天文学的に計算することを選んだ点でカトリックと異なっており、そのため1724年と1744年は復活祭がカトリックより1週かった。バッハが亡くなって四半世紀経った1775年、以後の復活祭の日付をカトリックに合わせることがフリードリヒ大王の要請により決定された。これは、1778年や1798年にプロテスタント復活祭がユダヤ教過越祭ペサハと重なってしまう事態を回避するためであった。(ただし改直後の1700年にも同じ問題が起こっており、その際は復活祭を1週遅らせた結果カトリックと日付が一致している。)
  2. *現在カトリックプロテスタントでは常に3月21日を計算上の春分と定め、「エパクト」と呼ばれる値によって計算上の満月める。正教会でも計算法は同じだが、ユリウスを用いる点で異なる。
  3. *ユリウス時代を含めると1695年11月24日グレゴリオ暦1695年12月4日バッハ10歳)も該当する。
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BWV140

1 ななしのよっしん
2023/03/14(火) 05:45:46 ID: /gmfChG5fo
記事作成お疲れ様です。素晴らしい
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