高木ブーとは、クレー射撃とウクレレ、雷様でおなじみのミュージシャン・タレントである。本名、高木友之助(たかぎ とものすけ)。前芸名は高木智之(たかぎ ともゆき)。
「ザ・ドリフターズ」「こぶ茶バンド」の一員で、『芸能文化人ガンクラブ』の第二代目理事長兼会長代行。
概要
東京府東京市豊島区巣鴨(現:東京都豊島区巣鴨)に生まれ、戦災に遭って母方の郷里の千葉県東葛飾郡柏町(現:柏市)で育つ。ドリフターズのメンバーであった桜井輝夫といかりや長介にスカウトされ、ドリフのピアノ欠員補欠として参加することとなる。ドリフターズでの担当はギター。
『全員集合』の冒頭コントで、激しい体技が必要になる場面ではいつの間にか消えてしまうことが多く、それ以外でも体型を生かして笑いを取る場面以外で笑いの中心に居ることは少なかった。その結果、何もしない、何もできない無能の代名詞として扱われる事も多かった。この「何もしない、何もできない無能」の意味をもちいて作成された筋肉少女帯のシングル「元祖高木ブー伝説」は当初、事務所からクレームが来た[1]が、高木自身は鷹揚な対応を見せた。もっとも、高木を会場に招いたときにこの曲を披露しようとしたら、高木は律儀にも(?)全方向にお辞儀したらしい。まあ、ドリフ内でも無芸大食をネタにしていたため、恐らくドリフメンバーは大笑いだっただろう。
ハワイアン・ミュージックへの造詣が深いことでも知られ(そもそもドリフに入る前はハワイアンバンドを渡り歩いていた)、ウクレレの腕はかなりのもの。実際にウクレレ教室を開いたり、NHK教育でもウクレレ指導を行える程度の能力を持っている。愛用のウクレレも四弦と八弦のダブルネックである。
コントネタは高木の台詞覚えが悪いことから基本的には一発ネタが多くみられたが、ドリフ大爆笑以降からは高木をピックアップしたコントも披露しており、一発ネタを始めとして、シュールだったり、ハイテンションだったり、独自の空気感を見せるコントが多くあり、単純なものではない。
ドリフ末期の公開コントでは、女性観覧客から黄色い声援を浴びるなどアイドル(?)のポジションを確立した。
私生活では愛妻家として知られ、雷様のコントでも(声だけ)出演を果たしている。1994年に亡くなってからは独身を貫いている。
本人曰く、コントは好きではないらしく、音楽活動をずっとやっていきたかったらしい。
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外部リンク
関連項目
脚注
- *実際は高木が所属しているイザワオフィスや関連会社である渡辺プロダクションはクレームを出しておらず、いたずら電話だったと言われているが、レコードの自主回収やクレーム対応の関係で出版元のナゴムレコードの経営を傾かせる結果となった
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