武田四名臣あるいは武田四天王とは、戦国大名・武田信玄に仕え活躍した四人の名高き武将である。
類似例の「甲陽五名臣」および「武田二十四将」についても合わせて説明する。
武田信玄の治世後期 ~ 武田勝頼の治世初期 にかけて仕えた四人の武田家臣。武田家の最盛期を支えた、そうそうたるメンバーである。しかし、高坂を除く3人が長篠の戦いで討死してしまった事から、長篠=武田凋落の始まり、という印象を強く植え付けることにもなった。
出自はバラバラだが、4人とも普通ではここまで出世するような立場とは言えず、信玄に見いだされてその期待に応え、重臣に上り詰めたという点は共通する。それだけに実力も武田への忠誠心も非常に高く、後世まで人気を誇る要因にもなっている。
ちなみに、馬場・内藤・山県はいずれも武田信虎によって取り潰された譜代の家であり、それを信玄が名跡を継がせる形で復興させたという点も共通している。信玄なりのアピール・父への対抗心だったのかもしれない。
四人とも個別記事が存在する為、個々の詳細はそちらを参照。
甲斐国人・教来石氏の出身。1546年頃、馬場氏を継ぐ。四名臣では一番年上。信玄に対しても果敢に意見するなど、叩き上げらしい硬骨な武人として知られる。長篠で戦死する直前まで、戦場でかすり傷一つ負わず「不死身の鬼美濃」と呼ばれた。
譜代家臣・工藤氏の次男。1569年頃、内藤氏を継ぐ。武略に優れており、副将として武田の軍をよく支えた。もっと評価されるべき。
本名は春日虎綱。百姓の出身。信玄の小姓として取り立てられ、1556年頃、信濃国人の高坂氏の養子となる。戦国三弾正の一人「逃げ弾正」と呼ばれるほどの撤退戦の名手だった。唯一、長篠の戦いに参加せず生き残る。
譜代家臣・飯富氏の次男。1565年頃、山県氏を継ぐ。四名臣では一番年下だが、武田家中においては軍事のみならず、政治や外交などでも活動する事実上の家臣筆頭クラス。彼の率いた赤備えの騎馬隊は、武田の象徴として畏れられた。
甲陽五名臣あるいは武田五名臣もまた、武田家を支えた五人の名高き武将たちである。
この手の「○人衆」系のものが複数ある場合、大抵「四名臣 + 誰か一人 = 五名臣」だったり、半分くらい重複していたりするものだが、こちらは四名臣と五名臣が全く別々の人間で構成されているのが特徴。武田家の層の厚さもさることながら、甲陽五名臣のメンバーは(没年を見れば分かるように)信玄治世前半、信濃平定くらいまでの面々である。第四次川中島の戦い辺りで、五名臣と四名臣の世代交代が行われる。
ほか、全員が他国から流れてきた新参者であること、信玄期に登用されたのは勘助だけで、それ以外は信虎の時代から活躍していた家臣である事なども特徴。
武田オールスターズ。こちらは年代もバラバラで、最終的には武田を寝返った面々までいる。武田家を支えた代表的な武将たちを一堂に集めた絵画に由来しているものなので、物によってメンバーにばらつきがある。
ちなみに信玄を含めて24人で、実際に絵もそのように書かれている(武将は23人しかいない)のだが、バリエーション豊かなためか信玄を含めずに24人の名前が紹介されている事も多い。以下バリエーションの参考例。
名前 | 簡単な解説 | 1 | 2 |
---|---|---|---|
武田信玄 | 武田家当主。 | - | - |
武田信繁 | 信玄の弟。典厩。川中島で討死。 | ○ | ○ |
武田信廉 | 信玄の弟。逍遙軒。武田滅亡時に討死。 | ○ | ○ |
一条信龍 | 信玄の弟。武田滅亡時に討死。 | ○ | - |
山県昌景 | 武田四名臣の一。長篠で討死。 | ○ | ○ |
馬場信春 | 武田四名臣の一。鬼美濃。長篠で討死。 | ○ | ○ |
内藤昌豊 | 武田四名臣の一。長篠で討死。 | ○ | ○ |
高坂昌信 | 武田四名臣の一。逃げ弾正。長篠から数年後に病死。 | ○ | ○ |
原虎胤 | 甲陽五名臣の一。夜叉美濃。川中島から数年後に病死。 | ○ | ○ |
山本晴幸 | 甲陽五名臣の一。勘助。川中島で討死。 | ○ | ○ |
横田高松 | 甲陽五名臣の一。砥石崩れで討死。 | ○ | ○ |
小幡虎盛 | 甲陽五名臣の一。川中島の頃に病死。 | ○ | ○ |
小幡昌盛 | 虎盛の子。武田滅亡の頃に病死。 | ○ | - |
多田満頼 | 甲陽五名臣の一。川中島から数年後に病死。 | ○ | ○ |
板垣信方 | 武田の両職の一。上田原で討死。 | ○ | ○ |
甘利虎泰 | 武田の両職の一。上田原で討死。 | ○ | ○ |
飯富虎昌 | 山県昌景の兄。義信事件で自害。 | ○ | ○ |
土屋昌次 | 奥近習六人衆の一。長篠で討死。 | ○ | ○ |
三枝守友 | 奥近習六人衆の一。長篠で討死。 | ○ | ○ |
曽根昌世 | 奥近習六人衆の一。武田滅亡後は徳川、蒲生に仕える。 | - | ○ |
穴山信君 | 一門衆筆頭。武田滅亡時に裏切る。本能寺の変の直後に討死。 | ○ | ○ |
小山田信茂 | 郡内領主。武田滅亡時に裏切るが刑死。 | ○ | ○ |
真田幸隆 | 信濃衆。攻め弾正。西上作戦の数年後に病死。 | ○ | ○ |
真田信綱 | 幸隆の子。長篠で討死。 | ○ | ○ |
真田昌幸 | 幸隆の子。奥近習六人衆の一。武田滅亡後は大名として独立。 | - | ○ |
原昌胤 | 長篠で討死。 | ○ | ○ |
秋山信友 | 岩村城代。長篠の頃に敗れ刑死。 | ○ | ○ |
備考:上田原(1548)→砥石崩れ(1550)→川中島(1561)→義信事件(1565)→駿河侵攻(1568)→西上作戦(1572)→長篠(1575)→武田滅亡(1582)
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最終更新:2024/04/18(木) 03:00
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