319
31 ななしのよっしん
2012/04/14(土) 23:45:06 ID: nBi3r9gnU5
伊達が秀吉の小田原征伐に出頭を渋ったから
北条と通じてるんじゃないかと疑いをかけたなんて話もあるしね。
伊達の不幸は、天下が(物理的に)遠すぎたことという話もあるし。
歴史にたらればはないとはいえ、事によっては伊達・北条で東日本を統治していた可能性もあったのか。
まあ、東日本の覇を巡って北条と伊達でドンパチやってた可能性もあるが、
それこそ西に豊臣が控えててそこまで出来なかっただろうなあとも思うし。
32 ななしのよっしん
2012/05/25(金) 12:41:03 ID: 8PuiJk3ubQ
例えば、豊臣家滅亡の時、大阪城は燃え落ちた。
武田の最期の時、新府城は燃されている。
一条谷や小谷城、柴田の北ノ庄城なんかもその系譜だろう。
ちとケースは異なるが、安土城や石山本願寺も似てなくもない。
でも後北条氏の最期の時、小田原が燃えた話は聞かない。
そう言うところが好きなんだが、
そう言うところが人気のないところな気もする。哀しいことに。
33 ななしのよっしん
2012/09/15(土) 13:02:23 ID: fxJTvH1ab0
戦国無双chronicle2ndではモブだけど前作よりもストーリー上の出番が増えて、なかなかにいい君主として描かれた
…んだが、斎藤龍興やら毛利隆元やら他にも存在感のあるモブが複数出たせいか(特に龍興)、
PC化フラグ成立…とまではいってないのが残念だ
34 ななしのよっしん
2012/09/20(木) 04:26:42 ID: UEzWkK8IsW
まあ、馬鹿殿にされちゃったのはその後に統治した徳川家が天下を取っちゃったってのもあるだろうなあ。
徳川家(あるいは後世の民衆)としては北条家を持ち上げつつも、かといってあんまり持ち上げすぎると自分たちの正統性が揺らぎかねなかったり、お上に怒られたりしちゃうんで「優秀な人達やったけど、最後の当主がバカだったからあかんねん」という事で北条家の優秀さを認めつつ徳川の正統性を保つための生贄になっちゃったんだろうなぁ。
35 ななしのよっしん
2012/10/04(木) 10:45:59 ID: 6L45sZQHhe
3代目までが文句無しのチートだから、しわ寄せくらっている感があるが、
・領地を氏康の頃よりも広げた
関東は元々、早雲こと盛時が来る前からのカオス地域で、
足利公方と両上杉家(足利成氏とか大田道灌とか長尾景春とか)が活躍する地域。
争い巻くって弱っていたとは言え、氏康が河越決戦等で決定的なダメージを与えて滅亡させて、関東最大勢力確定させたのはデカイ。
佐竹義重等も手ごわいが、北条ほどデカくは無いし、宿敵謙信も死んだことで、
領地を広げやすくはあったと思う。
36 ななしのよっしん
2012/10/04(木) 10:49:08 ID: 6L45sZQHhe
・滝川一益さんを撃破
滝川さんは上野来て3ヶ月くらいなので、およそ支配体制がなってなかった。
そこに信長の死である。
この状況ではおそらく誰が守っても無理。
秀吉や光秀がこの立場だって、あっさりと北条に破れたのでは無いだろうか?
だからあんま自慢にならないかと。
滝川一益さんが、織田家でも、屈指の武将であり、
どこの馬の骨か分からないにも関わらず、秀吉や光秀に次ぐ出世をした只者では無いのは、間違い無いことだが、記事がまだなんですねw
37 ななしのよっしん
2012/10/11(木) 00:59:00 ID: 8PuiJk3ubQ
北条氏綱が死去した頃の北条の勢力圏はこんな感じでしょうか?
伊豆、相模、武蔵と駿河の三分の一。
で、北条氏康が死去した頃の北条の勢力圏。
伊豆、相模、武蔵のほとんど、下総の南部三分の二ほど、上野と駿河の一部。
一時期、上野と上総の半分も手に入れていましたが、
諸般の事情で(上総の件は、氏政自身の不手際も絡んでますが)喪失。
あんまり言うと「じゃ、氏政死去の時の北条勢力圏は?」と思われるでしょうが、
それは当面棚上げして、兎も角言いたいのは、
氏康死去の頃は、上杉とその与党、及び里見が盛り返して来た時期である、と言う事。
ですので、氏康が決定的な打撃を与えた、と言うのは成り立たないかと。
38 ななしのよっしん
2012/10/11(木) 01:00:33 ID: 8PuiJk3ubQ
氏康死去の1571年から、上杉謙信が死去したのは1578年までに、
後北条は下総関宿城、武蔵羽生城、下野祇園城を落とし、
里見氏を屈服させていますが、
里見は上杉佐竹と同盟関係にあったし、
関宿城、羽生城の救援のため謙信は骨を折っています。
謙信含む相手に、優勢に戦を進めた事は確かですから、
氏政も相応に評価できるかなーと思う次第。
39 ななしのよっしん
2012/11/19(月) 01:33:17 ID: h+NPxyDWI3
40 ななしのよっしん
2012/12/12(水) 01:29:23 ID: EYJLuwTT2K
戦国無双chronicleでは父・氏康の跡を継ぎ北条家を必死で守りながら
秀吉に最後まで抗い続ける 熱い氏政が見れるぞ!
取れたての麦をそのままバリバリ食うなど奇っ怪話もあるけどな!
41 ななしのよっしん
2012/12/23(日) 20:23:37 ID: Q/maPIQa+7
あの作品にそれなりにいる格好いいモブの一人なのに麦食いのエピソードがあるのがなんともw
ただそれの出展元が甲陽軍鑑である事と
そのイベントが北条側のキャラじゃなくて広くみれば武田側のくのいちのである事を考えるとちょっと面白い
42 ななしのよっしん
2013/01/13(日) 19:34:44 ID: xZLK9OTqmh
>>36
滝川一益の記事が上がってましたよ。
まあ確かに、あの状況じゃ仮に羽柴秀吉でも負けてたでしょうけど、
それでも「織田家中の幹部を破った北条氏政」と云う純然たる事実は、
立派な実績として挙げても宜しいのでは?
43 削除しました
削除しました ID: 2JFlRpaGEI
削除しました
44 ななしのよっしん
2013/01/31(木) 21:40:39 ID: 8PuiJk3ubQ
「氏直が独り立ちして大勝利を得た。北条家も安泰だ」と、
喜びの手紙を出している氏政にも失礼な話な気もしますね。>対滝川戦
45 ななしのよっしん
2013/04/23(火) 19:08:15 ID: RE1fNrRU8O
自身は政治に長け、有能な弟達を率いて歴代最大版図を築いた当主…という部分だけを見れば、北条氏政も島津義久くらいには評価をされても良さそうな印象もあるんだけどな。
46 ななしのよっしん
2013/04/27(土) 14:46:06 ID: IUxbVrtX2B
BASARAの3と宴では、豊臣に対する敗北を機に
部下や民衆思いの思いやりのある性格が前面に出てきて
味のある名君に変化していること、誰か書き加えてくださらんか。
史実ではそこでお亡くなりになってしまったことを思うと、一層感慨深い物がある。
47 ななしのよっしん
2013/06/14(金) 21:06:35 ID: +XwsjvZNeg
当時の税率と賦役負担が北条領内では他家に比べて遙かに軽く、その点でも簡単に屈することはできなかったのかもしれん
小田原籠城は領民の支持がないと絶対にできない作戦だし
北条家が整備して氏政政権が改良した法制税制駅伝などを家康がほぼ丸ごと引き継いだことを考えると、氏政はやはり名君だったろうな
48 ななしのよっしん
2013/07/01(月) 23:03:06 ID: VQCyiBSYeh
外交センスはいまいちだと思うけどなあ
落ち目の武田上杉の足引っ張って織田との緩衝地帯つぶしてるし
>織田信長と婚姻関係を築き、織田信長の分国として関東を統括する勢力として生き残る想定だった。
てあるけど、長宗我部みたく本拠地一国は安堵してやるからあと全部よこせと言われる未来しか見えないんだが
49 ななしのよっしん
2013/07/16(火) 19:22:47 ID: jVmC3qV2er
甲相同盟復活が氏康の遺言というのは本当なのかね?
御館の乱にも介入して孤立して滅んでいった人物としては政治が高すぎるな。
50 ななしのよっしん
2013/07/23(火) 11:49:14 ID: +XwsjvZNeg
>>49
>甲相同盟復活が氏康の遺言というのは本当なのかね?
その部分は後世の創作の疑いが強い
氏康は相越同盟の主導者で、氏政はじめ家中の大半が甲相同盟の継続を主張したのに氏康が押し切って上杉と組んだ
その後は同盟者の上杉から支援を受けられず武田にボコられた北条が再び甲相同盟を結んだわけだが、当時の氏康は重病人で意思疎通も満足にできない状態
氏康が話せたとしても、元々甲相同盟を優先していた氏政は氏康の遺言がなくても武田と再び同盟しただろう
>御館の乱にも介入して孤立して滅んでいった
別の事件や人物と混同してないか?
51 ななしのよっしん
2013/07/23(火) 17:02:26 ID: Ncax3gQRXC
この人は課題評価され過ぎ。本人と話をしたことある人ならわかると思うけど飛び抜けて優れたわけでも飛び抜けて暗愚なわけでもない。ただ大名としては滲み出る人柄の良さほどには覇気というかオーラを感じなかった。
52 ななしのよっしん
2013/07/30(火) 18:30:58 ID: iwv97qIvN2
スルーしてあげるべきなのか、いじってやるべきなのか
53 ななしのよっしん
2013/08/04(日) 15:22:27 ID: DeuDsNrh5t
何かのコピペかテンプレじゃないかと思って探して見たんだが無かった
54 考察一つでどうとでも取れそう
2013/08/31(土) 12:00:46 ID: VRDkVl/FaW
先代達の時はまだ情勢が定まっておらず薄水を踏む思いの状況が続いていたと言う点もある。その為に安定期に当主となって(先代たちと比較して)たいした苦労もせずに勢力拡大にした彼を評価できずに「汁を二度かける」「刈り取った麦がすぐ食える物と思っている」と言うようなボンボン呼ばわりしている面もあるかと・・・
汁かけ二回は「どんな物事も常に同じ状況とは限らない(人の心境は常に一定ではない)から粗相がないよう(すれ違いや誤解を招かないように)に慎重に(よく現状を把握して)物事に取り組む」と言う意味にも取れる。
もっとも「汁かけが一回のみで粗相が許されない状況だった」氏康にとってはそれがみっともなく見えたのだろう。
氏康「氏政、二度も汁かけしてみっともないぞ。わしが若い頃はなぁ・・・」
と言う感じ、考えすぎかな・・・
55 ななしのよっしん
2013/08/31(土) 21:48:55 ID: TxgvCdfyUr
汁かけごはんくらい自由に食わせてやれよ…。そんなアホなことでネチネチやるから、柔軟性のない
ダメな大人に育つんだ。
と言う2ちゃんの歴板でのツッコミを思い出した。
56 ななしのよっしん
2013/08/31(土) 22:12:28 ID: nU2toMjAhy
家康の娘婿の氏直を強く糾弾する事は出来いから、氏政は全ての過失を背負わされた感があるな。北条五代記での扱いは酷いし。
沼尻合戦の推移などは再評価されているし今後が楽しみだわ。
57 あくまで仮説(ネタ的)ですが・・・
2013/09/05(木) 21:35:35 ID: VRDkVl/FaW
毛利や上杉が許されて北条だけが許されなかったのは・・・
交渉中
氏直「これまでの不敬は謝罪しますからどうか北条家へ攻め込む事だけは…」 秀吉「断る。帰ったら君の父上の愚行を呪うがいい・・・」
氏直「愚行?」 秀吉「北条家の先代達は立派だったが君の父上の本能寺の変での敵対行為がいけなかったのだよ。」
小田原城にて
氏直「…と言う訳です。」 氏政「言いがかりだ!! 猪俣邦憲の行動といい初めから我々を滅ぼすつもりだったのだ、謀ったな秀吉。」
氏直「父上、どうしましょう…」 氏政「ええい、篭城だ!! 秀吉軍があきらめるまで小田原城に篭ってやる。」
氏直「あの…勝算は」 氏政「ある。 秀吉軍20万と言えども所詮各国大名との同盟軍や織田家残党の寄せ集めにすぎん。我々が持ちこたえれば秀吉を見限り離反する物も出始めるだろう。」
氏直、氏政「北条家に栄光あれ!!」
58 ななしのよっしん
2013/11/11(月) 05:48:34 ID: tfCWwFJ5JV
むやみに領地拡大して領内防備を不安定化させているし、
外交は場当たり的で一貫した方針が皆無だし、
なにより御館の乱ではわざと出兵を遅らせて実弟を見殺しにしている。
品格も戦略眼も父親に劣っている上に、氏照や氏邦といった弟たちの制御も出来てない。
59 ななしのよっしん
2013/11/12(火) 10:51:34 ID: Y8H5TtufDK
そりゃ悪く描かれてる文献ばかり集めれば
そういう見方にもなるんだろうけどね
60 ななしのよっしん
2013/11/24(日) 22:25:25 ID: TxgvCdfyUr
>>57
小田原攻めまでの経緯はまぁハード面での外交の失敗だろう。誤解や食い違いを直ぐに正せる状況では
ないし、そもそも当事者の思惑なんて一方には分からん訳で(ついでに言えば、現代のようにリアル
タイムでお互いの考えを知ることもできない)。
ほめた!
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