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1 ななしのよっしん
2013/12/20(金) 22:58:05 ID: It0BAswbSr
おお!!記事出来てたのか!!
俺は三船敏郎の「大忠臣蔵」がすきだな。
または吉右衛門の「決断の時」
2 ななしのよっしん
2013/12/22(日) 12:54:57 ID: SeSZx+esjK
300年近く大人気だった物語が、滅ぶ瀬戸際なんだな。
今の子供が忠臣蔵を知ってるかと言うと、多分ほとんど知らんだろう。
3 ななしのよっしん
2013/12/28(土) 00:49:34 ID: 84CzQkFrsm
>>2
新しい解釈がされていくだけで忠臣蔵はまだ残り続けると思う
4 ななしのよっしん
2014/01/01(水) 19:03:44 ID: A60Y82+hWB
赤穂とも吉良とも関係ないが忠臣蔵大っ嫌い
刃傷沙汰起こして処罰されたくせに仇討ちとか勘違いにもほどがある
5 ななしのよっしん
2014/01/05(日) 18:16:14 ID: It0BAswbSr
勘違いかどうかは別として
色んな映画とかドラマとかあるから、見てみ?
結構面白いよ?
6 ななしのよっしん
2014/01/22(水) 06:45:48 ID: 25pI4juJno
これ関係はアンチがうっとうしくてしょうがない
7 ななしのよっしん
2014/01/22(水) 23:48:19 ID: 1L4MnfLoqn
とりあえず、ファンの人にもアンチの人にも実際にあった赤穂事件と「忠臣蔵」という文学やドラマは創作物で「別もの」という事を理解して。
8 ななしのよっしん
2014/01/23(木) 00:10:25 ID: y14aTMFPvL
元禄繚乱は面白かったねえ。
忠臣蔵ものはなんだかんだと尺と金使ってちゃんと作ってて打率高いよね。
見始めるとつい最後までいっちゃうw
9 ななしのよっしん
2014/01/31(金) 01:19:04 ID: OSJcWw/1vt
>12月の段階で最終的に残った人物は47人となった。
12月に入って脱落した3人(瀬尾、矢野(ともに12日)、毛利(書面上は11日ながら最後の脱落者と言われてる))の例があるから「事件のあった12月14日の段階で」と日付限定した方が誤読をしにくいと思う。
10 ななしのよっしん
2014/02/04(火) 15:45:35 ID: Rw4O2wFSZs
>>4
当時の武家社会自体特殊すぎるんで、現代の価値観で筋通ってないことも、当時では筋が通ってることになっちゃうこともあるんだよ。(まあそれ含めても刀傷沙汰やら仇討の是非は賛否両論だが)。
例えば武士道とか忠義・士道>>命という素敵価値観なので、例え主君に非があろうと仇は討つべき、例え法に背いて切腹になるようなことになっても士道不覚悟よりマシという考えも普通にあったみたいだし。
喧嘩両成敗とかも、武力(刀を抜いて)問題を起こした奴は理由も事情も聞くこともなく(例え襲ってくる相手が筋違いの逆恨みで、自分に非がなくても関係なく)問答無用で処罰するってもので、自衛目的でも刀は抜けず、でもだからといって逃げ出したら士道不覚悟で罰せられる可能性もあるという理不尽っぷり。
まあそんな価値観が存在する時代なので、現代の考えをそのまま当てはめてもズレるだけだ。
11 ななしのよっしん
2014/02/04(火) 17:56:42 ID: It0BAswbSr
脇坂淡路守、立花左近、土屋主税
赤穂浪士に見方してくれる人も沢山いるんだよね。
特に松の廊下での脇坂さんはめちゃくちゃ格好いい。
史実じゃない?細けぇこたぁいいんだよ!!
12 ななしのよっしん
2014/03/11(火) 19:08:57 ID: 8HCulcbNq7
四十七人の刺客を見た。痺れるくらいカッコいい。
真実なんて知らん、と言い切る姿勢がすげぇww
史実云々はさておき、考察と解釈が入った、エンターテイメントとしての
忠臣蔵は、さすが何百年も語り継がれてきただけはあるわ。
13 ななしのよっしん
2014/03/11(火) 19:20:25 ID: E47XzIuL4j
よく考えたら夜中にこっそり闇討ちとは男らしくないな
侍なら正々堂々と復讐してもらいたいところだ
14 ななしのよっしん
2014/03/11(火) 19:53:58 ID: m7LA77YFJ2
彼らの動機は男らしさではなく「喧嘩両成敗」を実現することで主君の手向けとする忠義。
故に確実性が大事であって正々堂々なんて糞食らえ。
15 ななしのよっしん
2014/03/11(火) 20:12:19 ID: E47XzIuL4j
16 ななしのよっしん
2014/03/30(日) 19:14:31 ID: GLF8nxFEFe
軍学者の山鹿素行って人がいて、軍学者であると同時に(幕府から見ると)過激な勤皇家だった
幕府から睨まれた山鹿が諸国を巡る内に、大勢の大名が山鹿の門弟になっている。
浅野内匠頭と大石内蔵助も山鹿の学問の弟子。それも熱心な弟子だった。
徳川家でも御三家の内、尾張と水戸は初代から勤皇家で、素行と繋がりはなかったが幕府と朝廷の関係を巡って将軍と揉めることもあった
一方徳川幕府は、家康から四代家綱の頃までは朝廷と度々衝突してた
天皇や朝廷を軽視していたわけではなく、統治を安定させるために幕府の権限を拡大しようとしたのだけど、これが当時は猛反発を受けていた
吉良上野介は自身は勤皇家だけど幕府の方針に忠実だったので、在野の勤皇家からはお上を恫喝する逆賊と見られたこともあった
吉良を討った赤穂浪士が江戸市中を練り歩いて誇示を行った理由は、主君の無念を晴らすと同時に、逆賊吉良を討ったという図式をアピールしたのでは
という見方が昔はあったそうな
忠臣蔵関係の資料や伝承は戦後の混乱とGHQの検閲時代にかなり処分されたり廃れちゃったりで、もったいないんだよねえ
17 ななしのよっしん
2014/07/19(土) 22:44:07 ID: 5pYLAAaq0M
いわゆる「忠臣蔵」と史実は異なるって意見を最近ネットでものすごく見るから
この記事にきてみたけど、個人的には思ったよりズレがなかったわ
18 ななしのよっしん
2014/07/21(月) 04:39:34 ID: 2HRnS4qfEp
忠臣蔵関連で星新一がいくつも面白い小説を書いてるから、機会があれば読んでみて欲しい。
吉良に同情してしまう自分としては、「ああ吉良家の忠臣」が一番好き
19 ななしのよっしん
2014/08/03(日) 19:14:35 ID: KpHPwOrPOR
20 ななしのよっしん
2014/09/03(水) 12:50:20 ID: 3Y7Co6FzJY
昔はそういう価値観だったってだけだね
今やっても美談にはなるまい
21 ななしのよっしん
2014/09/08(月) 03:45:00 ID: CBg+ZS11jc
敵討ちは今の時代にそぐわないけど、死んだ人の遺志を継ぐと言う筋書きは今の日本人にも通じるんじゃないか。
曽我兄弟とか鍵屋辻とかは忘れられたのに忠臣蔵が現代まで残ったのも、敵討ちよりはそう言う側面が日本人
受けしやすいからだと思う。
22 ななしのよっしん
2014/09/25(木) 02:12:48 ID: Rw4O2wFSZs
主君への忠義、目的に対して一致団結、臥薪嘗胆からの悲願達成、民からの賞賛。美談としては充分だと思うけどね。
問題の部分も、当時は法だけでじゃなく義もまた強く重んじられてて、現代人みたいに殺人=絶対悪みたいな潔癖じゃないから抵抗は少ないだろう。
23 ななしのよっしん
2014/09/25(木) 02:37:14 ID: seFitSWVx6
敵討ちの部分は美談に成り得ると思うけどそこの価値観ではなく
そもそも吉良は悪くなかったんじゃないか?という事が知られるようになって
敵討ちの正当性が揺らいだことで評価が下がってきてるんじゃないかな
24 ななしのよっしん
2014/09/25(木) 03:06:06 ID: uvys01fL4K
http://t
ちょっと前(江戸時代中期より以前くらい)までは↑こういう世の中だったからなあ・・・
幕府の権力が本格的に確立し始めた頃の事件だからか当時も処断をめぐって揉めたよな。
25 ななしのよっしん
2014/09/25(木) 23:28:46 ID: seFitSWVx6
>>24のの関連にあった「江戸時代の武士の面目について」を読んでみると
http://t
>赤穂浪士たちは「殿(浅野内匠頭)と吉良のどっちが正しいかはどうでもいい。仮にもウチの殿様が殺そうとしたのに、まだ吉良が生きてること自体、家臣として面目が立たん。これはもうなんとしてもぶっ殺さねば」と考えたグループ
>ただ、同時に「公儀の裁きは尤もであり、これで吉良様を仇とするのは道理が通らぬのではないか」という意見も、それなりに妥当と認識されていたのでアリマス。そういう意味では、浪士達の方が少数派であるというのは、武士にとって面目の立つ/立たないの基準が変遷してきてる証左と言えるかと。
今の価値観からすると赤穂浪士の理屈は無茶苦茶に見えるけど当時はそれなりに正当性があったんだな
26 ななしのよっしん
2014/09/26(金) 07:21:39 ID: Rw4O2wFSZs
周りの武士や民衆にも仇討ちしないとか情けないとせっつかれるぐらいだったらしいからな。
浅野の最大の失態は切りつけたより、吉良を殺しそこねたことって意見もあって、吉良も自ら浅野を取り抑えた訳でもなく背中を切りつけられてるから、下手したら士道不覚悟になる可能性もあったかもしれんし。
現代の価値観で考えてもズレるだけだろうし、当時の掟を見て判断しようにも、色々な掟と見方があるし、当時の世間の価値観や影響、幕府の考えで実状は掟通りじゃない可能性もある。
幕府の掟と士道が相容れなかった例は結構残ってたりするが、それらはあまり話題にならなかったのに対し、赤穂事件は世間で有名になっちゃったから、幕府も揉めに揉めたし、色々な問題が露呈した凄くナイーブな問題だったんだろう。
27 ななしのよっしん
2014/11/05(水) 12:50:57 ID: YmFlcpSm6p
庶民というより
火事と喧嘩は江戸の華という江戸っ子が支持したのではないか
28 ななしのよっしん
2014/11/15(土) 14:11:32 ID: Exe2IvsCGB
まあ普段威張ってる支配階級が自分と関係無いところで殺しあってるなんて最高の娯楽だわな。
29 ななしのよっしん
2014/11/19(水) 20:14:03 ID: tG0C+bOnVS
よぼよぼのジジイを闇討ちして集団リンチするのが美談とよく考えたら頭おかしいわ
人気なくなるのも当然
30 ななしのよっしん
2014/12/20(土) 22:42:26 ID: BlvohTyFOb
桑名藩所伝覚書「上杉弾正から吉良佐平様へ御付人の儀侍分の者四十人程。雑兵百八十人程参り居り申し候よし」
夜討ち朝駆けは武士の習い、武士は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候
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