ビクトリアカップ (英:Victoria Cup)とは、かつてJRAが1970年から1975年まで京都競馬場芝2400mで開催していた3歳牝馬限定のオープンクラスの重賞競走である。
概要
1960年代以前の日本競馬における3歳牝馬の競走体系は、イギリスのクラシックに範をとった桜花賞、優駿牝馬、そして菊花賞で構成されていた。
戦前には変則三冠馬クリフジ、戦後にはブラウニーが優勝、52年には二冠牝馬スウヰイスーが半馬身差で2着になるなど、イギリスと同じく牝馬も勝負になる競走体系ではあったのだが、60年以降は優勝争いに加わるような牝馬が少なくなり、牡馬に混ざっての3000mは長すぎるのではないかと考えられ始めた。そこでイギリスに代わってフランスの3歳牝馬路線の最終戦、ヴェルメイユ賞を基に京都2400mで開催されることになったのがこのビクトリアカップである。
前述のとおり日本のクラシック競走はイギリスを基にした桜花賞、皐月賞、優駿牝馬、東京優駿、菊花賞の5レースなので、ビクトリアカップは牝馬三冠に含まれる競走ではあるがクラシック競走ではない。更に当時はグレード制導入前であったので、格付けとしてはオープンの重賞でGI競走でもなく、また当時の大レースの代名詞であった八大競走に含まれることもなかった。ただし菊花賞に代わる牝馬三冠路線の最終戦として賞金額は他のクラシック競走に準ずるものとされ、一定の格は保っていた。
その後1975年に日本に英国女王エリザベス2世が来日したことを記念して新たに「エリザベス女王杯」が新設されることになった。エリザベス女王杯の施工条件はビクトリアカップと同じ京都競馬場芝2400mであり、実質的には同じ競走ではあったものの、施行回数は引き継がれず、第6回を最後に廃止された。
たった6回しか開催されなかった為三冠を達成した牝馬は現れなかったが、優勝馬の内アチーブスター、ニットウチドリ、トウコウエルザとビクトリアカップを含む形で二冠を達成した競走馬が3頭存在する。また最後の開催年である1975年はテスコガビーが創設後初めて春二冠を勝利したが、脚部不安によりビクトリアカップ出走を断念している。三冠牝馬は廃止された10年後、メジロラモーヌが1986年にエリザベス女王杯を勝利し、初めて達成することになった。
歴代優勝馬
回数 | 開催日 | 競馬場 | 距離 | 優勝馬 | 性齢 | 勝利騎手 | 勝ち時計 |
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第6回 | 1975年11月16日 | 京都 | 芝2400m | ヒダロマン | 牝3 | 武田悟 | 2.35.0 |
第5回 | 1973年11月18日 | 京都 | 芝2400m | トウコウエルザ | 牝3 | 嶋田功 | 2.34.1 |
第4回 | 1973年11月18日 | 京都 | 芝2400m | ニットウチドリ | 牝3 | 横山富雄 | 2.29.0 |
第3回 | 1972年11月19日 | 京都 | 芝2400m | アチーブスター | 牝3 | 武邦彦 | 2.33.7 |
第2回 | 1971年11月21日 | 京都 | 芝2400m | タイヨウコトブキ | 牝3 | 高橋隆 | 2.29.1 |
第1回 | 1970年11月22日 | 京都 | 芝2400m | クニノハナ | 牝3 | 目野哲也 | 2.33.9 |
関連コミュニティ
関連項目
中央競馬の世代別重賞 | |
五大クラシック | |
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桜花賞 - 皐月賞 - 優駿牝馬 - 東京優駿 - 菊花賞 | |
その他の世代別GI | |
2歳 | 朝日杯フューチュリティステークス - 阪神ジュベナイルフィリーズ - ホープフルステークス |
3歳 | NHKマイルカップ - 秋華賞 |
廃止・変更された競走 | |
2歳 | 阪神3歳ステークス |
3歳 | ビクトリアカップ - エリザベス女王杯 |
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脚注
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