ステルス神保家 単語


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ステルスジンボ

1.5千文字の記事

ステルス神保家とは、富山県民の悲劇である。

概要

信長の野望シリーズでは越中の武将の代表として富山神保が毎回登場しているが、

  • 弱小勢力である(いつの間にか滅ぼされている)。
  • 登場武将の微妙力値(高過ぎも低過ぎもしない。ネタにすらならない)。
  • 周囲に朝倉上杉・本願寺と有名どころがっている。
  • そもそも神保って何かしたの?
 …等々の理由で北陸随一の空気勢力としての地位を得ている。
 
 
 
 そもそも戦国時代期の越中は概ね西部(砺波)の一向宗・中央部(射水・婦負)の神保氏・東部(新)の椎名氏の三つに分割されており、越中では神保椎名を滅ぼし本願寺と同盟を結んだ上杉謙信が進出するまで越中全域を支配する勢力は存在しなかった。
 
 越中の三分の一程度しか支配していなかった神保が、ゲーム仕様上越中全体を代表する大名として登場せざるを得なかったことが空気名神の始まりだったといえる。椎名康胤とかもっと登場させてくれよ

越中の武将

せっかくなので戦国時代越中に登場した有力勢力・武将を紹介してゆく。

このページを見て地味だと言われる越中の武将について興味を持っていただけると幸いである。

コーエーさんもっと越中の武将出してくださいよ…

神保家

言わずと知れた空気大名。一度壊滅しかけてから復したり、上杉謙信に何度も戦いを挑んだりと結構頑ってはいるのだがいまいち知名度が低い。

神保慶宗

1500年〜20年頃の神保一向宗と結びついて神保を発展させたが、下克上の体現者・長尾為景の恨みを買って殺された。この時神保は一旦壊滅状態に陥る。

神保長職

1520年〜70年頃の神保武田信玄と同盟を結び、越中覇権をかけて椎名康胤と争った。

該当記事参照。

神保長住

長職の長男。一時越中を追放されて浪人となっていたが、織田越中侵攻の指揮官に起用されて上杉支配下となった越中に飛騨側から攻め入った。

神保長城

長職の次男。の死後督を継いで上杉謙信と戦ったが、居の増山を陥落させられている。

小嶋職鎮

上杉路線をして台頭した臣。

寺嶋職定

神保外交官として活動していた。一向宗との関わりが強かったことから反上杉路線をしたため神保から追放されてしまう。

神保氏張

神保の庶流だが、佐々成政に仕えて神保の数少ない生き残りとなった。後には徳川家康の旗本として仕え、彼の子孫が東京の「神保町」の由来になったと言われている。

椎名家

越中東部(新)を支配した系。良くも悪くも隣越後の長尾(上杉)が強い。

椎名慶胤

神保慶宗と同世代の武将であり、同じく長尾為景の攻撃を受けて死んだ。

椎名長常

慶胤の死後に長尾為景の又代官として新を治めた。

該当記事参照。

椎名康胤

神保長職越中覇権をかけて争った武将。

該当記事参照。

土肥家

神保椎名しのぎを削った時代には活躍しなかったが、佐々成政越中攻めに抵抗したことから歴史に名を残した。

土肥政繁

佐々成政越中攻略抵抗して戦い、敗れた後は上杉に身を寄せた。

石黒家

先祖が伽羅の戦いにも参戦している越中最古の武士団の一つで、福(現南砺市西部)を拠点としていた。

石黒光義

瑞泉寺門徒衆に田屋川原の戦いで敗れ、落したと言われる(戦いの実在性を疑問視する説もある)。

勝興寺

瑞泉寺と並ぶ越中における一向宗の二大拠点の一つで、現高岡市木に位置する。

瑞泉寺

越中における最古の寺院で、越中における浄土真宗の拡大を担った。

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最終更新:2025/12/13(土) 13:00

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