あのね商法とは、TV放映作品を放映期間だけで完結させず、DVDやOVA、劇場版など有料コンテンツでのみ最終話を放映する行為を指す言葉。
2006年に放映されたアニメ「かしまし~ガール・ミーツ・ガール~」のラストシーンが由来。
※以下の記述には「かしまし~ガール・ミーツ・ガール~」のネタバレを含みます。ご注意ください。
概要(ネタバレ注意)
「かしまし」のおおまかなストーリーは、女性化してしまった男子高校生・大佛はずむと、はずむの男性時の思い人で男性の顔を認識できないという病を患っている神泉やす菜、はずむの幼なじみである来栖とまりの3人による三角関係のラブストーリーである。
はずむの女性化というアクシデントによって、はずむが男性であるが故に一度その告白を拒絶したやす菜は再びはずむを意識し、とまりもまたはずむのことを大切な存在だと再認識したことで三角関係となる。ふたりから好意を寄せられたはずむは「傷つけたくないからどちらも選べない」という理由で迷い続けるが、最終的に、やす菜の病状が悪化したことではずむはやす菜を選び、とまりと別れるという結末を迎える。
……のだが、テレビ放映の最終話となった12話のラスト30秒において、やす菜がはずむへ「あのね、」となにごとかを言いかけ、さらに場面を変えてはずむがとまりに対して「あのね、」と言いかけたところで終了。最終回となる13話は7ヶ月後のDVD最終巻に収録、というコンボによって大きな議論を巻き起こした。
同時期に「IGPX」が全26話のうち24話で放映を終了し、ラスト2話を同様にDVDのみの収録としたこともあって、このような販促手法が増えるのか、という危惧から、同様の手法を揶揄する言葉としてあのね商法という語が生まれた。
で、実際どうなの?
実際のところ、「かしまし」のラストシーンが「あのね、」で切られたのは販促手法ではなく作品としての演出であるという論は当時から語られている。
その論は、12話ではずむがやす菜を選んだのは、やす菜の病気が悪化したからであって、純粋な恋愛感情としての好意からではない。そしてラストシーン、とまりへ向けて「あのね」と呼びかける場面では、はずむは作中で「とまりのお婿さんになるための試練」として語られていた行為(飛び石を跳ねて川を渡る)を行ったあとでそう呼びかけているため、このラストシーンは「はずむととまりは病気の悪化したやす菜のために一時的に別れたが、やす菜の病状の改善によって改めて結ばれた」という事実を敢えて多くを語らずに描いたものである、というもの。詳しいところはこのへんを参照されたい。
つまり、この論にのっとれば「かしまし」という三角関係のドラマはテレビ放映された12話で完結しているのである。ではなぜこのラストシーンが「あのね商法」と揶揄される言葉の元になってしまったのか。その原因はひとえに13話が存在したというその事実のみに尽きる。
本作が全12話であれば、このラストシーンは余韻を残した美しい結末として視聴者から賞賛されたかもしれない。しかし、12話の放映時点でDVDのみの13話の存在が既に明らかになっていたため、視聴者の多くはこの結末を即座に「13話への引き」と解釈してしまった。つまり、13話の存在が「余韻」を「引き」と視聴者に誤解させてしまったが故の不幸なすれ違いなのである。……と思われる。
強いて言えば、スタッフロール後の30秒という僅かな時間で畳みかけるようにラストシーンが語られたため、視聴者に「はずむの手を離したやす菜の行動の意味」と「はずむが川を渡るという行為の意味」を考えさせる余裕が足りなかったという点はあるかもしれない。が、やはり13話の存在自体がこの結末を視聴者に「引き」と認識させた部分は大きいと思われる。
なので、本作を12話で完結していると見なすファンからは、未完結の作品を指して「あのね商法」と呼称することはあまり良く思われないので注意が必要である。
なお、かしましの担当プロデューサーはアニメの放送中に13話のOVAの製作が決定したといい(DVD等の予約状況が判断材料か?)、最終回はOVAという意図は無かったということをラジオ番組の偽・うpのギョーカイ時事放談や、のら犬キョーダイのギョーカイ時事放談等で語っている。
関連項目
- かしまし~ガール・ミーツ・ガール~
- 仮面ライダーディケイド - 本作品より3年後、この商法をある意味完成させた
- 未来日記 - 原作ラストシーンの直前にアニメ終了、ハッピーエンドのOVAが本編TVシリーズ最終回の1年半後に放映発売された。
- 続きはwebで
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