刑法202条 単語

ケイホウニヒャクニジョウ

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刑法202条とは、同意殺人と自殺関与について定めた条文である。

概要

第202条

 人を教唆exitし若しくは幇助exitして自殺させ、又は人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺した者は、6月以上7年以下の懲役又は禁錮に処する。

刑法より

刑法199条には殺人罪が定められているように、人を殺すことは大変厳しい処罰を以て罰せられる。

ただし、殺人とはいってもミステリーや、刑事ドラマなどでよく描かれるようにその形態は様々である。その中でも、自殺を手助けした場合と、殺して欲しいと依頼を受けて殺めてしまった場合について特別に定めたのがこの条文なのだ。

自殺についてよく刑事罰について話題となったとき、引き合いにだされることのあるこの条文だが、自殺そのものを取り締まるのではなく、あくまでその行為に際して手助けした場合に罰せられるというのが大きなポイントである、

以下、自殺関与と同意殺人についてそれぞれ場合分けをしながら解説する。

自殺関与

そもそもどうして自殺そのものを罰する法律はないのに、その関与は罰せられるのか疑問な人もいるだろう。刑法は基本的に正犯と従犯という考え方があり、正犯で罪の本体を、従犯でその手助け(助)した者を罰する仕組みになっている。

しかし、自殺に限っては、その本体が存在せず、正犯と同等の刑罰に処される教唆罪と従犯の助罪のみが定められているという、しい法の形式ができている。

これについてはに2つの観点から説明される。

自分の生命は自分の選択に基づき自由に処分できるからだよ説(自己決定権説)

憲法13条には、全て民は個人として尊重され、公共の福祉に反しない限り、生命自由、幸福追求の権利を持つという趣旨の、条文が定められている。

つまり、自分の命についてははもちろんのこと、他人にどうこう言われる筋合いはないという意味合いだ。憲法法律法律と呼ばれるように、最高法規の性質を持つため、刑法がそれについて直接制限するような条文を定めることはできない。というロジックである。

しかし当たり前だが、これはあくまで自分で自分を殺める場合にだけ認められるので、それに関与した人については、殺人に準ずる刑法202条で裁かれるという論理になる。

自殺は確かに違法だが、刑罰として処せるほどの事じゃないよ説(責任主義説)

一方で自殺そのものが法に反するものだとした上で、責任や違法性の観点から罰しない根拠を導く説もある。

責任とは自己の行為に関して、善悪を分別して自己の行動を制御するだが、当然の話として自殺をしてしまった場合は死んでいるのだから、善悪を分別するもなにもない。その為、罰しようがないので罪には問わないという論理になる。

違法性の観点からは、そもそも自殺罪が刑法として制定されてないという立法的な事実から、それ以外にも自殺はそもそも罰するほどの非難に値する行為ではないから罰しないという2つの見方がある。

しかし、死んでしまった人をどうすることは出来ないが、自殺を手助けした人については相応の責任があるよね。ということで、刑法202条で裁かれるというに導かれる。

さて、ではどのような場合に自殺関与になるのか。

自殺教唆罪

例えば、他人に対して、自殺の決意を抱かせるような言動や行動を執拗に行った場合などが典例といえる。いわゆるパワハラもこれにあたるのではないかという論調もあるが、2019年三菱電機の社員が自殺した際にパワハラ自殺に至らしめたとして上が自殺教唆で書類送検された事件では、嫌疑不十分で不起訴に終わっている。(以後まもなく遺族とのあいだで和解が成立している)

認められた判例としては、自己の不倫が夫に発覚した後、執拗にそのことで虐待を受け、妻が(死んだほうがマシだ)と、自らをあおって自殺したという事件があった。当初検察は殺人罪の適用をめたが、夫のその暴行がそこまで自由意思を抑圧するものではなかったから、裁判所は自殺教唆を適用したという事例がある(広島高判 昭和29年6月30日)。

この判例にもあるように、自殺教唆の成立には自殺者が自由意思を以て自殺に至ったという事が要件なので、もしこの夫が更に酷い暴行や暴言を加えて、自由意思の余地がないほど追い詰めていた場合は、強要罪やさらに言えば殺人罪が適用された可性がある。

また、意思が薄弱な幼児や、認知症のお年寄りなどに自殺の方法を教えて、既遂(自殺に成功)に至った場合は、自由意思を欠いている為、自殺教唆ではなく、殺人罪が適用される。

自殺幇助罪

例えば、自殺しようとしている人に、による死の場合はその毒薬を、首吊り自殺ならば縄やその場所を提供した場合にあてはまる。具を提供しなくてもその人個人に方法や知識を授けた場合でも適用される可性がある。

自殺教唆との違いは、被害者がその気になっていることと、手法を手助けしていることにある。

判例としては、ネット上の自殺サイトで知り合った2人が、集団自殺を試みようとして、自ら煉炭を用いた集団自殺をしようとしたところ、一人は帰らぬ人となったが、もう一人が生き残ってしまったという事例がある(富山地判 平成17年6月13日)。

また、においては即身仏という棺桶の中に自分を閉じ込め、土中に埋めてもらった後に、瞑想・読経をしながら死を待つ(最終的にはミイラ化した体をる)習が存在したが、あれを現代日本でやると埋めた人が自殺幇助に問われる可性がある。

それ以外にも安楽死許可しているにおいて、医師などが希望者に対して、死に至らしめるを投与した場合などが外形的にはあてはまるだろう。

同意殺人

これは、上記の助や教唆から更に一歩踏み込んで、人から依頼や、依頼を受けてなくてもその承諾を受けた後に殺めた場合に成立する犯罪である。もはや自殺とはいえないので、殺人という類になっている。

基本的に、犯罪というものは、被害者側(というのもヘンだが、便宜的に)の犯罪行為の同意があれば成立しない事が多い。相手方が自らに招き入れた場合は住居侵入罪は成立しないし、定した財産を壊してもいいという同意があれば器物損壊罪も成立しない。自ら、その身体や財産の利益を手放した場合は、その利益を法律が守ってやることはないと考えられているからだ。(当たり前だが、自由意思の上の話である)

しかし、殺人に限っては被害者事前に「殺してくれ!」と頼み込んでいたとしても、実行した人間は罪に問われてしまうのである。生命に限っては、本人のみにしか自由にできないものであり、たとえ依頼されたにしても他人がそれを断ってしまうことは許されないとされているからだ。

自殺幇助罪との区別が難しいところではあるが、法実務上では、加害者が自ら手を下した場合は同意殺人、手はくださず方法を提供したにとどまった場合は自殺幇助になると処理されることが多いようである。

また、条文上では「嘱託を受け、もしくは承諾を受けた」とされているが、前者の場合は嘱託殺人罪、承諾を受けた場合は承諾殺人罪と区別されている。いわば、被害者側の自殺への切迫度に応じて変わると考えれば理解しやすいかもしれない。

イメージとしてはこの程度違いがある。この区別は量刑に相関しており、被害者の死への希望がより鮮明な嘱託殺人のほうが軽くなると考えられている。

また、判例では、この「殺してくれ!」という意思にも、任意かつから出たものでなければならないという要件がついており、奮状態で気が昂ぶっている状態でかつ、他人からの言い返しという状況からでた「死んでやる」という程度の意思では承諾とは認められないとしている。(東京高判 昭和61年5月1日

同意殺人罪と殺人罪では量刑に大きな隔たりがある(同意殺人罪は執行猶予がつく可性が高い一方で、殺人最低でも実刑以上)為、裁判所も慎重にならざるを得ないというところがうかがえる。

また、同意殺人のもう一つ典的な例といえば、切腹時の介錯があてはまるだろう。切腹した後に介錯人が苦しみを終わらせるために、切腹した人間の首を切り落とす行為をすが、当然これも同意殺人である。もし現代で行われれば介錯人は同意殺人の罪に問われることになる。

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