九六式二五粍機銃とは、大日本帝国海軍(日本海軍)が開発・運用した機関砲である。
1936年(皇紀2596年)に制式化・配備され太平洋戦争における主力艦載対空機関砲[1]として運用された。
第1次世界大戦後、各国列強の海軍は航空機の運用を開始し航空母艦も導入されるようになった。
即ち、艦船は従来の水上戦闘+対地戦闘だけでなく対空戦闘にも従事することになったのである。
これに対応する為、当初は従来から装備している艦砲の仰角引き上げと機関銃の増備から遠距離対応+威力に勝る『高角砲』と近距離対応+速射で制圧する『対空機関砲』の二本立てとなった。
そして日本海軍も対空砲の導入に踏み切り、高角砲は比較的早くに国産化に成功したものの対空機銃は海外製の輸入を経てライセンス生産で対応していたがフランス・オチキス社からライセンスを購入して導入したのが本銃である。
本銃は前述の通りフランスのオチキス社の25㎜対空機関砲を改良したものでスペック上では最大射程8㎞、最大射高5㎞とされていたが実際に目標に対して効果を発揮するのは2㎞程度、発射速度は200~130発/分とされているが銃本体1丁に対し弾倉は最後まで15発入りしかなかった。
但しこれは同時期に開発されたボフォース製の25㎜機関砲と射程、発射速度は大差なく1回の使用弾は6発(クリップ式)。と勝っている。
なお、実包には炸薬が仕込まれているため直撃すると炸裂して目標へダメージを増幅する仕掛けになっている。
しかしこれでは突入してくる航空機には心許ないのは明白だが当初は複数の本銃を1銃座に装備=導入当初の連装型銃座からメディア作品でよく見られる3連装型銃座へと進化していったのである。
但し同時に複数の本銃を発射するのではなく交互に発射⇔弾倉装填を繰り返す事で弾幕を形成する方式を採用した。
銃座には直接本銃を操作する2名が左右に分かれて配置され右側が銃座を旋回させ左側が本銃の射撃角度を調整して照準+足側に設置されたペダルを踏んで発砲した。これに最低でも装填手3名が付いた。
更に銃座に付いた照準装置とは別に大型艦向けに複数の銃座を同時に操作して確実に撃破する『九五式射撃指揮装置』も開発されたが機構が複雑で生産が需要に満たなかった上、航空機の進化に伴い開発期と太平洋戦争期では対応速度が追い付かなかった事から扉絵にある単装型が主流となっていく。
なお、大和型戦艦で見られるドーム型の銃座は主砲発射時の爆風・衝撃から本銃の機関部を守るためで乗員の防御用ではなく、追加装備された露天銃座同様、主砲射撃時には艦内への退避が必須だった。
本銃の使用機会が増えてきたのは太平洋戦争中期、即ち日本軍の航空戦力が消耗に追いつかなくなり艦艇が護衛戦闘機抜きで対空戦闘を行うことが常態化してくる時期からである。
運用を重ねていくと本銃の信頼性と弾道性の良さが評価されたが以前から懸念されていた弾数の少なさと発射速度の遅さ、航空機の技術向上に伴って突入速度・運動性向上によって発見が遅れ撃墜・攻撃阻止に失敗する事が多発したのである。
これに対して前述の通り日本は機構上対応速度が遅い連装式銃座より機構が単純で反応速度が速いことに加え省スペースな単装型を中心に本銃を増強=乗員も増員して見張りを増やす事により対空戦闘を効率化することを図ったがそれ以前に制空権を失った状態では高精度なレーダーや近接信管付の砲弾を使っても水上艦は航空機に対して大きく劣勢であることは替えられなかった。
一方で艦船だけでなく地上銃座としても使用され、中国大陸では戦後に接収された本銃の単装型が改造され歩兵砲として用いられた。
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最終更新:2025/12/06(土) 09:00
最終更新:2025/12/06(土) 08:00
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