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小笠原道大(おがさわら みちひろ、1973年10月25日-)とは、千葉県出身の元プロ野球選手(内野手)である。
愛称は「ガッツ」。背番号は日本ハム・巨人時代・第1回WBCでは「2」、2009年・第2回WBCでは「9」)、中日時代は「36」だった。
経歴
OB | |
---|---|
小笠原道大 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 千葉県千葉市美浜区 |
生年月日 | 1973年10月25日 |
身長 体重 |
178cm 84kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投左打 |
守備位置 | 一塁手、三塁手 |
プロ入り | 1996年ドラフト3位 |
引退 | 2015年 |
経歴 | |
選手歴 監督・コーチ歴 | |
国際大会 | |
代表チーム | ![]() |
五輪 | 2004年 |
WBC | 2006年、2009年 |
プロ野球選手テンプレート |
暁星国際高等学校からNTT関東に入社後、1996年にドラフト3位で日本ハムファイターズに入団。高校時代は遊撃・三塁・外野を、社会人時代は捕手をそれぞれ守っていたことから、「中堅以外どのポジションでも守れる選手」「コンビニルーキー」として入団した。
日本ハム時代
入団当初は社会人時代に守っていた捕手としての起用が多かったが、キャッチングに多少の難があったことから1999年に一塁手へコンバートされ、そこでスタメンを勝ち取る。打撃の方もほぼ同時期に開花しはじめ、2000年には自身初のタイトルとなる最多安打を獲得するなど、当時の日本ハムの「ビッグバン打線」における一翼を担った。この当時、2番バッターという上位打順にもかかわらず、バントをせずに積極的なヒッティングをすることから「恐怖の2番打者」とも呼ばれていた。
2002年、2003年には2年連続で首位打者を獲得し、名実ともに日本を代表する打者となった。
2006年には本塁打・打点のタイトルとパ・リーグMVPを獲得し、日本ハム優勝の原動力となった。同年シーズン終了後にFA宣言、翌年読売ジャイアンツへ移籍した。
巨人時代
2007年セ・リーグMVPを獲得(両リーグでのMVP獲得は史上2人目、野手では初)。移籍後は目立ったタイトルこそ獲得していないが、日本ハム時代の2006年から2010年まで5年連続で3割30本を記録した。
2011年5月5日に、川上哲治、長嶋茂雄、張本勲に次ぐ4番目の早さで2000本安打を達成。しかしこの年は死球による離脱が二回あり、13年ぶりに規定打席に到達せず、打率も2割4分、ホームランも5本に終わった。
2012年はたった34試合の出場に終わり、ホームランも0本に終わった。オフの契約更改ではプロ野球史上最大の減額となる3億6000万円減の7000万円でサインした。
2013年6月5日の北海道日本ハムファイターズ戦では代打で出場。二年ぶりに放ったホームランがサヨナラ打となり、ヒーローに選ばれた。→思い出しました
しかしシーズンを通しては22試合の出場で、打率.205、1本塁打、8打点の成績で、完全復活とはならなかった。その後、出場機会を求めて2度目のFA宣言。中日ドラゴンズへ移籍した。
中日時代
2014年は再び髭を生やすようになった。基本左の代打として起用されたが、セ・パ交流戦時には指名打者で先発出場したこともあった。99打席とはいえ、2010年以来の打率3割をマークした。
2015年も代打の切り札として活躍するが、若返りを求める中日の来季戦力構想から外れたことから引退を表明。19年間の現役生活にピリオドを打った。
引退後
2016年から中日の二軍監督に就任することとなり、10月5日のフェニックス・リーグより指揮を執ることとなった。2019年まで同職を務めたが、オフに中日を退団。
2020年からは14年ぶりに北海道日本ハムファイターズに復帰し、一軍ヘッドコーチ兼打撃コーチに就任した。
特徴
- ヘルメットが落ちるほどのフルスイングが特徴。スイングスピードは球界トップクラス。それでいてバットコントロールが上手く、左右・長短と打ち分けられる柔軟な打撃力があり、出塁率も高い。
- 通算打率.3164は2010年終了時点で現役トップ(歴代通算5位)。その後2015年に引退するまでに通算打率を.310まで下げるが、これも歴代通算9位の大記録である。(2018年時点)
- バッティングフォームはかなり独特なものをしており、和田一浩(中日ドラゴンズ)、同じ巨人の阿部慎之助らと並んで「変態バッター」と表現されることもある。
- 上述したように今では球界屈指のホームランバッターだが、高校時代は(記録上)本塁打を1本も打っていない。
- 巨人への移籍後は、他の一塁手の存在との兼ね合いや膝の故障を考慮して三塁手としての出場が多い。まともなサードがいないというのは秘密だ!
- 打撃が強力だったこともあり、1997年-2007年まで公式戦での犠打が0だった(※)。初犠打は2008年6月8日のセ・パ交流戦・埼玉西武ライオンズ戦で記録。
※犠打を全く試みたことがないわけではなく、バント失敗や内野安打として記録されるなどで、記録上は犠打が付かなかったケースがいくつかある。また公式外だが、2006年のWBC第1回大会で犠打を一度成功させている。 - 1999年4月7日の対西武戦は、松坂大輔のプロ初登板初先発の試合だったが、8回に松坂のプロ初失点となる2ランを浴びせている。
- 打撃で注目されることが多いが、守備もそれなりにこなし、1999年-2003年(※),2006年とゴールデングラブ賞を通算6回獲得している。
※2003年のみ三塁手部門、それ以外は一塁手部門で賞を獲得。 - 「一番早く出てきて一番遅く帰る」ほど、チーム内随一の練習家として有名。体のケアに関してもとてもこまめである。
- 2000年頃からは口から顎にかけての髭をトレードマークとしており、(髭に関しては多少規則が緩い)巨人に入る際にも渡邉恒雄からトレードマークとして半ば容認された形だったが、自ら剃り落として巨人入りを果たした。中日入団後には再び髭を生やす。ちなみに、日本ハム時代にもオフシーズンは「娘に不評だから」という理由で髭を剃っていた。
- 阪神甲子園球場を苦手とし、2009年シーズン終了時点で通算162打数37安打の.228、更に本塁打は0本だったが、2010年4月7日の阪神タイガース戦の3回、右翼への2ラン本塁打を放って無本塁打記録には終止符を打った(シーズン通算では、48打数16安打2本塁打で打率.333)。
愛称(ガッツ)について
元同僚の岩本勉によれば「合コンの席で食事も飲むにしても、女性に対してもがっつくことから(皆で)『ガッツ君』と呼んだのが始まりだ」という(他にも「食事をガッツガツ食うから『ガッツ』」、「プレー全般に“根性(ガッツ)”が見られるから『ガッツ』」、という説もある)。
1998年7月1日には、左手人さし指の骨折が完治していない状態で試合に出場し、本塁打を放った事がきっかけで「ガッツ」という愛称が定着した。
応援歌
球団 | レス | No | プレイヤー |
---|---|---|---|
日本ハム | 応援歌のピコカキコ一覧#209 | 8861 | ![]() |
巨人 | 応援歌のピコカキコ一覧#147 | 8742 | ![]() |
成績
通算打撃成績
通算:19年 | 試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 1992 | 7801 | 6828 | 1126 | 2120 | 385 | 24 | 378 | 1169 | 63 | 1 | 53 | 867 | 50 | 1247 | 120 | .310 | .389 |
通算守備成績
機構 | 守備位置 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 捕逸 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 捕手 | 56 | 156 | 15 | 3 | 1 | .994 | 4 |
一塁手 | 997 | 8115 | 495 | 37 | 704 | .996 | - | |
三塁手 | 794 | 533 | 1298 | 84 | 122 | .956 | - | |
外野手 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | - |
タイトル・表彰・その他
タイトル | ||
---|---|---|
首位打者 | 2回 | 2002年、2003年 |
最多本塁打 | 1回 | 2006年 |
最多打点 | 1回 | 2006年 |
最多安打 | 2回 | 2000年、2001年 |
最高出塁率 | 1回 | 2003年 |
表彰 | ||
MVP | 2回 | 2006年、2007年 |
ベストナイン | 7回 | 1999年、2001年、2003年、2004年、2006年、2007年、2009年 |
ゴールデングラブ賞 | 6回 | 1999年-2002年、2003年、2006年 |
月間MVP | 8回 | 2000年8月、2001年8月、2002年4月、2003年5月、2004年7月、2008年9月 2009年5月、2010年4月 |
その他 | ||
両リーグでMVP | 2人目 | |
サイクルヒット | 1回 | 2008年9月3日 |
全球団から本塁打 | 2010年6月4日 |
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関連項目
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