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クリフジ
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クリフジとは、1940年まれの競走馬GI級競走を含めた日本における生涯敗の最多記録を今でも保持し、シンボリルドルフを管理した野調教師に「史上最強」と言わしめた

ちなみに、これからることはではない。本当の話である。もちろんダビスタの中の話でもない

年齢現在の表記とします

概要

戦前の大種牡馬*トウルソル小岩井農場が1907年に輸入した名系の祖*アスニシメントに遡る系に属する賢天皇賞の前身に当たる室御賞典の勝ちを17頭も出した大種牡馬*チヤペルブラムプトンという血統。生まれたのは現在成田空港の場所にあった官営牧場下総御料牧場である。
名前漢字だが、これは当時、が繁殖入りする時には繁殖名というのを付けたからである。

クリフジは当時としてはかなり大きなであった。均より体高が10cmも大きかったというのだから、頭一つ飛び出ていたと言うことになる。競馬解説者だった大川次郎氏は事あるごとに「クリフジは格好が悪くて」と言っていた。確かに写真で見た感じ、頭が大きくてがっしりとしたガテン系のである。なんだが

しかしながら、クリフジは東京優駿の1着賞が1万円だった当時としてはかなり高値の4万円で、日本有数の運会社「栗林」の会長であり、競馬界全体の発展にも尽した大馬主栗林友二氏に購買された。いわく、顔が良かったそうである。栗林、という姓でピンときた人もいるかもしれないが、ライスシャワー馬主栗林英雄氏もこの栗林の出で、本業では栗林グループ会社の栗林運輸を率い、競馬関連では馬主業および競走馬生産事業を引き継いた人である。クリフジの現役時代は写真映像モノクロしか残っていないが、その勝負服ライスシャワーのそれと同じである。

「大尾形」と呼ばれた名伯楽・尾形吉師に預託されたクリフジは当初脚元に不安があり、中山4歳牝馬特別(現在桜花賞)と横浜省賞典4歳呼(現在皐月賞)が終わった後の3歳5月にようやくデビューした。このデビュー戦をクリフジは1身差で制する。ちなみに、この1身差の勝利彼女にとってもっとも少ない着差での勝利である。

2週間後の次戦を大差で勝つと、クリフジは連闘で東京優駿に駒を進める。今でこそ連闘でのGIはそれ自体がニュースになるようなローテーションだが、当時は翌週に使うのはしくなかったばかりか1戦使った翌日に使うこともあったため、その辺りを不安視する向きは大きくなかったと考えられる。
この頃は優駿牝馬に「阪神優駿牝馬」として開催されていたこともあってダービーに出走すること自体はしくなく、毎年少なくとも3頭ぐらいは出走していた。そんな中、前走があまりに強かった(というか前走で大差をつけた相手がこの年の桜花賞ミスセフト)せいかクリフジは1番人気に支持される

当時のスタート方式はバリヤー式といって、スタートラインにロープをってを出さないようにするだけの簡単なものだった。クリフジはスタート時点で横を向いており、スタートが切られた間大きく出遅れてしまう。この時の出走頭数は25頭。多頭数のダービーでは1コーナーを10番手以内で通過しなければ勝てないといういわゆる「ダービーポジション」があると言われていた。つまり、この時点でクリフジは終わった、と考えても良いくらいの致命的な出遅れだったのである。

ところがである。第4コーナー。クリフジは先頭に並び掛けていた。「あれ? 何時の間に来たの?」と疑問に思う間もなく、直線に入ると桁の違う脚色で一気に抜け出し、後は差が開く一方。前田長吉騎手が「後ろのの足音が聞こえないから、何かあったのかと思った」と後ろを振り返るほどの圧勝。ダービーを勝ったのはヒサトモに続いて6年ぶり2頭だったが、その次は64年後のウオッカまで出なかった。
前田騎手は史上最年少(20歳3ヶ)でのダービー制覇。出遅れておきながら6身差、レコードを1.5以上も縮めるなど記録尽くしの勝利だった。クリフジはレースが終わってもけろっとしていたという。

を越して阪神優駿牝馬すクリフジは9月混合レースに出走。ここにはシンザンである前年の菊花賞ハヤタケが出走していたのだが、3身ちぎって圧勝。古を交えてこの強さではオークスなどやるまでもい。オークスでは10身差でミスセフトを再び粉砕

あまりの強さに続く古混合戦では63kgも背負わされるも10身差で楽勝した。続くレースでは62.5kgを背負ったが再び10身差で勝利した。

そんなクリフジが京都省賞典4歳呼(現在菊花賞)に出走した。ここでは斤量は55.5kg。これまでの斤量を考えれば裸同然である。負けるはずがい。クリフジはここを大差、つまり10身をはるかえる差をつけて楽勝した菊花賞が制した例は現在まで2つしかなく、菊花賞を大差で勝ったのは幾多の勝ちの中でもこれまでクリフジただ1頭である。

1944年。古になったクリフジは現役を続け、当時行われていた大レース横浜記念競走に58.5kgを背負いながらレコードで圧勝するなど活躍を見せたが、室御賞典を前に熱発に見舞われ出走を中止。そのまま引退した。

1944~1945年競馬行そのものが中止となり、レースは「軍用、またはそれらを産む繁殖としての検定試験」として行われていた。舞台東京京都でのみ開催され、観客もおらず(観戦者は軍の関係者200~250人程度)、馬券も発売されないという異様な環境下であった。こんな状況下でなければクリフジももう少し現役を続けてくれたかもしれない。時勢が実に恨まれる。

通算成績11戦11勝日本中央競馬史上、10戦をえる戦歴を敗で終えたはクリフジとトキノミノル(10戦10勝)しかいない。現在で言うダービーオークス菊花賞を制して変則三冠馬と言われているが、オークス菊花賞を制したはクリフジただ1頭。ちなみにダービー菊花賞という二冠も他にタケホープがいるのみ。勝ったレース1600mから3000m。合計着差は実に80身以上である。

この圧倒的な戦績から、このこそ日本競馬史上最強であるという人も多い。特にシンボリルドルフを管理した野調教師(この人は戦前から騎手だった)は、自らが管理したルドルフを差し置いてクリフジを史上最強として上げている。いわく「あのは別格」だそうである。

クリフジは年と名を変えて繁殖に上がってからも二冠+菊花賞3着という成績を残したヤマイチなど3頭の重賞勝ちを出した。名が名繁殖にならない例も多いのでこれは立な物だと言える。ナリタブライアンの勝ったダービーで最下位になったサムソンビッグ彼女の子孫である。

1964年、24歳で死亡系は21世紀まで地に残り、最近では2011年のNARグランプリ最優秀2歳であるエンジェルツイートの7代にその名を見ることができる。

ちなみに、クリフジの騎手だった前田騎手はクリフジが引退した5ヵ後に徴兵され、戦後シベリアに抑留。そこで死去。23歳だった。遺日本に帰還したのは60年後のことである。

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65 ななしのよっしん
2021/12/07(火) 16:09:45 ID: 1EGMjIhZgK
他を引き合いに出す必要これっぽっちもないな
この戦績は問答用だよ
かっこいいなあ
66 ななしのよっしん
2021/12/09(木) 14:27:27 ID: ayroxwofIw
クリフジ血統表を調べてみたら大体セントサイモン系とマッチェム系とエクリプス系の繁殖種牡馬で交配されてるのか
67 ななし
2021/12/11(土) 13:55:49 ID: 3QXZHf7xv+
クリフジの圧倒的な強さは分かるが必死こいてマルゼンスキーsageしたいが掲示版にこうもいると、はぁ…ってなるなぁ…クリフジファンってこういう層なんだなぁって
68 ななしのよっしん
2021/12/11(土) 20:40:00 ID: 4MouAWq4fX
>>67 ななし 2021/12/11(土) 13:55:49 ID: 3QXZHf7xv+
> 必死こいてマルゼンスキーsageしたいが掲示版にこうもいると、はぁ…ってなるなぁ…クリフジファンってこういう層なんだなぁって

掲示版にいる「マルゼンスキーsageしたい」って具体的に誰? どのレス
全66レス確認したけど全く見つけられなかったんだけど
69 ななしのよっしん
2021/12/18(土) 02:25:43 ID: ayroxwofIw
実はチャペルブラムプトンには他にも面情報があって系の祖にはセントサイモンと並んで後世に大きなを及ぼした名繁殖のポカホンタスが居るんだよね
アローリア系の子孫らしいけどポカホンタスはヘロド系のとの事
70 ななしのよっしん
2022/02/07(月) 09:44:21 ID: vbjWnyPb/0
ディープが出る前なら最強名乗ってもギリ許されるけど、ディープ後である今では寒い逆張りでしかないよね
71 ななしのよっしん
2022/02/22(火) 15:14:08 ID: 3OEk4Ox/gX
ウオッカの前のダービーと聞いて見たらオークスも勝ってて菊花賞も勝っててもうワケワカメ

なんやこいつ…( ˘ω˘ )
72 ななしのよっしん
2022/04/07(木) 22:41:22 ID: IfPGW2kgx0
このの脚部不安の部分が詳しく書かれてないからカキコするけどセリに出された段階で蹄をぶっ壊してて調教中に後脚で前脚を蹴ってにヒビが入ってさらに膜炎も併発してたとか
トキノミノル程じゃないにしろクリフジも割と脚に爆弾を抱えてたらしい

出典は「名を読む 第1巻」のクリフジの項
73 ななしのよっしん
2022/04/07(木) 22:45:39 ID: IfPGW2kgx0
>>72

書き忘れてたけど蹄をぶっ壊してたから売れ残り組だったらしい
それを栗林氏が一見て「このはやれる!」と確信して高額落札らしい
んで条件に御料牧場引退後は払い戻しが条件になってた
正直栗林氏が繁殖後も持ってた方がもっといいと配合できたのではないかと思ってる
イチジヨウやヤマイチやホマレモンは御料牧場に居たから産まれたのだろうけどそれ以外はなぁと
74 ななしのよっしん
2022/05/30(月) 06:22:22 ID: 4pzcMiYFUO
クリフジ菊花賞2着が翌年の室御章典勝利ヒロサクラ
これに大差付けてるのはヤバくないか。