スリーマウンテンズとは東北楽天ゴールデンイーグルスの勝利の方程式である。
概要
青山浩二、片山博視、小山伸一郎の3人による劇場風必勝継投リレー。名付け親は楽天主催試合を実況する加藤じろうアナウンサーである。
元々西武の俺達に対抗する勢力、袖達と言われた面々だけに、抑えられるときは強いが軽くくすぶるのがポイント。
2010年ペナントシーズン、イーグルスの抑えとして踏ん張ってきた川岸強が不調に。
川岸は2軍降格となり、代わりに抑えを任命されたのが小山伸一郎だった。
その結果、中継ぎの青山浩二、片山博視というように○山が3人揃ったために名付けられた。これがスリーマウンテンズの始まりである。
ちなみに、山がつくリリーフはほかに山村がいるが勝ち試合で投げることが少ないので今のところ加入予定はない。
勝ち継投には阪神のJFK(ジェフ・ウィリアムス 藤川球児 久保田智之)やソフトバンクのSBM48(摂津正 ブライアン・ファルケンボーグ 馬原孝浩 甲藤啓介)といった勝利の方程式があり、楽天でも勝利の方程式を構築できたことは大きな成長であった。そのため、スリーマウンテンズの構築は成績低迷気味であったブラウン監督時代の功績の一つとして数えられる。
ところが、その年のオフに突如解散式を(ひそかに)断行。さらに星野仙一へ監督が交代し、青山・片山には先発転向プランが囁かれる。そして始まった2011年ペナントで実際に青山は先発を任されたが振るわず中継ぎへ出戻り。交流戦に入ってからはまさかの小山の奇襲先発(2回5失点ノックアウト 奇襲失敗)、片山もそれに続いた(4回11失点 1イニング10失点はパリーグ最多タイ失点)。結局、この年の彼らに先発は向いていなかった。
その後は仲良くみんな中継ぎや抑えへ。中継ぎに戻ると青山の一時の乱調・2軍落ちはあれど立て直して安定した成績を残した。
特に三山最年長の小山は前半はスパイアー、サンチェスに、後半は怪我明けからリリーフ転向したラズナーに抑えの席を譲るが中継ぎとして勝ち星のハイエナと化し、田中の19勝、塩見の9勝に次ぐ球団3位の8勝を挙げた。
ちなみにスリーマウンテンズは名付けの経緯上一部で使われていた通称であったが、週刊ベースボールで普通に使われていた。
イーグルスの公式になったの?という疑問があったが、本項の掲示板にて次のような情報が寄せられた。
6 : ななしのよっしん :2011/10/25(火) 19:13:28 ID: SmkmF+NNjO
安定した投球で今季は先発陣入りも
昨年は先発として開幕を迎えながらもケガで離脱。しかし復帰後は中継ぎとして活躍し、片山、小山と勝利のバトンをつなぐ「スリーマウンテンズ」の一角に。結果として、自己最高の防御率1.72と、自己最多となる5勝、15ホールドを記録した。今季は速球と多彩な変化球を操り、先発ローテーション入りへ強い意欲を見せる。
イーグルスの公式サイトに青山選手の紹介ページに書いてたということは球団公認だったんだなw
ちなみに青山選手のイーグルス公式サイトの項目はこちら。確かに記述されていた。
球団さん、グッズ展開まだー?
年度別投手成績
2010年度
選手 | 登板数 | 勝利 | 敗戦 | ホールド | セーブ | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|
青山浩二 | 41 | 5 | 1 | 15 | 1 | 1.72 |
片山博視 | 53 | 1 | 2 | 10 | 0 | 1.88 |
小山伸一郎 | 55 | 5 | 4 | 15 | 11 | 2.01 |
2011年度
選手 | 登板数 | 勝利 | 敗戦 | ホールド | セーブ | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|
青山浩二 | 51 | 3 | 4 | 23 | 2 | 2.79 |
片山博視 | 59 | 2 | 3 | 23 | 0 | 3.43 |
小山伸一郎 | 50 | 8 | 4 | 11 | 0 | 2.88 |
選手 | 登板数 | 勝利 | 敗戦 | ホールド | セーブ | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|
ダレル・ラズナー | 34 | 3 | 4 | 1 | 17 | 2.04 |
ライアン・スパイアー | 30 | 1 | 4 | 3 | 8 | 4.60 |
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