ひょっとして: えりちん - 漫画家。『みたむらくん』『描かないマンガ家』(白泉社)
ボリス・ニコラーエヴィッチ・エリツィン(Борис Николаевич Ельцин, Borís Nikoláyevich Yél'tsin, バリース・ニカラーイヴィチ・イェーリツィン 1931~2007)はソ連とロシアの政治家。ロシア連邦初代大統領(任期:1991~1999)。
概要 ロシアの政治家
ソ連崩壊の最後のトリガーを引いた人物。そして、トラとも戦う元KGB長官の前任者。
ウラル工科大学で建築学を修め、地元スヴェルドロフスク州の建築会社に勤めていたが、30歳の時に共産党入りし、45歳の時に州の党第一書記に就任。50歳の時に最晩年のブレジネフ書記長に見出され中央入りを果たす。
ゴルバチョフ書記長時代は改革の急先鋒として孤立したため要職を解任されるも、翌くる1991年には政界復帰してソビエト連邦ロシア共和国大統領に就任する。
ロシア共和国大統領時代
バルト三国への武力干渉等によりゴルバチョフ大統領への批判が高まる中、ついに1991年8月にヤナーエフ連邦副大統領ら反改革旧守派によって8・19クーデターが発生する。この時、エリツィンは自ら戦車兵を説得して寝返らせ、クリミアに幽閉されたゴルバチョフの救出にも成功してクーデター終結を宣言するなど、内外での存在感を急速に増していく。
クーデター終結の2日後、エリツィンはロシア共産党の活動停止を宣言、瞬く間に旧守派に引導を渡していく。またバルト三国承認を余儀なくされたゴルバチョフが巻き返しを図った11月の新しい連邦条約にも、同じくソ連を構成しているウクライナ共々不参加を表明し、12月にはウクライナとベラルーシの両首脳と秘かに謀って同時にソビエトからの離脱を宣言する。
これにより、主要な構成国を失ったソ連は瓦解し、25日にゴルバチョフは大統領を辞任。かくしてレーニンから始まった社会主義国家という、70年間弱にも亘った壮大な実験に終止符が打たれることになる。
ロシア連邦大統領時代
ロシア共和国からロシア連邦に国名が変わったが大統領としての任期は残っていたため、エリツィンは引き続きロシア連邦初代大統領に就いた。
政治的な功績としてアメリカをはじめとする西側諸国との融和が上げられるが、時間が経過するに連れ議会(最高会議)との対立などの問題が表面化した。1993年には議会を戦車で砲撃するという強硬手段に出て、ソ連から引き継いだ最高会議を廃止している。この後、ロシアでは新しい憲法が制定され、新しい立法府が成立した。
1994年にはロシアから独立する姿勢を見せたチェチェンに軍隊を派遣するもののゲリラ的抵抗にあい、抵抗勢力を完全に制圧することには失敗。95年には休戦宣言を出し、96年には抵抗勢力の指導者と会談、97年には完全に軍隊を撤退させた(第一次チェチェン紛争)。このあたりからエリツィンの政権は揺らぐようになっていく。
また、大統領の側近達が力を持ち始め、政治腐敗が叫ばれるようにもなり、98年以降は相次ぐ首相の交替など迷走が見られるようになっていく。次々に挿げ替えられていく首相の最後の一人となったのがプーチンである。
そして、99年12月31日、エリツィンは突然の大統領辞任を発表。そして、ロシアはウラジーミル・プーチンの手にゆだねられることになった。
政界引退後は静かに暮らしていたようで、ときおりプーチンの政治に対して発言することはあったものの、ナイナ夫人と共に平穏無事な老後を過ごし、持病の心疾患により2007年に死去した。享年76歳。
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