松田清単語

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松田清(まつだ きよし)とは、元プロ野球選手である。故人。

概要

1930年12月11日生まれ。東京都渋谷区初台出身。

中野高等学校に進学。同校在学中の1949年読売ジャイアンツの入団テストを受けて、練習生として入団。

入団初年度の1949年は肩を故障したため、内野手としてプレー。一軍出場はなかった。

1950年、3試合に登板し、プロ勝利記録している。

1951年藤本英雄から伝授されたスライダー武器先発投手の一に食い込んだ。5月23日広島戦で5勝を挙げると、その後連勝街道を邁進して、以降負けなし。23勝3敗、防御率2.01、勝率.885という成績を残し、最優秀防御率最高勝率を受賞し、新人王にも選ばれた。同年記録した19連勝は現在でもセ・リーグ記録であり、勝率.883はセ・リーグ歴代2位記録である。

1952年シーズン登板の試合で勝利を挙げて連勝記録を20まで伸ばしたが、前年ほどのキレはなく、13勝7敗、防御率3.17という成績を記録

1953年以降はスランプに陥り、登板数が減。

1956年国鉄スワローズへ移籍。

国鉄初年度の1956年、10試合に登板して2勝を挙げたが、シーズン途中から外野手に転向。同年68試合に出場して、打率.252、1本塁打、12打点記録

以降は国鉄外野手として毎年100試合前後に出場し、打率も2割5分台の成績を残すなど、準レギュラーとして活躍を続けた。

1961年、60試合に出場したが、同年限りで現役引退

引退後は解説者を務めた後、南海ホークス投手コーチに就任。1977年までコーチを務め、1978年にはスコアラーを担当した。

南海退団後はサラリーマンとして働きながら、野球塾を開設し、後進の育成にあたっていた。

2007年2月18日、虚血性心疾患により死去。享年78歳。

人物・エピソード

重い直球と変化量の異なる2種類のカーブスライダー武器に活躍した左腕。制球力の高さや投球テンポの良さも持ち味であった。打者としては攻守にバランスの取れた選手であった。

導者や球団スタッフとしては「ハングリー野球」をモットーとして、選手とともに走り込んだりしていた。

性格は非常にであり、勝利時には他のナインに頭を下げて感謝する一幕も見られたという。

通算成績

投手成績

通算:7年 登板 完投 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率
NPB 103 18 4 39 14 --- --- .736 452.1 141 198 165 132 2.62

打撃成績

通算:12年 試合 打席 打数 得点 安打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 出塁率
NPB 676 1683 1484 154 356 11 108 25 35 8 148 8 239 18 .240 .312

獲得タイトル・表彰・記録

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