- プロ野球選手一覧 > 川崎憲次郎
川崎憲次郎(かわさき けんじろう、1971年1月8日-)とは、大分県佐伯市出身の元プロ野球選手(投手)である。
概要
OB | |
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川崎憲次郎 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大分県佐伯市 |
生年月日 | 1971年1月8日 |
身長 体重 |
180cm 78kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1988年ドラフト1位 |
引退 | 2004年 |
経歴 | |
選手歴 コーチ歴 | |
野球選手テンプレート |
津久見高等学校では甲子園に春夏連続出場を果たし、1988年ドラフト1位でヤクルトスワローズと読売ジャイアンツが競合し、抽選の結果ヤクルトに入団した。背番号17。
ヤクルト時代
1989年(1年目)から一軍の戦力となり4勝を挙げると、1990年には202イニングを投げ12勝13敗とローテーションに定着。初完封を読売ジャイアンツ戦で挙げる。以後巨人から29勝を挙げたことから巨人キラーと呼ばれた。
1992年は故障でシーズンを棒に振るなど故障がちであったが、主力投手としてヤクルトを牽引する。
故障の影響で1994年頃から低迷するが、1997年にシュートを覚えて復活。1998年は17勝10敗、防御率3.04と大車輪の活躍で最多勝と沢村賞を受賞した。
中日時代
2000年オフ、FA宣言して中日ドラゴンズへ年俸2億円の4年契約で移籍。中日のエースナンバーである20を与えられた。ボストン・レッドソックスからもオファーされたが、辞退した。星野仙一監督の「巨人を倒してくれ」という発言が移籍の決め手になったという(上原浩治の雑談魂)。
しかし、中日では右肩の故障で3年間一軍登板無し。二軍ですら3年間で2試合に登板しただけだった。給料泥棒と揶揄され、2003年のオールスターでは2ちゃんねるのプロ野球板で川崎をファン投票1位にしようという「川崎祭」(後述)が巻き起こった。
2004年、新監督・落合博満はなんと開幕投手に指名。開幕戦では打ち込まれたがチームは勝利した。この年3試合に登板して1敗。10月1日に中日は優勝したが、の翌10月2日に戦力外通告を受け、落合監督の計らいで10月3日のヤクルト戦が引退試合となる。古田敦也、宮本慎也、岩村明憲から連続三振を奪って現役生活を締めくくり、中日とヤクルトのナインから胴上げされた。
引退後
テレビ東京やニッポン放送で解説者を務め、2013年から2014年まで千葉ロッテマリーンズの一軍ブルペンコーチを勤めた。
2018年には四国アイランドリーグplusの香川オリーブガイナーズの投手コーチを務めた。
川崎祭
川崎を語る上で避けて通れないのが、2003年オールスターゲームでのファン投票である。
中日移籍後、年俸2億円を貰いながら全く投げることができないでいた川崎を揶揄する意味で、プロ野球板に「川崎憲次郎をオールスターファン投票1位にしよう。(当時のログ)」というスレが立つ。インターネット投票システムが容易に個人で大量の投票が可能であったため、この祭は火が付き、川崎は阪神タイガースの井川慶を上回り、ファン投票投手部門1位で選出される事態になった。
全く投げられていない自分に票が集まっていることに対して川崎は当初同情票だろうと思って感謝のコメントを残していたが、実態は晒し上げだということが発覚し、結局川崎はオールスターを辞退した。これ以降オールスターのインターネット投票も対策が取られるようになった。
2001年の田代祭と並び、2ちゃんねる発のインターネット投票荒らしとして有名な事件である。
なお、この祭の余波で、選出までは至らなかったが、セ・リーグ一塁手部門で打撃に定評のあった投手のトレイ・ムーアが票を集めたり、当時千葉ロッテマリーンズのリック・ショート(当時の登録名は「ショート」)が遊撃を守っていないにも関わらず遊撃手部門で票を集めたりしていた。
成績
通算投手成績
通算:12年 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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NPB | 237 | 202 | 64 | 15 | 88 | 81 | 2 | 0 | .521 | 1411.1 | 475 | 874 | 626 | 578 | 3.69 |
タイトル・表彰・その他
タイトル | ||
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最多勝利 | 1回 | 1998年 |
表彰 | ||
カムバック賞 | 1回 | 1993年 |
日本シリーズMVP | 1回 | 1993年 |
沢村賞 | 1回 | 1998年 |
その他 | ||
オールスターゲーム出場 | 4回 | 1990年、1991年、1998年、2000年 |
開幕投手 | 2回 | 1994年、2004年 |
関連動画
関連項目
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