- プロ野球選手一覧 > 薮田安彦
薮田安彦(やぶた やすひこ、1973年6月19日-)とは、大阪府出身の元プロ野球選手(投手)である。
概要
OB | |
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薮田安彦 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府岸和田市 |
生年月日 | 1973年6月19日 |
身長 体重 |
183cm 87kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1995年ドラフト2位 |
引退 | 2013年 |
経歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
上宮高等学校時代は中村豊と同級生で、中村の家に居候していた。
1995年のドラフト2位で千葉ロッテマリーンズに入団。
ロッテ時代
入団当初は先発だったが先発時代はパッとせず、「予告先発が薮田だと千葉マリンの客が減る」とか言われていた。
2004年から中継ぎに転向し、球速も150km/hに伸びた。2005年は藤田宗一、小林雅英と共に勝利の方程式「YFK」を結成し、31年振りの優勝と日本一に貢献した。
2006年にはWBC日本代表に選ばれ、優勝に貢献。2007年オフにFA宣言し、カンザスシティ・ロイヤルズに移籍した。
しかしMLBではあまり活躍できず、8月以降はマイナーとロースターを行き来するようになった。その後2009年にロッテに復帰した。
2010年は小林宏之へ繋ぐセットアッパーを務め、CS・日本シリーズでは7試合で無失点と日本一に大きく貢献した。
2011年からクローザーに転向。低め140km/h後半の直球とフォークボールが冴えわたり、31セーブ、防御率1.75、WHIP0.90と守護神としての役割を全うした(ただしチームは最下位に沈む)。
2012年に1000投球回に到達。前年150km/h近く出ていた直球は衰えなのか最高142~143km/hまで落ちてしまい、僅差の場面で打ちこまれることが多くなってしまった。セーブ数こそ26とそこそこ成績を残すが、救援失敗は両リーグ最多タイの8で6敗、防御率は3.34と大幅に悪化してしまった。シーズン途中には中継ぎへの配置転換もされたことがあった(しかし薮田の代役としてクローザーとなった内は早々故障で離脱してしまい、結局割と早くに戻された)。
2013年は川崎憲次郎コーチの下シュートを習得し、空白となった守護神の枠に入らんと名乗りを上げたが間もなく右肩痛を発症。復帰を目指したが一軍登板は無し。二軍登板も6試合に留まり、ファームの全試合終了後引退を発表した。ホーム最終戦終了後のセレモニーにて同期入団のサブローと対戦。肩痛もありかつての球威は失われていたものの、見事サブローを三振に切って落とし有終の美を飾った。
引退後
野球解説者として、よく千葉マリンスタジアムに姿を見せている。
成績
通算投手成績
通算:17年 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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NPB:15年 | 520 | 93 | 7 | 1 | 48 | 72 | 67 | 112 | .400 | 1009.1 | 360 | 710 | 459 | 427 | 3.81 |
MLB:2年 | 43 | 0 | 0 | 0 | 3 | 4 | 0 | 0 | .429 | 51.2 | 24 | 34 | 42 | 41 | 7.14 |
国際大会での投手成績
年度 | 代表 | 大会 | 登板 | 先発 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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2006年 | 日本 | WBC | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4.1 | 0 | 5 | 1 | 1 | 2.08 |
タイトル・表彰・その他
タイトル | ||
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最優秀中継ぎ投手 | 1回 | 2007年 |
表彰 | ||
千葉市市民栄誉賞 | 1回 | 2006年 |
その他 | ||
オールスターゲーム選出 | 2回 | 2005年、2007年 |
関連動画
関連コミュニティ
関連項目
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