この記事は一部の方々の主張を取り扱った記事です。 ←天秤は水平ですがニコニコ大百科および株式会社ドワンゴの見解・主張ではないことにご留意ください。 |
ノンポリとは、
本記事では1.について記載する。
左・右や革新・保守、リベラル・コンサバティブのどれにも属さない者のうち、政治に関心を持たない層のことである。
無党派層に近いと思われるが、「政治的な問題に興味があるがどちらか一方には肩入れしない無党派層」も存在する一方、「ノンポリ」の場合は特に「そもそも政治的な問題に興味は無い」者を指すことが多い。
「由来」節で詳述するが、元々は学生運動が盛んだった1960~70年代に、学生運動に無関心だった学生に対して使われていたことで広まった言葉である。2020年代現在ではこの言葉を使っていた当時の学生も老人となり、無党派層という類似した言葉も普及しているため、「ノンポリ」はほぼ死語となっている。
左派右派問わずフィルターバブルやエコーチェンバー現象等で極端な意見や歪曲された情報を持つようになり、「われこそが真実だ」「われわれだけが真実だ」などとつい無意識に思い込み暴れまわる輩も存在している。それらと比較すればノンポリは無害であるとも言える。
ただし、ノンポリが増えすぎた場合は政治的・社会的な問題が目を背けられたまま放置される可能性があるという問題はついてまわる。
「政治に関する選挙において、投票に行かない」ことはノンポリ的な態度の典型的なものと言える。投票は民主主義の根幹をなす制度であるため「投票に行かないのは無責任である」などと批判されがちな行動ではある。しかし日本では投票は法律で義務とされているわけではなく、罰則を受けることはない。また、義務投票制が行われている国家も存在しておりいくつかのメリットが唱えられているが、同時にデメリットも指摘されてはいる。
1960年代後半~70年代の日本の学生運動において、運動に参加する側の者たちが「学生運動に参加しない、興味を持たない」者に対して「ノンポリ」と呼称していたようであり、この頃の学生運動は大いに社会の注目を集めたため、この言葉「ノンポリ」も広まったようだ。それ以前から、例えば日本社会党の機関紙などで「政治に興味が無い人」をノンポリと呼称していた節はあるようだが、おそらく一般に広く知られた言葉ではなかった。
双葉社から1969年に出版された『全学連各派―学生運動事典―』(「社会問題研究会」編)にはこのような説明がある。
また、自由国民社から1971年に出版された、評論家の「赤塚行雄」による『現代青年語小辞典』(1969年出版の『ゲバ・アン語典 ゲバルトからアングラまで若者文化のKEY WORD』の改題)にはこのような説明がある。
ノンポリ(※囲み見出し。麻雀の「中」の牌の挿絵イラストが添えられている)
ノン・ポリティカルの略で、政治や学生運動に無関心な連中をいう。自分の大学がストライキ決行中なのに、家で寝ている学生、〝ネトライキ学生〟、あるいは、今こそかせぎ時とばかりにバイトに精を出す学生、〝バイトライキ学生〟がノンポリ。
〝ノンセクト〟は、〝ノンポリ〟とちがって、学生運動に関心があるのだが、これというセクトに属していない学生で、意識が高いといわれる。
〝ノンセクト・ラジカル〟というのは、どのセクトにも属していないのだが、クラスやゼミの連合をつくって、大学の改革についてどんどん意見を出す学生で、そういう意味では、極めてラジカル(急進的)なところから、〝ノンセクト・ラジカル〟という。
「学生運動」に参加していた側の学生らが「ノンポリ」をどう見ていたかについては、1966年に早稲田大学で学費の値上げなどに反対して起きた学生運動、通称「早大闘争」に関する書籍『早稲田をゆるがした150日―早大闘争の記録―』(早大闘争の記録編集委員会、現代書房、1966年12月25日初版発行)内にはこのような記載がある。
ある程度モノの解る(風をした)ノンポリ学生に≪民青が……≫と語りかけますと、相手は聞くもケガラワシイと耳をふさぐのが今や通例になっております。
「モノの解る(風をした)」「聞くもケガラワシイと耳をふさぐ」という記し方からは「モノの解らない奴ら」という蔑視的な視線や、「こちらの話に耳を貸してくれない」という苛立ちが混じっていたようだ。
さらに、より「学生運動」に傾倒していた者からは、さらにはっきりと批判的に評していたものもある。以下は当時の学生運動の中心人物の一人「秋田明大」編による書籍『大学占拠の思想』(1969年、三一書房)内での表現。
だから、ノンポリ学生というのは、学問的に正しくないのだ。大学の中で今、大学の改革を行なうものと、阻止しようとするものがあるわけだ。それに対して、中立的な立場であるとか、無関心であるということは改革の敵になる。ノンポリというのではなく、改革派ではないということだろう。そういうことは東大の加藤君も言った。「ノンポリの学生というのは実に感じが悪い、いわゆるエゴイストだ」と。まだ、全共闘派学生の方がいいなんて、途中で言ったよ。そういうことは実感だと思うよ。だからノンポリとか一般学生は無罪・無実のようなことをいうのはおかしいと思う。むしろ有罪ではないか。大学におけるせっかくの改革の芽をつんではならない。
秋田明大は1968年から1969年にかけて発生した「日大紛争」で大学を占拠した組織「日大全共闘」の議長であったが、紛争内で死者を出すなどしたために一般学生や学生の父兄などからの支持を失い、結局1969年に逮捕された。その立場からのある意味「恨み節」も混じっているかもしれない。
掲示板
11 ななしのよっしん
2023/11/05(日) 21:22:48 ID: K7PVi4UCmF
右も左もうぜぇんだよ!死ね!!!って思ってる俺はノンポリなの?
12 ななしのよっしん
2023/11/05(日) 21:25:05 ID: DAN9mSHs7g
ノンポリかは知らんけど右も左も全員殴る奴だけが中立名乗っていいと思ってるよ
13 ななしのよっしん
2024/03/27(水) 12:10:40 ID: u1mHoZP1dO
今じゃ「俺達は右でも左でもねえから」と中立を気取る奴らのイメージしかないが、この言葉って元は「政治に問題意識のない豚」って蔑称だったのか…まあ極左とか在特会とか、問題意識の独り歩きした奴らはそりゃ有害だが、現在の用法は適切なんだろうか?
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最終更新:2024/06/04(火) 21:00
最終更新:2024/06/04(火) 21:00
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