延長28回単語

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延長28回とは、プロ野球界における延長戦の世界記録である。

概要

1942年5月24日大洋軍対名古屋軍5回戦(後楽園球場)で生まれた世界記録大洋野口二郎名古屋西沢道夫投手り強く投げた結果、日引き分けとなった。両投手投し、野口344球、西沢311球を投げた。

現代のプロ野球では投手分業制が確立して、延長戦は12回までと定められており、メジャーリーグは延長制限とはいえ、おそらくこれを上回る記録は現れないと思われる、プロ野球明期に生まれた大記録である。

試合前

戦前プロ野球職業野球)は球場も少なく試合時間も短かったため、この日はトリプルヘッダーが組まれ、第一試合は名古屋軍朝日軍、第二試合は巨人軍大洋軍、そして第三戦にこの大洋軍対名古屋軍の試合が組まれた。よって、大洋軍と名古屋軍にとっては第三戦はこの日2試合となり、大洋軍に至っては前の試合の25分後にこの試合が行われるというハードスケジュールであった。

なお、名古屋軍現在中日ドラゴンズの前身である。大洋軍は大洋ホエールズとは全く関係なく、翌1943年会社が西鉄に移り西鉄軍となる。だが野球連盟が1944年限りで一時活動を休止する前、1943年シーズンオフチームは解散。その為、戦後に連盟復帰が認められず、西鉄1950年に新たなプロ野球チーム西鉄クリッパーズを結成し、現在埼玉西武ライオンズに至っている。

名古屋軍先発西島、21歳。後に打者転向して初代ミスタードラゴンズと称される事になる大選手だが、この頃はそこまで特別立った成績は残していない。一方の大洋軍の先発野口二郎、23歳。全員プロ野球選手野口兄弟の次男で、この年40勝(うち完封19、これは2022年現在でもNPB記録)を記録するエースで通称は「腕」、かつ4番も務める大選手である(徴兵による選手不足もあり、この年105試合のうち48試合で野口先発している)。ただ、21日、23日と2試合連続で完封勝利をあげていて、これで「明日登板しないよね?」と球団マネージャーに確認すると巨人軍川上哲治としこたまを飲んだが、先発オーダーに自分の名前がある事に驚愕二日酔い気味の中で登板することになる。

当時は太平洋戦争っただ中で、野球連盟も軍の圧を受けており引き分けがあるなどけしからん」「引き分けでは戦意高揚にならない」等と言われていたそうで、その結果この試合が生まれることになった。また、戦時中の為ボールの質が悪く、投高打低になり易かったという点もある(この1942年シーズンリーグ通算防御率は1.77で、2022年現在NPB記録である。対する首位打者呉昌征打率はたったの.286で、これもワースト記録であり3割未満なのはこれが一である)。

オーダー

名古屋
守備 名前 打数 安打 打点
(二) 石丸 12 0 0
(遊) 木村進一 11 2 0
(中) 桝嘉一 10 2 0
(右) 飯塚小鶴誠 11 1 0
(捕) 古川清蔵 11 2 2
(左) 吉田佐喜 11 2 0
(一) 野口正明 11 1 0
(投) 西沢道夫 11 2 0
(三) 芳賀直一 11 1 1

大洋
守備 名前 打数 安打 打点
(三) 中村信一 11 2 0
(遊) 濃人渉 9 1 0
(右) 三郎 10 2 2
(投) 野口二郎 12 1 0
(一) 野口 10 1 0
(左) 村松太郎 11 2 0
(二) 山川喜作 2 0 0
苅田久徳 11 1 1
(捕) 佐藤武夫 11 2 1
(中) 織部由三 10 1 0

スコアボード

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
名古屋 0 1 1 0 0 0 0 0 2 0
大洋 0 0 0 0 0 2 2 0 0 0
チーム 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20
名古屋 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
大洋 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
チーム 21 22 23 24 25 26 27 28 R H E
名古屋 0 0 0 0 0 0 0 0 4 13 5
大洋 0 0 0 0 0 0 0 0 4 15 6

試合展開

14時40分プレイボール

二日酔い野口は序盤不安定で、名古屋に2点の先制を許してしまう。だが、回を追うごとに本調子へと戻してゆき、それ以上の失点を許さない。6回裏、大洋の浅が2点タイムリーヒットを放ち同点。続く7回にも送りバントエラーになって2点を追加し4-2と大洋リードする。9回表、野口り強く投げて二死二塁までこぎつけるが、名古屋古川が起死回生の2ランホームランを放って同点、試合は延長戦に突入する。

その後は両チームともゼロ行進。10回から18回の間で、両チームヒットは共に3本止まりだった。延長25回で遂にイニングが日本記録に並ぶ。なおその前の記録1933年夏の甲子園準決勝、明石中対中商。奇しくもその試合で勝利した中商のキャッチャー野口二郎野口明で、この試合にもファーストとして出場していたため、プロアマ両方の延長戦最大記録を経験することになった。

延長26回でメジャーリーグ記録にも並んだこの回、名古屋は二死一塁の状況でピッチャー西沢が長打を放つが、外野からの中継を受けたセカンド苅田久徳の好送球ランナーは本塁憤死に終わる。この田はプロ野球明期屈の名セカンドとして有名な人物で、投は沢村栄治、打は景浦将、守は苅田久徳と評されるほどの名選手なので、興味を持っていただければ当該項を参照していただきたい。

世界記録更新となった延長27回裏、大洋キャッチャー佐藤が2アウトからツーベースを放ちサヨナラチャンスが訪れる(普通の打者ならスリーベースの当たりだったらしいが、佐藤が鈍足の為二塁で止まった)。続くラストバッターの織部が左中間へヒット。遂に勝ったと確信した大洋ナインホームベース佐藤を迎えようとベンチを飛び出すが、三塁を回ったところで佐藤が転んでしまう。必死で三塁に戻ろうとするがタッチアウトチェンジとなった。皆疲労困憊だったのだ。

延長28回を終えたところで日コールドで引き分け、試合終了。この時、審はまだ数イニング試合をやれると思っていたそうだが、野球連盟から「28回で終わりなさい」というメモを渡された為、試合終了と判断されたという。試合時間は当時としては異例の3時間47分。現代から見るとそれほど長いようには見えず、時代を感じさせる。

名古屋西沢311球を投げて被安打15、奪三振6、四死球6、自責点3。大洋野口344球を投げて被安打13、奪三振13、四死球6、自責点2であった。

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