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的を得る単語

マトヲエル

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的を得る」とは、誤った言葉として、以下のような独自説を述べる人物が現れる特殊な言葉である。

概要

的を射る、正鵠を射る、正鵠を得ると同じく要点をつかむ意味。一時誤用説があったが、学者の間でも誤用ということ自体が誤りであったとされたが、それでも以下のような独自説を唱える人物が現れる程度には紛糾している

以下独自説

的を得る(と正鵠を得る)は誤った言葉である。
それも「日本語の誤用」ではなく「外国語の誤訳」である。
根拠を示す前に、的を得るの正誤の議論歴史及び言葉に限らず学問の知識の解説をしなければいけないだろう。

的を得るの議論の歴史

誕生の経緯は『礼記』の「不失正鵠」であり、それを訓読して「正鵠を失わず」、失うの対義として「正鵠を得る」、正鵠と的は同義であるため「的を得る」と変化した。
だがこれには壮大なる誤謬があり、漢語に詳しい人にとっては噴飯もの以外のなんでもない。
しかし外国語の専門ではない日本語の専門たちは誤謬に気付かず、日本語の専門の中には「的を得るは誤りではない」と唱える者までいた。

ネット上での議論の発端は、2000年代に某予備校の「世界史」の講師が自身のブログで「正鵠を失うだから…」と的を得る肯定日本語の専門と同じ論を展開し、漢語に詳しい人からは相手にされなかったが、漢語の知識を持たない人たちの間では賛否両論であった。
数年後、「的を得るは本来誤りではない」とする個人ブログが現れ、こちらもネットユーザーからは講師と同様の反応があった。
2010年代、そのブログで「辞書の中で的を得るを最初に誤用だとした『三国語辞典』が最新版で誤用を撤回したので、的を得る誤用説は俗説と確定した」と
数か月経ち、東京大学の某准教授ツイッターでそのブログツイートするとく間に拡散した。
現在ではSNSはおろか情報サイトラジオテレビなどの各メディアで上記ブログ及び三の見解が「正しい見解」と扱うようになり、ネット界では常識のようになった。
さらに撤回を決めた編集員の飯間浩明も各メディアでひっぱりだことなっている。

だが学、言語学論理学心理学などの学問の知識を持っている人にとっては「フェイクニュース」と評することしかできないのだ。

「俗説と確定。誤りではない」がフェイクニュースである根拠

そもそも辞書(四字熟語辞典も)は「正しい言葉を載せるための本」ではなく「時代と共に変化していく言葉の後追いをするための本」である。
辞書の編纂理念とは「現在の、日本国内で、多用され、意味が伝わり、定着した言葉を、元々日本語外国語かは視し、本の外の用法等も視し、編集者感で意味などを決め、元来の正誤は視し、それと同時に現在では正しいと定義する訳でもないが載せる」である。
要するに「みんなが使いまくってる言葉を載せるためだけの本」である。
日本で使われている言葉を載せるので「日本に伝来した時点で誤っている外国語」は辞書のではどうしようもない。
また、同一の出版社であろうと編集部が別々であるため、同一の出版社の辞書でも見解が異なっている。

言葉の学問には規範文法と記述文法の概念があり、簡単に言えば正しい言葉と間違いだが使われる言葉をす。
国語辞典(以下三)は記述義を標榜していることで有名である。
さらに説明すると、言葉の学問の学と言語学は名称が似ている(外では全然違う)ため頻繁に混同されるが全くの別物。
学は規範、言語学は記述であり、辞書は言語学の実用書なのだ。
要するに「辞書は言葉の正誤を判断する立場にない」のだ。
記述義ではない辞書も記述に傾いているのは、全ての右翼極右ではなく、左翼の中にも極左ばかりではないことと同じ。
ではなぜ辞書で正誤の記述があるのか?「実用的かどうか」がすべて。
「誤りではない」とするのは「は世間で通用すると思ってるから誤りではないと決めたんだ」としたから。
そもそも言語学には「正用・誤用」の概念が存在せず、「どんな言葉がどのように使われているか」を研究するのみである。
定着した誤りは「変化」と解釈の変更をするのだ。
言語学者は「言葉に正誤はない」と発言するが、正確に言えば「言語学者に正用であるか否か、誤用であるか否かの判断を下すどころか権利もい」のだ。

こういった当然すぎる基礎知識は辞書の前書きでほんの少し触れる程度なのはなぜか?
あなたはパティシエお菓子作り教室で「パティシエ料理できるのはスイーツのみ。寿司ラーメンカレーピザスイーツではないので料理できない」と解説してくれると思っているのだろうか?

言葉の学問に限らず、学問自体にも規範と記述があり、倫理学などの規範学と心理学などの経験科学がそれである。
たとえば論理学は「真理・あるべき姿」を解く規範の学問で、言語学は「事実・あるがままの姿」を調べる経験の学問。
言語学論理的な正当性を見出す学問ではなく、心理学における論理破綻した「世界仮説」のようなものがあろうと何が何でも事実を見出す観測者にするべき学問。
飯間以外の辞書編集者が「この言葉はこうであるという見解」をかに聞かれないかぎりはほとんどしない理由はそこにあり、飯間は「研究対に直接関与することを忌避する言語学ルールスルーする、というかそれ以外にも言語学ルールを台しにする暴挙に出ている」としか言えない。
実際「飯間にが立っていない学者を知らない」というタレコミがある。
 
そして「誤用説は三が元論」を覆す決定的な拠(三以前から誤り論は存在しているので、もうこの時点で怪し過ぎるのだが)、三以外の辞書編集部が「三に追随して見解を決めない」と答えたメール画像などを掲載している個人ブログが存在する。
そのブログには、後述する的を得るが不当である根拠となる外国語の知識もある。
だが心理学をかじった人なら解るだろうが、そのブログは「大衆心理に狙い澄ましたフェイクニュース拡散」に悪戦苦闘していてほとんど拡散されていないのが実情。論飯間にもスルーされている。
もしあなたが的を得るの正誤の議論をするのなら、そのブログを探し当てるほどの精密な情報収集をすべきであろう。
そもそも論理学の知識があれば詭弁・誤謬・レトリックを見破れるじゃん」というツッコミは野暮である。

的を得るが誤りである根拠

漢語の「失」は日本と違って「うしなう/lost」以外に「それる/すべる/はずれる/miss」の意味があり、対義は「える/get」の「得」ではなく「あたる/hit」の「中」。
籍に得正鵠は存在せず(現代中国語得正鵠は逆輸入中国人が言うには意味に違和感いからではなく文法規則に問題がいから。さらに当時は日本ブームだったので大量に逆輸入された)、中正鵠の用例が散見される。
漢文訓読とは翻訳である。日本国大辞典の編集長でさえ認めている。
よって的を射る・正鵠に中る・正鵠をそれずが正当な日本語及び外国語の和訳であり、的を得る・正鵠を得る・正鵠を失わずは外国語の誤訳という結論に導かれる。

弓道や『物語』の「扇の的」で解るように「射る」には当たる意味がある。
「得失」や「得たりや応」は成功失敗、上手くいったときであり、失う/得るにmiss/hitがある訳ではない。
失と得が対になっていない言葉も複数ある。たとえばあなたがこの論に得心していなれば、あなたは失心しながら記事を読むという神業が必須になってしまう。
「的外れ」は18世紀から、「当たらずといえども遠からず」は1810年頃から用例がある。
的を射るは1250年頃から物理的な意味の用例があり、戦前での用例もある。
的を射るが「不失正鵠」とは関係に誕生した可性は十分にある。
それが真実ではなくとも中正鵠を和訳すると的を射るになる。
的を得るは江戸時代での用例がたった一件確認されているが、江戸自体のか昔から正鵠は伝来し、江戸時代に正鵠にまとの振り仮名があることが散見されているので、そこから生したと考えるのが順当で、的を得るが不失正鵠と関係であるとは言い難い。
さらに用例が少なすぎるので正しい言葉として使われたかも疑問。
そして的を射るの方が江戸時代よりかなり昔から使われ、慣用句化した可性は十分にあり、的を得るが一般化していたのなら辞書に載るのが的を射るより遅いのは不自然
そもそも慣用句特定の単の組み合わせでのみ成立する。
なお日中漢字の意味が違うのは、日本人が「この字の意味はこうに違いない!」「既にある字か確認しないで作ろう!」とした結果である。

日本漢字カタカナひらがな・音読・訓読は外国語があったからこそ誕生した。自では誕生していない。
たとえば、ある人が「私が生まれてすぐに生みの親が亡くなったが、育ての親のおかげで『今の私』が存在している。よって元来生みの親がこの世に存在しなくとも『私』はこの世に存在している」と発言したら論理が破綻していると言わざるを得ない。
ゆえに的を得るは「根が間違いであり、本来ならば存在すること自体ありえない」存在である。
もし「外国語の誤訳である的を得る」に誤りではないあるいは「どーでもいい」という結論を出したらどうなるか?
外国人日本語で『ぜぇマジshine』と書いてあるので、『うぜぇマジき』と訳そう。
なぜならば注釈で『きと読んで死○の意味と解釈する』とすればよいのだから。
そして他に渡ったことを由来とする正常な変化として『生きろ』という意味で『かない』という言葉を作ろう。
は?くだらない論理構造だって?
でも日本は不失正鵠を正鵠を失わずに誤訳したあげく的を得るを創造して、それを誤りではないとしてるんだろう?
ならば日本人中国人との筆談で『刺身をくれ。だから処理は不要』と書いて『三文ではないアレ』と解釈されても『誤りではないし、どーでもいい』と一蹴するよねぇ!」
こんなことを言われたらどうやって反論すればよいのだろうか?
もしあなたが「それでも的を得るは誤りではない」とするのなら、論理的思考を鍛えてから行うべきであろう。

「新し(あらたし)」と「惜し(あたらし)」(全く項目と関係ない余談)

忘れてはならないのは、こうした言葉の変動は有史以来続いているということである。

例えば、「新しい」という言葉がある。この読みは「あたらしい」であるが、冷静に考えればおかしな読みである。「新」という字の訓読みは「あらた」であり、本来は「あらたしい」の方が正しいはずである。

実はこのことは、平安時代に既に言葉の乱れとして認識されていた。

実際、古来より「あたらし(惜し)」というがすでに存在し、「もったいない」という意味であった。一方、平安時代以前の「新しい」に該当する言葉は「あらたし(新し)」であった。

ところが、次第に「あらたし(新し)」を「あたらし」表現する者が増え、両者が混同されるようになり、競合の末に「あたらし(惜し)」の方はすっかりれてしまった。「新しい」を「あたらしい」と読むのは、この名残である。

このように、正しい言葉などというものは時代によって変動するのであり、未来永劫正しい表現など存在しないのである。

あらたし」が「あたらし」になるのだから、「なぜ殺たし」が標準になる日も、いつか来るかもしれない。

議論になりそうな語句一覧

  • 役不足」(意味)
  • 「さわり」(意味)
  • 「負けず嫌い」(意味)
  • 「弱冠」(意味)
  • 「情けは人のためならず」(意味)
  • 確信犯(意味)
  • 「奇特」(意味)
  • 「火蓋を切って落とす」(表現)
  • 汚名挽回」(表現)
  • シュミレーション」(表記)
  • 「雰囲気(ふいんき)」(読み
  • 「そのとうり」(表記)
  • 「こんにちわ」(表記)
  • すいません」(表記)

自由に追加してください。)

関連動画

▼「的を得る」が議論になっている動画

関連項目

掲示板

  • 502ななしのよっしん

    2019/06/25(火) 09:40:14 ID: TXYdRO4FAk

    英語の勉強をしたことがあれば、なんとなく理解できることだよな
    英語のIはイではなくエのように発音することが多い
    なぜならそのほうが口にを入れず楽に発音できるからだ
    同じように、的を射るよりも的を得るのほうが言いやすいので人気が出た
    日本語はそもそも漢字に支配されているものではない
    音こそが日本語本質であり、漢字は後付(当て字)されることも多い
    日本語にとっての漢字は補助具のようなものに過ぎないということだ
    「独自説」は意図的に音を視して自分に都合のいい根拠だけを
    並べているので説得のあるとは言えない

  • 503ななしのよっしん

    2019/07/19(金) 21:46:26 ID: 28ewR+nf36

    つまり根底は間違いだが誤りではないってことを言いたいんだな

  • 504ななしのよっしん

    2019/07/31(水) 21:23:19 ID: j1Dq9p7ZTP

    >>478
    >「言い得て妙」(こちらは当てる、うまく捉えるの意)とか、使われている言葉は有りますよ

    それって的を得る以外で名詞に使われた事例とかあるの?

    例えば
    「予想が当たる」を
    「予想を得る」はまぁなんとなく分かるって感じだけど
    に当たる」あるいは「に石が当たる」を
    を得る」は違和感しかないし
    に石が得る」だとしても違和感しかない

    (省略しています。全て読むにはこのリンクをクリック!)

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