御所巻とは、室町時代に行われた、将軍の邸宅を軍勢が取り囲み、幕政についての要求をする行為である。
「御所」は時代や状況によっては天皇の住まいを指す場合もあるが、ここでは京都にあった室町幕府の将軍の居住地を指す。その将軍の邸宅を武士の軍勢で囲み、要求や異議申し立てをする行為を「御所巻」と呼ぶ。
高師直が行った御所巻が最初にして最も有名。観応の擾乱の序盤で初代将軍の足利尊氏と、実質的に当時の政務の中心を司っていた足利直義に対して行われており、直義配下の奸臣の処罰が求められている。当時、足利直義が尊氏の邸宅(高倉御池)に避難していた。
これ以降にも将軍の邸宅が取り囲まれる、あるいは取り囲もうとした事件は複数発生している[1]。
13代将軍の足利義輝の暗殺(永禄の変)、織田信長による15代将軍の足利義昭の追放についても、最初は御所巻をするつもりだったのではないかとする説もある。ただし永禄の変に関しては「御所巻」は虚偽で本当の目的は最初から将軍暗殺だったともされている。
御所巻においては、将軍の追放や暗殺は本来の目的ではなく、幕政への要求、特に将軍の下にいる有力者の追放を要求する目的で行われるものが多い。永禄の変や織田信長による追放が実際に御所巻、つまり幕政への要求を意図していたかどうかは不明である。
これ以外にも、「御所巻が行われるかもしれない」という噂も何度か京都で流れている。当時の史料にも(一次史料としては2例と少ないながらも)「御所巻」という言葉が記されており、当時から人々には驚きや不安を持って受け止められていた。
ちなみに室町将軍の邸宅の位置は時代を通して1つに定まっていなかったため、御所巻が行われたり将軍が暗殺・追放されたりした場所もその時々で変わっている。将軍の邸宅としては、現在の地下鉄今出川駅・同志社大学周辺の「花の御所」が有名だが、室町時代の途中で造営・廃止されていたり、将軍によっては別の場所に住んでいたりしたため、常に将軍の邸宅が花の御所にあったわけではない。
後世にも「立場が下の者が、要求を通そうとして(武装勢力を伴って)中心地を包囲しようとする」ということを指して、一部で「御所巻」と喩える場合がある。特に2023年にはプリゴジンの乱を指してニュース記事やSNSの一部で使われた。
ただ、それまで「御所巻」は室町時代に関心がある人以外にはそれほど有名な語というわけでもなかった。
おそらく高校までの室町時代の学習では、御所巻が取り上げられることは稀であると考えられる。高校日本史の教科書の掲載数を基準に編纂された山川出版社の日本史用語集にも御所巻は載っていない。
御所巻が含まれる乱・変の多くが高校レベルでは扱われないマイナーなものだったり、有名な乱・変で御所巻が行われていたとしてもそこを飛ばして大筋を説明できてしまったり、仮に取り上げても「御所を取り囲んだ」などの別の言葉で説明できたりすることもあるかと思われる。
なお、令和の世の漫画『逃げ上手の若君』では、189話~191話(単行本22巻)で女性側が「主君を襲ってぐるぐる巻きにして無理やり好きにさせる」という誤った解釈の御所巻も登場する。「少年ジャンプで足利の内紛だけ普通に描いたら連載が持たない!!」ということでこういう描写が入り、無事に票はしっかり取れたようだ。なお、190話では高師直による本来の御所巻も並行して登場する。
ちなみに御所巻という和菓子はないが、「御所羹」という羊羹を指す言葉が一部の辞書のほか本山荻舟『飲食事典
』に掲載されている。薄く輪切りにしたみかんを寒天に入れて作った羊羹とされている。
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最終更新:2025/12/16(火) 10:00
最終更新:2025/12/16(火) 09:00
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