劉璿(224 ~ 264)とは、三国時代の蜀漢の皇太子である。
字(あざな)は「文衡」。
正史では
劉備が苦節の果てに建国した蜀漢の2代皇帝「劉禅」の長男に生まれる。
ちなみに生母は敬哀皇后の侍女だった王貴人。まぁ詮索するのはよすとしよう。
劉禅の即位と共に15歳で皇太子となり、費禕の長女を皇太子妃としたが、皇太子としての仕事については記録がみうけられず、遊楽やら騎射やらを好んでいるのを霍弋に諌められたりしていた。
劉禅が降伏して蜀漢が滅亡した後、魏都へと向う道中で、鍾会が姜維と共に反乱を起こそうとした混乱の中で魏の兵士により殺害され、皇太子ながら最後まで華々しい活躍等無い空気の様な存在だった。
ちなみに、蜀漢消滅時に憤死した弟の劉諶以外の兄弟や父の劉禅は、洛陽に移り住んでいる。まるで先帝劉備の怒りを一人で受けた様なものである。
演義では
※その他「劉璿」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照
コーエー『三國志』シリーズ
三國志11では、生気の抜けていて今にも死にそうな貧相な顔をしている。皇族なのに。
能力値一覧
蜀滅亡時に憤死した弟の劉諶に比べると低目に設定されている。父親はさらに低いが
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 陸指 | 水指 | 身体 | 運勢 | |
三國志 | - | - | - | - | - | ||||
三國志II | - | - | - | ||||||
三國志III | - | - | - | - | - | - | |||
三國志IV | - | - | - | - | - | ||||
三國志V | - | - | - | - | |||||
三國志VI | - | - | - | - | - | ||||
三國志VII | - | - | - | - | |||||
三國志VIII | - | - | - | - | |||||
三國志IX | 19 | 52 | 36 | 51 | |||||
三國志X | 9 | 21 | 39 | 44 | 55 | ||||
三國志11 | 8 | 21 | 36 | 51 | 55 |
統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 特技 | 槍兵 | 戟兵 | 弩兵 | 騎兵 | 兵器 | 水軍 | ||
父 | 劉禅 | 3 | 5 | 9 | 4 | 56 | 強運 | C | C | C | C | C | C |
劉璿 | 8 | 21 | 36 | 51 | 55 | C | C | C | C | C | C | ||
弟 | 劉諶 | 60 | 62 | 69 | 73 | 82 | 怒髪 | B | A | B | C | C | C |
関連項目
親記事
子記事
- なし
兄弟記事
- 2
- 0pt
- ページ番号: 4404169
- リビジョン番号: 3306922
- 編集内容についての説明/コメント:
親記事を三国志に設定。名前を<ruby>に。表記ぶれを考慮せず大百科の記事名表記に倣うように。関連コミュニティ、商品欄を撤去。関連項目整理など