ED79とは、日本国有鉄道(国鉄)、JR貨物が製作した電気機関車である。
製作までの経緯
時は昭和の末、国鉄の悲願であった青函トンネルの開業が目前に迫る頃。
将来的な新幹線の運転も見越して設計・建設されたトンネル内は、ひとまず在来線規格で整備し、前後区間も含めて交流電化されることになった。
線路が出来れば、もちろんそこを走る車両を用意しなければならない。しかし当時の国鉄はただでさえ予算が無かった上、色々な諸事情もあり簡単に新型車を導入出来ない状態だった。そこで、青函トンネル内を走行する車両は全て他線からの転用で賄われることになる(もともと新幹線までの「つなぎ」のために長期の使用を想定していなかったとも)。
旅客列車の運行体系は特急と快速の組み合わせとし、特急用車両は東北本線から直通運転するため485系を小改造、快速用は各地で余剰となっていた50系客車を改造して投入することに。また寝台列車や貨物列車も運行されるため、それらを牽引する機関車も必要であった。
(後に青函トンネル区間の旅客列車は特急・急行のみの運転となるが、当初快速も運転されたのは青函連絡船が乗車券のみで乗船可能であったためだとか)
ただ、青函トンネル内は最大12パーミルの坂道が延々と続く上、湿度が常に100%の過酷な環境である。さすがに既存の機関車をそのまま走らせるのは問題があったため、ED75をベースに改造が行われることになる。
内容は長大な坂道や高湿の環境、110km/h運転などに対応するために、あらゆる部分を青函トンネル用の特殊仕様にするものであった。
そのため改造元のED75とは大きく異なる特性を持つことになり、新形式「ED79」が付与された。国鉄時代に定められた最後の機関車の形式である。(JR化後に国鉄の形式規則に則って付与されたものにはDD18、DD19がある)
なお、青函トンネルの開業を待たずして国鉄が分割民営化されたため、ED79は全機がJR北海道・青函運転区(現・函館運輸所青函派出所)所属となった(一部民営化後の落成機もある)。
運用開始後
ED79は0番台21両と、一部機能を省略した重連副務機専用の100番台13両が製作され、1988年の海峡線開業とともに客車列車、貨物列車の牽引機としての運転が始まった。
また貨物輸送が予想以上に好調だったことから、翌1989年にはJR貨物が50番台を10両増備している。こちらは改造ではなく新製で、車体も白と水色の貨物カラーに。貨物列車の牽引を前提としているためにJR北海道所属機と一部仕様が異なるが混結は可能で、一応客車の牽引も出来る。
(さらにED76 514が海峡線仕様の551に改造されているが詳細は省略)
その後は2000年に56号機が事故廃車となった以外には特に大きな変化も無かったが、2002年に789系が特急「スーパー白鳥」として投入されたことにより、快速「海峡」の運行が終了。また、貨物運用もEH500への置き換えが進んでいたこともあり、ED79の仕事は一気に減少したため、この年から余剰機の廃車が始まった。
2006年にはJR北海道所属機の定期貨物運用が終了し、100番台が全機運用離脱。0番台も老朽車から順次廃車され、一部は部品取りのために遠く九州へと旅立ったりもした。
しかし、北海道新幹線の開業を待たずして、2015年3月に「トワイライトエクスプレス」が廃止、「北斗星」の定期運転が終了。残る「カシオペア」「はまなす」も新幹線開業に合わせ廃止された。一応、「カシオペア」はクルーズ列車として北海道新幹線開業後も渡道の予定があったが、交流25000Vとなった海峡線を自走出来なくなったED79は仕事を失い(「カシオペアクルーズ」はEH800が牽引)、2016年3月をもって全機が運用を離脱した。
また、50番台は製造から25年程度と(国鉄形式の機関車としては)比較的経年が浅かったが、複電圧対応機関車のEH800が先行投入されたこともあり、2015年5月までに全機が運用を離脱。
海峡線向けの特殊仕様車であることなどから、他線区への転用も行われず、旧鷲別機関区へ回送された後、全機が廃車解体となった。
なお、0番台、50番台ともに保存車は無い。
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