スリーマイル島原子力発電所事故とは、1979年3月28日にアメリカ合衆国ペンシルバニア州にあるスリーマイル島原子力発電所で起きた原子力事故である。Three Mile Islandの頭文字からTMI事故とも呼ばれる。
国際原子力機関(IAEA)と経済協力開発機構原子力機関 (OECD/NEA) が定める国際原子力事象評価尺度ではレベル5の事例とされている。
事故前の小さなトラブル
スリーマイル島原子力発電所の2号炉では配管系のトラブルがよく起きており、2号炉の運転開始から3ヶ月が経過した1979年3月28日にも作業員がその補修を行っていた。
ところがその際に補修作業で使っていた水が弁制御などの空気圧系操作を行う場所へも混入してしまい、自動制御システムが作動してメインの給水ポンプとタービンが停止してしまう。
そして炉内の温度が上昇し、内部気圧が高まったために今度は安全弁が作動。圧力が下がれば弁は閉じるはずなのだが、弁がそのまま固着してしまい、開きっぱなしの炉内の冷却水が水蒸気という形で逃げていった。
この異常事態に原子炉は自動的にスクラム(制御棒の全挿入による核反応停止)を開始。それと同時に非常用炉心冷却装置が作動して危機的の状況を迎える前に問題は解決したかに見えた。
冷却装置停止、そして事故へ
緊急冷却装置は炉内へ順調に水を送り込み、あとは収拾を待つのみとなったその時に再び問題が発生した。
加圧水位計が「冷却水過剰」の数値を示したのだ。しかしこれは、沸騰した冷却水が生み出した気泡が水位計に流入してしまったため。
本来ならばそのまま冷却装置を作動させておけばよかったのだが、「冷却水過剰」を知った作業員が緊急冷却装置も手動で停止。
全ての冷却装置が停止した結果、大量の冷却水が失われて燃料棒の3分の2が露出して空焚き状態に。結果、運転員の手で冷却装置が回復するまでに炉心溶融(メルトダウン)を招くこととなり、燃料棒の45%に相当する62tが溶けて原子炉圧力容器の底に溜まった。
急激なメルトダウンが起きた原因として、空焚きに加えて冷却水投入→停止→冷却水投入と急激な温度変化に燃料棒が耐えられなかったこともあると思われる。
被害と避難指示
希ガス(ヘリウム、アルゴン、キセノン等)92.5 PBq(250万キュリー)、ヨウ素555GBq(15キュリー)と言った放射性物質が漏れ出したが幸い周辺住民の被曝は0.01 - 1mSv程度に収まり、西側諸国で起きた事故としてはウインズケール原子炉火災事故(イギリス)よりも被害を抑えることはできた。
ただし、事故としては1979年当時の時点でウラル核惨事(ソビエト連邦)、ウインズケール原子炉火災事故に次ぐ最悪の事故であることは間違いない。
事故発生はもちろんニュースとなり、水素爆発の危険も高まったことから事故発生から三日後には8キロ以内の学校の閉鎖、妊婦や学齢前の幼児の避難勧告、16キロ以内の住人の屋内待機勧告などが発令され、周辺は避難する車で大パニックとなった。
原発安全神話崩壊
事故は人為的ミスが重なった結果起きており、何重にも張りめぐらされた安全装置が無意味なものとなってしまったことで関係者に衝撃を与えた。
また、原発事故としては初の重大事故(それ以前は軍事施設や再処理工場での事故のみ)であり、7年後にチェルノブイリの事故が起きるまでは最悪の原発事故として知られることとなる。
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関連項目
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