イエリユウとは、1937年生まれの日本の競走馬。鹿毛の牡馬。
まだ写真判定のなかった時代、レース史上初のハナ差で勝利した第9代ダービー馬。
父*トウルヌソル、母山妙、母父*チヤペルブラムプトンという血統。
父と母父はそれぞれ、下総御料牧場の誇る黎明期の日本競馬を牽引した大種牡馬。トウルヌソル×チヤペルブラムプトンという配合はあのクリフジと同じである。母は戦績不詳だが、牝系は小岩井農場にルーツをもつ日本の基礎牝系のひとつ、*フラストレート系。そして2歳上の全兄には1938年のダービー2着馬で翌年の阪神記念(春)勝ち馬タエヤマがいるという、当時における良血の見本のような血統である。
1937年2月20日、下総御料牧場で誕生。480kg台と当時としてはかなり立派な馬格の持ち主だったイエリユウは、石田一オーナーの所有となり、阪神競馬場の石門虎吉厩舎に預けられた。
しかしデビューは遅れ、厩舎所属の末吉清騎手を鞍上にデビューしたのは1940年の5月10日。当時は現2歳戦がなかった時代ではあるが、既に皐月賞(当時のレース名は横浜農林省賞典四歳呼馬)も5日前に終わってしまっており、6月2日のダービーまであと1ヶ月もなかった。
もちろん御料牧場の良血馬だけに大急ぎでダービーを目指し、デビュー戦はアタマ差2着に敗れたが、その2日後の折り返し新馬戦を快勝して勝ち上がり。翌週の優勝戦を3着、さらにその翌週には東上して東京の古馬戦をハナ差2着として、デビューから2週間で関東輸送を挟んで4戦という戦前ならではの過密ローテでどうにかダービーへ間に合わせた。
というわけで迎えた東京優駿競走。皐月賞馬ウアルドマインと、皐月賞4着だった4万円の高額馬テツザクラが人気を分け合い、社台牧場のエステイツが少し離れた3番人気、イエリユウは良血を買われてそこからもう少し離れた4番人気(単勝支持率9.4%)であった。
この日の東京競馬場は快晴の良馬場に恵まれ、5万6000人を超える大観衆が集まった。……のだが、この第9回東京優駿競走は残念ながら映像が残っていない。記録によると、まず12番人気イサムトロフヰがハナを切り、テツザクラとウアルドマインは7、8番手。イエリユウはさらに後方につけた。3コーナーで5番人気ルーネラが早めに先頭に立ち、イエリユウはいつの間にかスルスルと5番手まで上がってくる。直線入口でイエリユウが仕掛けて抜け出しを図り、先行していた9番人気ミナミと13番人気ブームがそれに食らいついて3頭横並びの追い比べに。直線の坂でブームが脱落し、あとはイエリユウとミナミの一騎打ちとなり、2頭がそのまま轡を並べてゴールへとなだれ込んだ。
当時まだ写真判定はなく、3人の決勝判定員が目をかっぽじって見ていたのだそうだが、結果は僅かにハナ差イエリユウの押し切り勝ち。レース史上初のハナ差決着となった。御料牧場と父トウルヌソルはともに5頭目のダービー馬を輩出。関西馬のダービー制覇はヒサトモ以来2頭目となった。末吉騎手はこの遠征が初めての関東での騎乗だったそうである。
……しかしこのダービー、イエリユウが勝ったことよりも、4着以下の誤審騒動の方が有名かもしれない。1着イエリユウ、2着ミナミ、3着ブームまでは問題なく正しかったのだが、当初出た着順は4着キミタカ、5着メイプリーズ、6着テツザクラ。ところが実際のところ、キミタカは24頭立ての最下位で入線していた。キミタカ鞍上の阿部正太郎騎手がおかしいと気付いて指摘した結果、4着テツザクラ、5着イサムトロフヰ、6着ミスコウアに訂正されたという(メイプリーズは16着)。7着までが団子状態でなだれ込む混戦を人の目で判定していたがための凡ミスで、馬券に絡まない4着以下の話だったので大きな混乱にはならなかったものの、栄えあるダービーの珍事として勝ち馬の名前よりこの事件の方が有名になってしまった。
ともあれダービー馬となったイエリユウは、夏休みを経て京都農林省賞典四歳呼馬(現:菊花賞)を目指し10月の阪神で復帰すると、特ハン3着→翌日の古馬戦2着→翌週の4歳ハンデ戦勝利→5日後の古馬優勝戦5着→9日後の古馬戦4着と相変わらずの過密ローテを経て本番に臨んだが、前2走から3戦続けてテツザクラの後塵を拝し4着敗退。
その後、翌週の京都の古馬戦を勝ってから小倉に向かい、特ハン2着→翌日の古馬戦2着→6日後の古馬戦勝利→10日後の古馬優勝戦勝利と相変わらずの過密ローテを走って4歳を終えた。
小倉から阪神に戻って明け5歳となったイエリユウ。当時の古馬の大目標は春秋の帝室御賞典(現:天皇賞)。関西馬の彼の目指すは当然、阪神開催の帝室御賞典(春)……のはずだった。
だが、年が明けたばかりの1月13日。イエリユウは急性脳膜炎を発症、あっけなく世を去った。
そしてデビューから全戦の手綱を取った末吉騎手も、まるで愛馬の後を追うかのように、この年、僅か28歳にして病で夭折。戦後の1957年には石門師も亡くなり、イエリユウの名前はひっそりと競馬史の中に埋もれた。今はただ、戦前のダービー馬の1頭として、その名前が歴代勝ち馬の中に残るのみである。
| *トウルヌソル 1922 鹿毛 |
Gainsborough 1915 鹿毛 |
Bayardo | Bay Ronald |
| Galicia | |||
| Rosedrop | St. Frusquin | ||
| Rosaline | |||
| Soliste 1910 黒鹿毛 |
Prince William | Bill of Portland | |
| La Vierge | |||
| Sees | Chesterfield | ||
| La Goulue | |||
| 山妙 1928 栗毛 FNo.1-b |
*チヤペルブラムプトン 1912 栗毛 |
Beppo | Marco |
| Pitti | |||
| Mesquite | Sainfoin | ||
| St. Silave | |||
| 慶臣 1923 鹿毛 |
*ダイヤモンドウエツデイング | Diamond Jubilee | |
| Wedlock | |||
| グローリヤス | *ルーヂゲーア | ||
| 第三フラストレート |
クロス:St.Frusquin 4×5(9.38%)、St. Simon 5×5×5(9.38%)、Hampton 5×5(6.25%)
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最終更新:2025/12/05(金) 23:00
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