1930年代にアメリカ・カーチス社がアメリカ陸軍航空隊向けに開発したが第2次世界大戦での連合国側勢力でも運用されてヨーロッパ、アジアの空で枢軸国側勢力の航空機と戦った。
総生産機数は1万3738機。
本機はゼロから開発された訳ではなく、空冷エンジンを装備した『P-36』戦闘機のエンジンを液冷エンジンに換装した試作機から始まった機体である。
『P-36』は当時のアメリカ陸軍航空隊(後のアメリカ空軍)保有機の中では比較的近代的な機体ではあったが最高時速が504㎞/hだったのに対し試作型の『XP-40』の時点で550㎞/hを発揮した事から採用・量産が決まりこれに伴って機体構造も見直された上で量産・配備が開始された。
まず、胴体は『P-36』の丸みを帯びた外観に対して本機は液冷エンジンを採用したことから胴体は細長く、特にエンジン部分は先頭部が尖っているのに対し下部のラジエーターが正面からみて筒状になっている事から後のペイントに繋がる。
最高時速は量産開始時点の575㎞/hから最終的に608㎞/hまで向上しているが航続距離は形式によって1200km~2200㎞の間となる。
武装面では当初12.7㎜+7.62mmの2種類の機関銃を胴体、主翼に備えたが後に12.7㎜に統一、主翼に移設+増備して火力の増強を図ると共に航空爆弾も50㎏台1発から最大で200㎏台3発に増強された。
操縦席周りは『P-36』同様、正面・横の視界は良好だが後方は尾部と一体化しているため見づらい欠点があった。
アメリカ軍より先に実戦投入する筈だったのはフランス空軍であったが引き渡し前にフランスがナチス・ドイツの軍門に降ったためイギリス軍が引き取って運用を開始した。
当初は機体が重く運動性が低かった事からBf109に後れを取ったが改良型が投入されると十分に渡りあう事が出来、終戦まで運用が行われ初期型は『トマホーク』、中期型の『キティホーク』を経て『ウオーホーク』の愛称がつけられると共に機首に口を開けたサメのペイント=シャークマウスを施されるようになった。
またソビエト連邦空軍も提供された本機を運用していた。
1941年12月、日米の戦端が開かれた時点において本機は既にアメリカ陸軍航空隊戦闘機の主力に成りつつあり真珠湾攻撃、南方戦線で直ぐに日本戦闘機と交戦する事になった。
最初は日米の空戦ドクトリンに加え、速力こそ勝るとはいえ、運動性では日本戦闘機に分が大きくむしろ『P-36』の方が相性が良かったと双方から云われる有様であった。
そもそも太平洋戦線では基本的にアメリカ海軍が主戦力である為、序盤の防衛戦はともかくとして次第に本機はイギリスへの供与機や開戦前から支援していた中華民国に送り込んでいた義勇航空隊『フライング・タイガース』の運用機が主体となって交戦することになった。
全体的に成果は芳しくなく日本側に本機が鹵獲されプロバガンダに利用されたりもしたが連合国側の航空戦力の一端を担い、戦果をあげた事は事実である。
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最終更新:2025/12/20(土) 21:00
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