「松浦隆信」(まつら・たかのぶ 1529 ~ 1599)とは、戦国時代の北九州に勢力を築いた水軍・松浦党を率いた海の男であり、平戸藩の礎を築いた戦国大名である。
なお「松浦」と書いて「まつら」と読む。「まつうら」では無い。
「信長の野望 革新」では、高い政治力+水軍特性S+序盤から登場と言う鉄甲船まで開発するのに重要な人物であることから「水神様」と呼ばれる事がある。
また、同じ肥前の大名・龍造寺隆信と名前が同じで政治力が高い為「賢い方の隆信」と言われる事も。
※平戸藩三代目藩主の松浦隆信についてはWikipediaの該当記事参照
の事。
肥前国平戸を拠点とする清和源氏の流れを汲む名族たる松浦氏24代当主・松浦興信の子に生まれる。
肥前北部には、平安時代から勢力を張る土着の武士団・松浦党が存在していたが、根本的には寄せ集めの集団であった。そこで松浦隆信は高いリーダー特性を発揮して松浦党を纏め上げ、南蛮との鉄砲や大砲の密貿易で蓄えた資金力によって戦国大名へと押し上げていった。
平戸でのキリスト教の布教を許可するとポルトガルとの貿易も盛んとなり、松浦隆信の力もあわせて大きくなっていき松浦半島の一大勢力にまでなったのだが、ポルトガル商人が松浦隆信の家臣に惨殺された「宮ノ前騒動」に対する処置に際して、大事なお得意さまであるポルトガル商人に対して誠意ある対応をしなかった事から、ポルトガル商人達を怒らせてしまい、大村純忠の横瀬浦を基地とするようになってしまった。
その後、一度はポルトガル商人の寄港地として復活するものの、再度横瀬浦へとポルトガル商人達が行ってしまった事に腹を立てた松浦隆信はポルトガル船に砲撃を行ってしまい、二度と平戸にはポルトガル商人が来なくなってしまうと言う派目に陥った。
「賢くない方の隆信」こと肥前のクマー龍造寺隆信の勢力拡大に巻き込まれ、家督を嫡男の松浦鎮信に譲るも実権は握り続けた松浦隆信だったが、不安材料だった龍造寺隆信が島津家久に釣り上げられて敗死し、豊臣秀吉の九州征伐に協力した事から所領安堵の沙汰を得、平戸藩へと続く松浦党の隆盛を確定させたのだった。
※その他「松浦隆信」の詳細についてはWikipediaの該当記事
参照の事。
▼「信長の野望 革新PK」地方別武将ランキング 九州編に適正優秀者として登場。
| 政治80台 | 政治70台 | 政治60台 | 政治40台 | ||||
| 84 | 小西行長 | 78 | 松浦鎮信 | 68 | 三浦按針 | 47 | 根津甚八 |
| 82 | 松浦隆信 | 45 | 来島通康 | ||||
| 44 | 九鬼嘉隆 | ||||||
| 政治30台 | 政治20台 | 政治10台 | 政治⑨ | ||||
| 32 | 児玉就方 | 21 | 清水康英 | 19 | 村上武吉 | ⑨ | 梶原景宗 |
| 21 | 乃美宗勝 | 12 | 向井正綱 | ||||
「信長の野望」(PC)シリーズにおける水神・松浦隆信の能力一覧。
| 軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||||
| 戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||||
| 武将風雲録(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | 教養 | - | ||||||
| 覇王伝 | 采配 | 69 | 戦闘 | 58 | 智謀 | 61 | 政治 | 73 | 野望 | 62 | ||||||
| 天翔記 | 戦才 | 124(B) | 智才 | 114(B) | 政才 | 146(A) | 魅力 | 69 | 野望 | 64 | ||||||
| 将星録 | 戦闘 | 58 | 智謀 | 67 | 政治 | 80 | ||||||||||
| 烈風伝 | 采配 | 61 | 戦闘 | 28 | 智謀 | 64 | 政治 | 78 | ||||||||
| 嵐世記 | 采配 | 48 | 智謀 | 55 | 政治 | 71 | 野望 | 82 | ||||||||
| 蒼天録 | 統率 | 47 | 知略 | 55 | 政治 | 75 | ||||||||||
| 天下創世 | 統率 | 47 | 知略 | 55 | 政治 | 75 | 教養 | 65 | ||||||||
| 革新 | 統率 | 58 | 武勇 | 52 | 知略 | 61 | 政治 | 82 | ||||||||
| 天道 | 統率 | 58 | 武勇 | 52 | 知略 | 61 | 政治 | 82 | ||||||||
| 創造 | 統率 | 56 | 武勇 | 56 | 知略 | 61 | 政治 | 77 | ||||||||
| 大志 | 統率 | 55 | 武勇 | 55 | 知略 | 61 | 内政 | 84 | 外政 | 71 | ||||||
掲示板
1 ななしのよっしん
2012/12/30(日) 23:35:10 ID: IPvER/F3db
平戸出身者としては記事があってうれしい限り。
親父が死んだあと、家督を継ぐまで数年あったらしい。
苦労人ですね~。
松浦氏の傑物(←経営者としてのって意味)はこの人と子の法印鎮信だと思う。
松浦静山は文武両道の教養人ってイメージが強いな~。経営者としても立派だと思うけど。
2 ななしのよっしん
2021/03/03(水) 19:07:56 ID: axJH8YEGwD
松浦と龍造寺に挟まれた武雄の領主後藤貴明は両方の「隆信」から養子を貰っていたそうで。
松浦隆信の子の惟明が追放されてから龍造寺隆信の子の家信が来てるので二人が顔を合わせてた訳ではないみたいだけど。
3 ななしのよっしん
2023/05/13(土) 17:56:48 ID: qj1Mwv/BZN
平戸松浦家は元々は分家で、佐世保にいた本家を屈服させてちょっとした下剋上やってたりする。
松浦家は確かに松浦党の流れなんだけど、
水軍にしか能がない扱いになるのはなんか違うよなあって思う。
もっと知略に優れた人のイメージなんだけどな。
余談だけど松浦家の現当主の方と話す機会があった。上品な方だった。
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最終更新:2025/12/06(土) 21:00
最終更新:2025/12/06(土) 21:00
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