吸血鬼とも呼ばれる。世界的に見られる悪霊・屍鬼・吸血鬼伝承の中でも、東ヨーロッパの民間伝承を源流とする。
もともとの伝承はヨーロッパ各地にあり、それぞれが他地方の悪霊伝承と劇的な違いはなく、「それは死者に限らず、人間に危害を加える存在」といったものであったが、ブラム・ストーカーの小説「吸血鬼ドラキュラ」および映画化作品の世界的ヒットを契機としイメージが統合され広く知れ渡る。現代のフィクション作品では、ヴァンパイアのイメージはおおむね同小説の登場人物「ドラキュラ伯爵」の影響を強く受けている。
近代に生み出された、銀幕を媒介として誕生した稀有なケースの妖怪である。契機が映画であるが故か、ドラマチックで魅力的な存在として描かれ、イメージされ、捉えられている。そしてヴァンパイアをテーマとした作品が作られ続けている以上、そのイメージは今もなお豊饒に広がり続けている。
一般的なイメージは以上であるが、作品や文献により、さまざまな特徴が多岐に渡って記されている。招き入れられない限り他人の門戸をくぐる事が出来ない、鏡に映らない、炎に弱いといった、比較的知名度の低い特徴もある。中には網戸に弱い、豆に弱い、聖画に弱いというイメージに乖離した特徴を説明するものもあれば、ヴァンパイアの『聖書』を出版したものもある。 (ノド書 ブック・オブ・ノド)
強大な力を持ちつつ、このように多彩な弱点的な特徴も併せ持つアンビバレンツな存在は、単純な『完全無欠の存在』とはまた違った魅力を引き出している。
なお、独断と偏見に基づくもので大変恐縮であるが、
弱点的な特徴が存在するようになったのは、キリスト教が大いに影響した結果であるのではないかと見る。
ニンニクや十字架、銀の武器や日光や炎など、そういう弱点は映画によって確立する以前から、キリスト教によって付けられた悪鬼の弱点である。
「悪しき存在・異教は必ずやキリスト教および聖なるものに屈する」という事で、キリスト教が設定したものである。
死して土に返らぬ不浄なるものを杭にて地面に縫いとめる事により、強制的に土に返らせるといった、理屈的なものも混じるが。(これにも宗教的な理由がある可能性も捨てきれない)
また、キリスト教の文化圏では土葬が主流であった為、医学が進歩していない時代では、
仮死状態に陥った人物が完全な死亡と誤診され、埋葬されてしまった人物が息を吹き返すことが稀にあった。
棺桶の裏側に酷い引っ掻き傷が出来ていたり、土から実際に這い出たという文献も存在する。
当時は迷信深い人々が多かったので、このような「早過ぎた埋葬の被害者」が悪鬼として蘇ったと勘違いして"確実に殺しきる"為に心臓に杭を打ち込んだことが有り、このことから墓場から蘇る吸血鬼にも同じ弱点が連想されたのではないだろうか。
他にも、狂犬病ににも関連性を認める事が出来る。罹患した症状に「水を嫌う」、「眩光を極端に嫌う」、「『ニンニクなどの』強い匂いを嫌う」、「唾液感染」、「情緒不安定化」というように類似点をいくつも挙げることが出来る。罹患した患者は中世の医学では原因を究明できず、「気が触れた」や「魔に魅入られた」とされ、ヴァンパイアや前段階の悪鬼伝説に大いに影響を与えた事は間違いないだろう。
以上のように理由があって成立した弱点だけではなく、明確な理由のない、半ば民間信仰のまじないのような弱点も存在する。例えば、豆に弱いという弱点。これは「日本の『鬼』が炒り豆によって火傷する」という事を吸血『鬼』に結びつけたかのようにも見えるが、そういう事ではない。(作品によってはそのような解釈を持つものも無くはないが)
西洋に実際に存在するまじないの一つであり、「悪鬼の類は網戸の目や地面に撒かれた豆など、『無数』のものをみつけると数えずにはいられない。更に一夜ごとに1つずつしか数えられないので、家に訪れる事はない」というもの。これをそのままヴァンパイアにあてはめたものであり、これにはあまり宗教的な意味合いなどは見受けられない。
このような弱点的特徴の中で、見解が分かれるものが少なからず存在する。
最も顕著なのは「吸血鬼は流水を渡れない」というものだ。
そもそも、何故吸血鬼は流れる水を渡る事が出来ないのであろうか。
それは、キリスト教には「流刑」が存在する事が理由の一つである可能性が高い。
吸血鬼という最も憎むべき存在が流刑から逃れてしまっては面目が立たない、ではないが、
神の裁きにおける流刑では、いかに吸血鬼とて逃れる事は出来ない、という事なのだろう。
流刑によって孤島に残された吸血鬼は、血を吸う事が出来ずやがて滅びてしまう。下された裁きは覆る事が無い。
または、キリスト教には洗礼という儀式が存在してきた事も考えられる。
聖書に水のパプテスマと書かれている通り、これは元々は川という水の流れにより罪を洗い流すことであった。
このことから邪悪な存在である吸血鬼は、存在の根源である邪気を流水によって流されてしまうために動けなくなってしまう、という解釈がなされたのではないだろうか。
いずれにせよ、流水と悪鬼は相容れぬ存在という考えは確かに存在する。
では、雨も流れる水であるが、それに触れる事は可能か否か?
流水を渡れぬのであれば、流れの無い湖沼ではどうか?
流刑を元に考えるのであれば、吸血鬼自身の領地内にある湖沼ではどうか?
洗礼を元に考えるのであれば、聖河と呼ばれぬ河川や汚水、水深が浸礼(洗礼の所作の一つ)に足りえぬ流水ではどうか?
蝙蝠と化して水の上を飛び去る事は可能か否か?
この弱点に対する疑問は尽きない。
結果、この弱点に対する見解は作品毎に差異を生じさせる。
とある作品では夜雨に濡れつつ血を求めさまよい歩く。
とある作品では雨を肌に伝わらせる事すら出来ない。
またとある作品では下水道を自分の庭の如く巣食い、汚水を自在に渡る醜いヴァンパイアもある。
清流のみを禁忌とする見解もあれば、そのような弱点を最初から持ち合わせていない作品もある。
しかしながら、こういった差異について、何が正しく何が間違った見解かは、論じる事に意味をもたない。
なぜならば、ヴァンパイアは作品が生み出される毎にそのあり方を変え続けるのだから。
(ニコニコ大百科に記事のあるもののみ。その他の作品についてはWikipedia「吸血鬼を題材にした作品の一覧」の項を参照)
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最終更新:2024/05/23(木) 03:00
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