柳田聖人 単語

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柳田聖人やなぎしかと)とは、元プロ野球選手である。

概要

1969年5月28日生まれ。宮崎県延岡市出身。

延岡工業高等学校へ進学。エースピッチャーとしても登板する内野手として活躍。3年時には夏の甲子園大会に出場し、3回戦まで勝ち進んでいる。

1987年ドラフト会議にて、南海ホークスから3位名を受け入団。同期入団には吉田豊彦・若井基安・大道典良吉永幸一郎村田勝喜らなど、プロ舞台でも活躍した選手が多い年度である

入団からしばらくは二軍ぐらしが続いた

プロ入り4年1990年アメリカマイナーリーグ野球留学し、現地のマイナーリーグオールスターゲームにも出場。シーズン終盤に帰すると、一軍初昇格を果たし、8試合の出場ながら打率.316記録している。

このままブレイクするかに思われたが、当時のダイエーには柳田と似たタイプの選手が多かったほか、藤本博史など強打の内野手もいたことから一軍定着には至らず。二軍では1992年盗塁王を、1993年には首位打者を獲得するなど、いわゆる『二軍の帝王』のような状態となっていた。

1993年シーズンオフ高野光とのトレードでヤクルトスワローズへ移籍。

1994年にはに代走や守備固めとして53試合に出場したが、翌年1995年は一軍出場しに終わる。同年シーズンオフに、田畑一也佐藤真一とのトレードで、古巣ダイエーに復帰。

1996年、不振を極めた松永浩美に代わり、サードとして起用される事が多く、61試合に出場。だた、打率は.216数字は残せなかった。

1997年内野ユーティリティプレイヤーとして様々なポジションを守り、レギュラーに定着。110試合に出場し、打率.245、1本塁打、30打点と、チームを埋めるバイプレイヤーとして重宝された。

1998年、自身初の開幕スタメンを勝ち取ると、小久保裕紀不祥事と故障で離脱している間はサードのスタメンとして出場。にはオールスターゲームにも初出場を果たし、キャリア最多の124試合に出場し、打率.251、35打点記録

1999年セカンド浜名千広との併用を中心に、小久保指名打者で出場する際にはサードとしても起用。121試合に出場し、打率.265、1本塁打、29打点記録し、ダイエー球団初のパ・リーグ制覇・日本一に大きく貢献した。

2000年鳥越裕介本間満の台頭もあり出場機会が大幅に減少。打率も.128と苦しんだ。

2001年、一軍出場しに終わり、シーズン終了後に戦力外通告を受け、同年限りで現役を引退した。

引退後、ダイエーや、徳島インディゴソックスロッテジャイアンツ香川オリーブガイナーズなどでコーチを務め、コーチを務めていない間には解説者として活動。

2009年を最後に解説者としての活動を終え、現在スポーツ用品店「スポーツオーソリティ」に勤務している。 

人物・エピソード

内野ならどこでも守れる器用さを武器に、チームを埋めた名脇役

1998年オールスターゲーム小久保代替選手として出場した際、東尾修監督から「小久保の代わりではないからな」とをかけられている。

通算成績

打撃成績

通算:9年 試合 打席 打数 得点 安打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 出塁率
NPB 555 1425 1233 133 293 3 114 21 82 12 88 17 129 25 .238 .281

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