高宮和也(たかみや かずや、1981年12月4日-)とは、大阪府岸和田市出身の元プロ野球選手(投手)で、かつて荷物をまとめて横須賀から大阪を経由して鳴尾浜に行った水差し野郎である。
OB | |
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高宮和也 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府岸和田市 |
生年月日 | 1981年12月4日 |
身長 体重 |
173cm 73kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 左投左打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2005年希望入団枠 |
引退 | 2017年 |
経歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
大体大浪商高、徳山大、ホンダ鈴鹿を経て、2005年のドラフト会議において希望入団枠にて横浜ベイスターズに入団。背番号15。
2007年6月24日、横浜スタジアムでのオリックス・バファローズ戦において、場を読めよと言わんばかりのノーツーの挙げ句、タフィ・ローズに2ランホームランを被弾、およそチームに水を差しそのまま荷物をまとめて横須賀に行ったことで知られる。
それ以降滅多に横須賀から帰って来ることがなく、戦力外の噂すら流れていたが、2009年のシーズン終盤にサイドスローに転向して一軍に帰還。2009年10月6日の広島東洋カープ戦では投手のコルビー・ルイスにレフトへの場外ホームランを打たれたりもしたが、貴重な左の中継ぎとして生き残る道を模索した。
2010年3月31日の読売ジャイアンツ戦において、椎野アナが実況している中6回表に登板。一死2、1塁という場面で松本哲也、小笠原道大を無難に打ち取ってみせた。「目立たないんだけども凄くいい仕事をしている」と開口一番に発言していることから、生まれ変わった姿を評価していた。
オフに、山本省吾・喜田剛とのトレードで寺原早人と共に、何の因果か水差しと呼ばれた試合の相手であるオリックス・バファローズへ移籍した。
なお、このトレードにより例の動画に出てきた横浜の選手はほぼ全員いなくなったことになる。
2011年は登板数こそ少なかったが、ほぼフルシーズン一軍に登録され、ムードメーカーとして目には見えないがブルペン陣を裏から支えた。数少ない登板機会ではどんでんに鉄砲玉として送り出されたことがある。オフにはブルペン陣の他薦により大した成績ではないものの球団応援ラジオにゲスト出演した。
2012年は僅か1試合の登板に終わり、オフに平野恵一の人的補償として阪神タイガースへ移籍。
2013年は二軍でチーム最多の35試合に登板。7月25日に一軍で登板するも、1回3失点で即二軍落ち、2年連続1試合のみの登板となった。ちなみに、対右打者には3打数3安打2本塁打、対左打者には3打数0安打と極端な成績であった。
2014年は開幕を二軍で迎えるものの、4月29日に一軍登録される。5月6日の中日ドラゴンズ戦で延長11回裏2死から登板し、代打野本圭を3球で三邪飛に抑えると、チームが12回に逆転し勝利したため、6年ぶり通算4勝目となる今季初勝利をあげた。
2015年は中継ぎとして活躍。チームで3番目の52試合に登板し、35.2回自責点12防御率3.03、2勝0敗8ホールドの成績を残した。しかし、クライマックスシリーズファーストステージ第1戦の10回裏無死一塁で登板すると、阿部慎之助は抑えたが、その後敬遠含む3連続四球で押し出しサヨナラ。水差し野郎の復活となってしまった。
2017年は一軍登板がないまま、10月2日に戦力外通告を受け、現役を引退した。
通算:11年 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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NPB | 194 | 8 | 0 | 0 | 6 | 8 | 0 | 21 | .429 | 189.2 | 67 | 133 | 124 | 116 | 5.50 |
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最終更新:2024/09/19(木) 15:00
最終更新:2024/09/19(木) 15:00
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