MK.1戦車とは、第1次世界大戦中にイギリスが開発した戦車である。
第1次世界大戦中に西部戦線の戦況を打開する新兵器として開発され、現代につながる陸戦の王者『戦車』の文字通り『第1号』となった。
なお、戦車を表す英語『TANK』(本来は水槽の意味)は防諜の為に本車につけられた暗号に由来する。
第1次世界大戦、特に西部戦線ではフランス・パリの手前でドイツ軍が敗退した『マルヌの戦い』以後、双方が塹壕陣地を構築しそれを奪い合う一進一退の攻防が果てしなく続き兵士の命がいたずらに失われた。
この頃、英軍技術士官・スゥイントンが前線視察中、アメリカから輸入された『ホルト・トラクター』に遭遇した。これは既に履帯(キャタピラ)を使うことでタイヤを使った自動車と比較して道路でない荒地を走行することが容易であった。
これに着想を得たスウィントンは履帯を使った車両に火砲と装甲を備えた『陸上戦艦』構想を軍上層部に提出したが地上戦を担当する陸軍は反対する。
ところがそれを後押しする人物がいた。後の英国首相、ウィンストン・チャーチルである。彼は当時海軍大臣であるにも拘らず海軍に『陸上戦艦委員会』を立ち上げ開発を開始したのである。
まず、民生車両をベースにした『リンカン・マシーン』が試作され、それを基に部品を既製品から専用品に換えて性能を向上させた『リトル・ウィリー』が製作される。そしてその経験を反映し構造を変え武装も備えた『ビッグ・ウィリー』へ繋がっていきMK.1戦車は完成した。
本車とその派生型は『菱形戦車』の異名で知られる様に『履帯を巻いた二つの船形の車体の間に乗車部があり、左右に軍艦の如く張り出したスポンソン(張り出し)が付いている』外観をしている。
元々、『リンカン』、『リトル』の時点では現在の戦車や重機の如く横から見れば車体下部に楕円状に履帯が備わっていたがこの形状では平地はともかく傾斜地や塹壕と砲撃後のクレーターが点在している戦場では走り回れないと試験で判断され『ビッグ』からこの形状が採用された。
なお、後についている車輪は方向転換の補助に使われる『舵』の役割を果たすために『リンカン』の時点から引き継がれたものであるが戦闘や移動中に破損することが多かったことから廃止となり、方向転換は左右の履帯を別々に回転させる、曲がりたい方向の履帯を減速させる事が主流となった。
肝心の動力はガソリンエンジンを採用し当初の105馬力から後述のMK.8では300馬力を越えたが重量が当初の28tから最終的に40t近くに達していた事もあり最高時速は10㎞/hを上回る型は現れなかった。
尤も開発目的が『歩兵に随伴して盾となり搭載火器で敵兵を撃破する』事だったため遅さは問題とされなかった[1]。
但しエンジンは長らく乗車部に剥き出しに設置されていたことから排気ガスと熱気に直接乗員が晒された為乗員は自衛策としてガスマスクを装着する事があり化学兵器対策を兼ねていた。
また、最後まで接地した時の衝撃を緩和するサスペンションが採用されることはなかった。
なお車体を上回る広さを持つ塹壕やクレーターに入った場合や泥濘地に入ると擱座する対策として大型の束柴や角材を載せるレールが後に追加されている。
肝心の装甲は最大で16㎜の鋼板を採用したが投入当時は小銃、機関銃は7㎜程度のライフル弾だったためこの程度で充分とされたが段階的に鋼板の材質変更が実施され強度が増している。
そして攻撃面は艦船向けから流用した6ポンド(57㎜)砲をスポンソンに1門づつ備えているが副武装として7㎜台の機関銃を複数装備する[2]。またMK.5までは6ポンド砲を装備した『雄型』と機関銃のみを装備した『雌型』が存在した。
| 形式 | 概説 | 備考 |
| MK.2 |
MK.1の運用実績を元に 履帯の構造を変えハッチ を増設した。 |
|
| MK.3 |
戦車砲を短砲身(40口径⇒23口径)にした以外はMK.2と同様。 | |
| MK.4 |
スポンソンを車内に引き込む 構造にすることで鉄道輸送を 容易にし、燃料タンクを車内 から車体後方外部に装甲を備 えた状態で配置して換気装置 を追加し装甲板にもより強度 の高い鋼板に替えた。 |
1918年に日本に雌型1台が研究用に輸入された。 |
| MK.5 |
変速機、エンジンを換装・ 改良する事で操縦性、機動 力を向上させると共に車長 用キューポラを追加。 |
人員・貨物を輸送できる車体延長型『MK.5*』と よりエンジン出力を 向上させながら実戦に間に合わなかった『MK.5**』 の派生型が存在する。 |
| MK.6 |
アメリカ向けに設計された軽量型。 戦車砲を車体前面に配置し機関銃の大部分を車体上部の戦闘室に移転した。 しかしMK.8開発計画の決定に伴って中止されモックアップだけが遺された。 |
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| Mk.7 |
車体を更に延長し変速機を替えてより機動力向上を狙った。 しかし変速機の製造が遅れた 事により戦争中に完成したの は1両のみという悲運の機体。 |
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| MK.8 |
アメリカ軍の要請に基づき英 米、仏の3ヶ国で生産配備され る予定だった。 車体が大型化した事に加え エンジンも強化された上乗員室と機関室が隔離されたことで居住性が向上していた。 しかし生産準備中に終戦となり アメリカのみの配備となった。 |
アメリカ軍では『リバティ』の愛称が付けられた。 |
| MK.9 |
武装を機関銃1丁のみとし車内 空間を大型化して50人ないし 10tの貨物を輸送するAPC型。 しかし搬出用ハッチが車体真横 にしかない事から戦闘中の下車 が困難だったが戦力化される前に終戦となった。 |
戦後、本車を改造して水陸両用装甲車の試作された。 |
本車が初めて実戦投入されたのは1916年9月から始まった『ソンムの戦い』からである。
予定では49両が投入される筈だったが実際に使用されたのは5両だけで戦局を変える事は出来なかった。
それでも増産と改良が並行して続けられた結果、翌年11月から始まった『カンブレーの戦い』の時点では100両を越える本車が配備されていた。尤もこの戦いでも運用のまずさや故障で有効な戦闘が出来なかった本車が多く中にはドイツ軍に鹵獲されたケースもあった。
そして1918年4月24日、ヴィレ・ブルトヌーにおいて世界初の戦車戦を本車は経験する。
この時は雄型1、雌型2の3台がドイツのA7V1台と交戦し機銃しか持たない雌型2台が撃破されたが雄型が砲でA7Vを撃破した。
この頃には運用経験とそれに伴う改良の結果、車内環境の改善もされたが旋回砲塔を持たず多数の人員を必要とする本車は次第に持て余され1930年代前半には一線を退いた。
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最終更新:2025/12/08(月) 01:00
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