マイセンとは、
本項では、1.や2.について解説する。
マイセンとは、ドイツの小都市である。人口2万8千人。
ザクセン地方の歴代君主が居住してきたドレスデンから北西に20km離れた場所に位置する。
エルベ川沿いに位置していて、エルベ川の氾濫に悩まされることがある。こんな具合に水浸しになる。
ドレスデンとはエルベ川でつながっていて、人が行き来しやすい。
ドレスデンとは蒸気観光船で結ばれていて、観光都市ドレスデンからマイセンの陶磁器工房を見学しに
多くの観光客が乗る。
また、遠く離れたチェコからもエルベ川の船運でつながっていて、貨物船がやってくる。
市内のエルベ川沿いにアルブレヒト城がある。ここでマイセン磁器が開発された。
有田焼という陶磁器生産で名高い日本の佐賀県有田町と姉妹都市になっている。
ドレスデンにフリードリヒ・アウグスト1世というザクセン選帝侯がいた。
この人はポーランド王も兼ねていて、ポーランド王としては「アウグスト2世」と名乗っている。
この人は日本の磁器(有田焼)や中国の磁器(景徳鎮)に夢中になっていた人で、
大金を払ってせっせと磁器を買い集めていた。買う場所はヨーロッパ最大級の商都ライプツィヒである。
自国でも磁器を作ろうと思いはじめていたところ、ある1人の技術者がやってくる。
それはヨハン・フリードリッヒ・ベトガーという錬金術師の男で、「金を作ることができる」とホラを
吹いてプロイセン王フリードリヒ1世を騙していたが結局嘘と見抜かれ、プロイセンを追放されていた。
フリードリヒ・アウグスト1世はベトガーを捕らえ、「錬金術をやれ。それができないなら磁器を作れ」
と要求した。錬金術が不可能だと分かっているベトガーはしかたなく磁器を作り始めた。
幽閉されて3年目の1703年にベトガーは脱獄したが、これに気付いたフリードリヒ・アウグスト1世は
軍隊を派遣してチェコまで逃げたベトガーを捕らえ、連れ戻した。
ベトガーは技術者としては腕があり、粘土をできる限り高温で焼くことで白い磁器を作った。
1709年に完成したこの製法は当時の大発見であり、マイセン磁器の優位性を確実なものとしたのである。
1710年からはマイセンのアルブレヒト城にザクセン磁器工場が作られ、ベトガーは染付(色を塗ること)
をやれと言われた。それも日本や中国の磁器と遜色ないように、とのお達しである。
投獄19年目の37歳になるころ、幽閉生活に耐えきれなかったベトガーは酒に溺れて若死にしてしまった。
ベトガーの後を継いだ職人たちは日本の有田焼や中国の景徳鎮の染付をひたすら真似た。
懸命に模倣しているうちにどんどん腕前が向上し、マイセン磁器はヨーロッパ随一であると同時に
世界トップクラスの磁器となっていった。
最初の日本磁器や中国磁器を真似ていたときはいかにも日本風・中国風の品物だったが、
技術が向上してからはヨーロッパのロココ調のデザインとなっていった。
贋作防止のため、マイセン磁器には交差した2本の剣のマークが1723年から現在まで使われている。
ちなみにこの2つの剣の紋章はすべて手書きで、それゆえ年代特定に役立っている。
1865年、磁器生産するにはどうも手狭だったアルブレヒト城を引き払い、
同じマイセンのトリービッシュタールという場所に工房が移り、現在に至っている。
マイセンが共産圏の中に入ったときもこの工房は元気そのもの、優れた芸術センスを持つ職人が集い、
従業員数も1500人を超えていた。
マイセン磁器は食器だけに留まらず、人形も作り出している。
画像検索してもマイセン磁器公式サイトを見ても、精緻にして綺麗な磁器の数々を見ることができる。
ドレスデンの観光名物「君主の行列」は、マイセン磁器のタイル25000枚を使って作られている。
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最終更新:2025/01/02(木) 21:00
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