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野口二郎(のぐち じろう)とは、「腕」の異名を持つ元プロ野球選手監督である。故人

概要

1920年1月6日生まれ。愛知県名古屋市出身。4人兄弟の次男として生まれ、野口明をはじめ4人ともプロ野球選手となっている。

商業に進学、3年までは外野手としてプレーし、4年のの大会前に投手に転向。エースとして甲子園大会を2度制覇し、1938年にはノーヒットノーランを含む4試合連続完封という選抜大会記録する。

1939年、多くの大学から入団オファーが届いたが、の明が所属していた東京ネタースに入団。

1年から69試合(うち先発45試合)に登板し、459投球回、33勝19敗、防御率2.04の成績を残しチームエースとして活躍。また、登板い日にはファースト外野手としても出場していた。

その後、大洋軍へ移籍。満州遠征時に肩を故障するも、1940年には防御率0.93、1941年には防御率0.88で2年連続で最優秀防御率タイトルを獲得。

1942年には9回途中までノーヒットノーランを演じた翌日に再び先発登板し、延長28回完投(試合は日引き分け、投球数344球)。この年は66試合登板し40勝17敗、防御率1.19をマーク最多勝を獲得。また、シーズン19完封勝利藤本英雄と並び現在でも世界最多記録となっている。

1943年に応召。1946年阪急ブレーブスへ復帰。

投手としては衰えが若干見られたものの、打者としては当時の記録である31試合連続安打記録

1948年には24勝を挙げ、1949年にはNPB記録シーズン13四球試合記録した。

1953年現役を引退

以降は阪急毎日近鉄などの二軍監督コーチを歴任、とくに西本幸雄監督と相性が良かった。

1989年野球殿堂入り。

2007年5月21日肺炎のため死去。享年87歳。

人物・エピソード

球数を抑えながら、持ち味である正確コントロールを活かし打たせて取るピッチングを武器にしていた。また、連投に連投を重ねる姿から「腕」の異名しまれた。

野手としては長打はないが三振が少なく、逆方向へおっつけるバッティングを得意としていた。

球史に残る大投手ながら偉ぶることがなく、穏やかで謙虚な人柄であったといわれている。

応召された際に中国派遣された後、本来フィリピン派遣される予定だったが、野口の活躍を知っていた上官が内に戻るように命じた。その後フィリピンへ向かった部隊全滅している。

通算成績

投手成績

通算:12年 登板 完投 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率 WHIP
NPB 512 259 65 237 139 --- --- .630 3447.1 647 1395 932 752 1.96 0.96

打撃成績

通算:13年 試合 打席 打数 得点 安打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 出塁率
NPB 1098 3594 3348 316 830 9 368 94 14 4 226 1 101 21 .248 .296

主な獲得タイトル・記録

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