人は転ぶと坂の所為にする。坂がなければ石の所為にする。石がなければ靴の所為にする。
人はなかなか自分の所為にしない。
責任転嫁(せきにんてんか)とは、自分に多くの責任があることを認めず、外部に責任があると主張すること。人の所為にすること。責任の押し付け、なすりつけ。
概要
だいたい幼稚園~小学生の頃に習得可能になるスキル。その使用率には家庭環境や教育の質、本人の性格や知性、モラルが深く関わるとされる。多くの人々の眼に触れれば触れるほど最終的な成功率は低くなり、一時的に責任を逃れることは出来ても、信頼度や社会性といったパラメータが下がる為、恒久的なメリットは全くない。
日常的な使用例として、自分の失態を責められる等して追い詰められた人間がやぶれかぶれになって使うケースがある。結果的に失敗することがほとんどであり、ネタの一環として用いられる事も多い(「キレ芸」など)。
その一方、地位や年齢が上がるにしたがって、傍目にはかなり無理無謀と思えるケースにまで行使出来るようになってしまう悪魔的な魔法である。無論、その代償として支払うものは大きい筈なのだが…。
さらに、最近では自己愛的、自己中心的な責任転嫁が増加しているとされる。他人に同情したり、共感する意識が希薄で、自分が思い通りにならないのは他人の所為だと思い込み、誰彼構わず責任を押し付けるケースがそれにあたる。ネット上では荒らしや厨房などが「悪意をもって」「わざと他人の所為にする」場合もある。これらの行動があまりにも酷い場合にはパーソナリティ障害の疑いもある。
そして、隠蔽とセットで扱われることが多い。
言うまでもないことだが、本来自分が負う責を他人に押し付ける以上、転嫁された相手から恨まれる事は必至である。それと同時に、周囲からは人格を疑われ、信頼を失い、白い目で見られる行為でもある。
なお、この記事の初版においても後続の編集者に対する責任転嫁が見られる。
よくある間違い
- 責任転換
- せきにんてんよ (なぜか変換できない)
他責思考
2020年代頃からは、こうした人のせいにする行いや誰かのせいにする人を改めて批判し見つめ直す動きがSNS上で目立つようになり、「他責思考」という名前で呼ばれるようになった。誰かのせいにしたり言い訳をする「他責思考」をやめるべきだ、とする考え方が少数派ではなくなりつつあるのである。(とあるyoutuberが「親ガチャ?全部お前のせいだよ」と発言したのは他責思考批判の代表例である。但し親ガチャ=他責思考、という安易な決めつけは危険かつ失礼・被害者への冒涜に当たる可能性もあるため控えるべきであると推察される)(しかしそれら他責批判が市民権を得るに従って各所において、大百科でいうほんわかレスとはあまりにもほど遠い言論の抗争が見受けられるようになってしまった。(後述))
中でも「他責思考」はその名の通り思考の一種として扱われその範囲は責任転嫁よりも広く、責任転嫁が「お前のせい!」「俺のせいにするな!」といった直接的言動に関する言葉であるのに対して他責思考はより広く、そういった攻撃的言動に限らず誰かに対して不平を言いたげである状態が少しでも外部から感じ取れる場合に「おまえ他責思考だな」というように使われる傾向が存在する
その広さは政治経済社会の分野にまで及び、Xにおいて「手取り20万未満とか日本終わってませんか?」に対して実業家として知られるホリエモンこと堀江貴文が反対し「日本じゃなくてお前が終わってるんだよ」と他責思考批判のツイートをした一連の騒動は話題を呼んだ(恐らく「日本に対する不平」「日本に対する他責」にホリエモンは反対したものと思われる)
他責思考を支持する者はその性質から「自己責任をふりかざす一派」「自己責任論者、自己責任論を支持したり展開する人々」とは水と油の関係であり、SNSの各所において他責思考論者と自己責任論者は舌戦を繰り広げそのたびに炎上する事例は後を絶たない。下記のような他責思考反対派の意見も物議を醸す大炎上となった
yuzuka@エッセイスト @yuzuka_tecpizza 30越えると、人や過去、環境のせいにばかりしてる人と会話するのがいよいよ辛くなってくる。昔はそれでも良かったのよ。「そうだね、あなたは悪くないよ」と傷の舐め合いしてりゃあ心地よかったし。だけどもうこの年齢になるとね。あんたの周りにあるものはもう、あんたの選んだものしか残ってないよ。 恨み辛みしか周りにないのなら、それは貴方が恨み辛みを好んでそばに残しているのよ。本当に強い人はね、自らの意思で手放すの。過去も環境も他人も、不愉快なものはちゃんと手放して、自分で自分の好きなものをそばにおく努力をする。それはとても難しく苦しい作業だけど、やらなきゃ前には進まんの。 毒親が、過去が、分かるよ。 私もある程度めちゃくちゃな親がいて、ある程度めちゃくちゃな過去を生きてきた。 「こんなに辛い思いをしたんだから配慮してくれよ」と、過去を盾にして恵まれた人に攻撃をしかけたこともある。 全てが納得いかなかった。 生まれつき全てが整っていた人と自分、同じように生きていけるはずがないと思ってた。怒る不具合は全て過去や環境のせいにして、人に傷つけられた自分はいかに運が悪く、可哀想な存在なのかを自分自身に言い聞かせていた。 だけど、それじゃダメだった。 不条理で不公平で腹が立つけど、納得はいかないけど、それじゃ上手くいかないのが人生だった。 なんでこっちがそんな思いをって怒りたくなるけど、やるしかないんだ。 他人はいつまでも自分に同情してはくれない。都合良く配慮もしてくれない。 みんな一時のヒーローにはなりたがる。だけど自分が本格的に巻き込まれるとなると、尻尾巻いて逃げていく。 そりゃあそうよ、私たちと同じように、みんなだって自分自身が一番かわいい。 だからこそ、自分がいかなる理由で立ち止まっていても、世界はその人を置いて、勝手にぐんぐん歩みを進めていく。 幸せになるためには、どこかで切り替えて、切り捨てて、今を生きなくてはならない。現実を追いかけなければならない。 それはある種の絶望のようにも感じるけれど、実は唯一の希望でもある。 何度でもいう。 貴方を傷つけたその相手に、人生を縛られてはならない。 それはとても難しい作業だけれど、貴方自身が行動して切り離し、人生の舵を取り戻さなくてはならない。 自分は素晴らしいと気づき、自分のために生きなくてはならない。自分の人生のコントロールを、少しずつ、自分の手の内におさめるんだ。 そうしていけばいつのまにか、自分を構成するものが、自身で選んだ装備だけになる時がくる。 そこではじめて、息のしやすさに気づく。そして、生きやすさが追いついてくる。 人それぞれペースも考えもあると思う。 だけどこれが、私の実感した考え。 他者のせいにし続ける人生に、希望はない。
今日に至るまで他責思考は幅広い賛否を得ながら議論され続けており、上記のような否定論者に対しては(おそらく賛成寄りの一派から)「最近、説教がエンタメというかドル箱コンテンツになってるよな」「そんなことを言えるのはあなたが恵まれてるからだ」といった、他責思考批判に対する反批判が寄せられたりするなど、今日に至るまで他責思考が妥当かどうかについて決着や結論はまだ出ていないのが現状である
歴史
今日では当たり前のように使われている「責任転嫁」という言葉だが、その歴史は長くない。 というより、実は「責任」という言葉の歴史自体がそう長くないとも言われている。 責任の英訳である“responsibility”の初出は18世紀後半と言われており、ドイツ語においても19世紀まで言葉自体が存在しなかったという。 これは、責を任ぜられるということ自体が、それなりに高度な組織的活動をしないことには起こりえないことが主な理由だと考えられる。
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関連項目
- 責任
- 逆ギレ
- 自暴自棄
- 悪魔の説明責任
- 自己責任
- お前の嫁 / お前らの嫁だろ、早くなんとかしろよ → どうぞどうぞ
- 民主党
- 自己責任
- 自業自得
- DQN
- クレーマー
- モンスターペアレント
- 無知 / 情報弱者
- 誰かのせいにしたい時に使える台詞の一覧
- ようかい体操第一
- 9
- 0pt


