惜敗の度にお前は強くなった。
モンテプリンス(1977~2002)とは、日本の元競走馬・元種牡馬である。
父シーホーク、母モンテオーカン、母の父ヒンドスタン
全弟に天皇賞馬・モンテファスト、半弟にモンテジャパン(父パーソロン)がいる。
主な勝ち鞍
1980年:NHK杯、セントライト記念
1982年:天皇賞(春)(八大競走)、宝塚記念、東京新聞杯
太陽の王子と呼ばれて
※馬齢表記は当時のものに合わせて旧表記で記載しています。
父はすでにフランスでセントレジャー勝ち馬を出す等種牡馬実績のあったシーホーク、母の父はシンザンなどを輩出した名種牡馬・ヒンドスタンというコテコテのステイヤー血統ながらも良血の期待馬としてデビュー。
しかし3歳夏の函館で新馬戦を2戦連続2着と、勝ちきれないスタートとなってしまう。モンテプリンスの将来はこの時すでに暗示されていたのかもしれない。
東京に帰り、鞍上をベテラン・吉永正人騎手に変更した未勝利戦でやっと1勝を挙げるとそのまま府中3歳ステークスへ向かうが、ここを4着と敗北。次走の葉牡丹賞(400万以下条件)こそ快勝したものの、翌年の皐月賞前の成績は8戦2勝2着2回という、平凡もいいところな成績である。
だが、この凡走続きの戦績には理由があった。新馬戦2つを除く負けた4戦は発熱明けの東京4歳ステークス以外はすべて重馬場か不良馬場。そう、モンテプリンスは蹄の形が原因で道悪馬場が大の苦手だったのである。
「太陽の王子」という異名もそれが由来で、「太陽が出ていれば強い」というよりも、「太陽が出てないと勝てない」というややネガティブな理由が強かったりする。
とはいえ、苦手な道悪馬場でも大崩れはせずにスプリングステークス3着、弥生賞と府中3歳ステークス4着に入っており、馬場さえ良ければモンテプリンスの実力は同世代の中でもトップクラスなのは事実である。
そんなわけで挑んだ最初の大レース・皐月賞。ここで勝てば今までの敗戦なんてお釣りが来るさと意気込む陣営。
それどころか内ラチ沿いが水田みたいになってて馬場ですらありませんでした。
それでも農耕馬重戦車ことハワイアンイメージとオペックホースが競り合うのを尻目に4着したのは、道悪が苦手なモンテプリンスとしては十分といっていいほどの結果だったと言えるだろう。
太陽の王子、クラシック戦線の主役になる
ここまでサクラホクトオーよりマシとはいえ馬場に泣かされ続けてきたモンテプリンスの真の力が発揮されたのは、太陽の見守る良馬場で開催された次走のダービートライアル・NHK杯だった。
このレースで2番人気と支持されたモンテプリンスは2着のレッドジャガー以下に7馬身差という大差をつけて圧勝するのである。
ここに至って、「モンテプリンスってひょっとしてすげー強いんじゃね?」と気づいたファンは、続いて良馬場で行われた大一番・日本ダービーでモンテプリンスを1番人気に支持した。
なにしろ皐月賞馬ハワイアンイメージは重馬場専用馬であり、皐月賞2着のオペックホースは勝ちきれないレースが続いた中での圧勝劇である。(はいはいブーメランブーメラン)
新しいスター・モンテプリンスがダービー馬への最短距離にいると思われたのも当たり前なことだろう。
だが、良馬場でも太陽が出ていなかったのが悪かったのか、直線で抜け出して勝ちパターンに持ち込んだモンテプリンスは、直前に馬主を亡くして弔い合戦に燃えるオペックホースにクビ差かわされてしまう。
この後オペックホースは一度も勝てないまま引退することになるので、まさに一世一代の大駆けに食われてしまったと言えるだろう。
このダービーの後、モンテプリンスは春シーズンの疲労をとるために休養へ入り、秋シーズンはセントライト記念から始動。ここを当然のように快勝し、菊花賞へ。京都新聞杯で5着に敗れてるけど不良馬場だし仕方ないよね。
そして迎えた本番、菊花賞は素晴らしい良馬場だった。そのうえ春にモンテプリンスを破ったハワイアンイメージは菊花賞を回避、オペックホースは前走のオープン戦を惨敗と順調さを欠いており、血統的にも得意な距離で戦えるモンテプリンスにとっては願ってもいない舞台が整ったと言えるほどだった。今回は太陽も出てるし。
だが、先行して抜け出すモンテプリンスにゴール直前で襲いかかる小さな影。神戸新聞杯を快勝、京都新聞杯でも2着していながら5番人気に甘んじていたノースガストである。
ダービーと同じくクビ差かわされたモンテプリンスは、結局クラシックシーズンを無冠のままで終えることとなった。
太陽の王子、無冠の帝王と呼ばれる
菊花賞後すぐに休養に入ったモンテプリンスは翌年春の天皇賞(春)を目指して5歳初戦に平場のオープン戦を選択。しかしここを2着した後に血行障害による疲労が判明し、春シーズンの全休を余儀なくされた。
復帰戦となる毎日王冠は良馬場であるにも関わらず10着と惨敗し、 秋の目標である天皇賞(秋)では5番人気と評価をかなり落としてしまう。
これに反発したのか、同じく評価を下げていた前年のグランプリホース・ホウヨウボーイと直線で競り合いを展開。ハナ差の勝負を繰り広げて復活をアピールする。……ただし前年のダービー・菊花賞に続いて3度目の八大競走2着(それも全て僅差)であり、某巨大掲示板が当時あったらまず間違いなくネタにされたであろう戦績である。
それでもこのレースでモンテプリンスの株は再び上昇し、次走に選んだ新設されたばかりの国際競走・ジャパンカップでは、前走でモンテプリンスを破ったホウヨウボーイや外国馬たちを抑え、日本馬最高の2番人気(1番人気はアメリカのザベリワン)に支持された。
だが、現在で言うGI級競走未勝利の身で日本の大将格を張るにはさすがに役者不足だったか、外国馬どころか日本馬のゴールドスペンサーとホウヨウボーイにすら先着を許す7着と完敗。
雪辱を期した有馬記念ではアンバーシャダイとホウヨウボーイの前に返り討ちに遭い、とうとう大レース未勝利のまま一般的な競走馬にとって最も充実する年齢と言われる5歳シーズンを終了。
上位には来るものの勝ちきれないレースぶりから、「無冠の帝王」と呼ばれるようになってしまう。
ちなみにこの年のモンテプリンスは5戦して未勝利に終わっているのだが、ダービーでモンテプリンスを破ったオペックホースがもっと悲惨なことになっていたのであまりそれを言われることはない。
太陽の王子に栄冠輝く
明けて6歳、今度こそ大レースの勝利をと、前年回避した天皇賞(春)に向けて東京新聞杯から始動。エイティトウショウ以下を下して快勝し、約1年4ヶ月ぶりの勝利を手にする。
次走の中山記念は不得手な稍重だったため前走で破っていたエイティトウショウの2着となるも、本番の天皇賞(春)では良馬場だったこともあって1番人気に支持される。
その期待に応え、直線で抜け出したモンテプリンス。今までならば直後に後続馬の急襲に遭って惜しくも2着という結果に終わっていただろうが、そこからが違った。
追いすがるアンバーシャダイ以下をそのまま突き放すという横綱相撲で圧勝、とうとう「無冠の帝王」というありがたくないニックネームを返上したのだ。
なお、この時の杉本清アナの実況、「無冠の貴公子に春が訪れてから9年目、無冠のプリンスにも春が訪れました」 は有名であるが、これは遡ること9年前、モンテプリンスと同じように大レースで惜敗続きだった「無冠の貴公子」ことタイテエムが同じように天皇賞(春)で無冠を返上していたことに由来する。
ともあれ、無冠を返上したモンテプリンスは返す刀で宝塚記念に出走、今までの惜敗続きが嘘のように快勝し、とうとうモンテプリンスの時代が来たことを予感させたが、繋靭帯炎を発祥してしまい、秋シーズンは全休。
有馬記念こそ出走にこぎつけたものの足元は限界を迎えており、ヒカリデユールの11着と敗れ、そのまま引退することになった。
ちなみに引退式は同厩舎のシービークロスと共に行われ、これがJRA史上初の合同引退式である。
引退後
引退後は種牡馬入りしたのだが、ステイヤー血統が嫌われてあまり人気が出ず、ライバルだったアンバーシャダイ(メジロライアンやカミノクレッセらを輩出)、合同引退式を行ったシービークロス(タマモクロス、ホワイトストーンらを輩出)に差をつけられる結果となってしまったが、それでもグレートモンテ(札幌記念、愛知杯)、サークルショウワ(クイーンカップ)を輩出しているのはせめてもの意地だろう。
それでもなお種牡馬として人気が出なかったため一時期は危うく屠殺場送りの危機を迎えたが、東京大学農学部付属牧場に拾われ、研究用種牡馬となった。
晩年は茨城の牧場で余生を過ごし、2002年に老衰により他界。太陽の王子は天に帰ったのだ。
1982年の年度代表馬論争
モンテプリンスが最盛期を迎えた1982年だが、この年に八大競走(牡馬クラシック三冠、牝馬クラシック二冠、天皇賞春秋、有馬記念)を2勝した馬はおらず、このうち天皇賞(春)に加えて春のグランプリと呼ばれる宝塚記念を勝っているモンテプリンスは年度代表馬及び最優秀古馬の最有力候補だった。
しかし、当時は「成績が横並びの時は有馬記念を勝った馬こそその年の最強馬」という風潮があり、しかも春に好成績を残した馬は秋の成績が悪いと軽視されていて、この年の秋に中央移籍して朝日チャレンジカップと有馬記念を勝っただけのヒカリデユールが年度代表馬の座を射止めてしまう。
モンテプリンスにも「ドリーム賞」という特別賞が与えられ、JRA発表のフリーハンデではヒカリデユールを上回る評価となったものの、一部の競馬評論家からは秋競馬偏重の評価に異論が唱えられる結果となった。
なお、GI級競走を2勝していながらGI級1勝馬に年度代表馬の座を奪われた事例は、1967年にスピードシンボリ(天皇賞(春))に負けたカブトシロー(天皇賞(秋)、有馬記念)や1993年にビワハヤヒデ(菊花賞)に負けたヤマニンゼファー(安田記念、天皇賞(秋))の例がある。前者はともかく、後者では年度代表馬の選定について論争が起きている。
血統表
*シーホーク Sea Hawk 1963 芦毛 |
Herbager 1956 鹿毛 |
Vandale | Plassy |
Vanille | |||
Flagette | Escamillo | ||
Fidgette | |||
Sea Nymph 1957 芦毛 |
Free Man | Norseman | |
Fantine | |||
Sea Spray | Ocean Swell | ||
Pontoon | |||
モンテオーカン 1967 鹿毛 FNo.21-a |
*ヒンドスタン 1946 黒鹿毛 |
Bois Roussel | Vatout |
Plucky Liege | |||
Sonibai | Solario | ||
Udaipur | |||
*マリアドロ 1957 黒鹿毛 |
Big Game | Bahram | |
Myrobella | |||
Golden Marie | Goyama | ||
Nearly | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Umidwar=Udaipur 5×4(9.38%)、Firdaussi 5×5(6.25%)、Blandford 5×5(6.25%)
主な産駒
関連動画
関連コミュニティ
関連項目
- 競馬
- 競走馬の一覧
- 1980年クラシック世代
- ホウヨウボーイ
- タイテエム(無冠の貴公子と呼ばれ、モンテプリンスと比較されることがある)
- サクラホクトオー(皐月賞までは道悪馬場不得意な雨男という共通点があった)
優秀賞ドリーム賞 | |
優駿賞時代 | 1973 ハイセイコー(大衆賞) | 1978 テンポイント(マスコミ賞) | 1982 モンテプリンス(ドリーム賞) | 1983 アンバーシャダイ |
---|---|
JRA賞時代 | 1989 オグリキャップ | 1993 トウカイテイオー | 1995 ライスシャワー | 1998 サイレンススズカ | 1999 グラスワンダー、スペシャルウィーク | 2001 ステイゴールド | 2004 コスモバルク(特別敢闘賞) | 2007 ウオッカ、メイショウサムソン | 2009 カンパニー | 2016 モーリス | 2020 クロノジェネシス |
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