(風神録までは)幻想郷で唯一の有人神社。東方緋想天において二度倒壊し、二度建て直した。その時、神社の中心に要石を埋められている。
幻想郷の最東端に位置し、神社からは幻想郷が一望でき、最も桜が美しい場所として有名。
幻想郷の境界として、幻想郷と外の世界を隔てる博麗大結界を見張る役割があり、代々博麗の巫女がここに住みながら結界の管理を担当してる。
神社でありながら神主は何故か居らず、勤めは全て博麗の巫女が行っている。
神社であるため神様も一応祀られているのだが、知名度も低くご利益もよく判らないため参拝客は少ない。
神社と人里を結ぶ獣道は安全が保障されておらず、普通に危険ということも人間の参拝客が訪れない一因となっている。
そのため歴代の博麗の巫女は参拝客がもたらす賽銭による収入が期待できないため異変解決を生業としている。
昔はそれでも参拝客は現在より多く訪れていたし、妖怪も近寄らなかったのだが、博麗の巫女が現・博麗の巫女である博麗霊夢に代わってからは、多数の妖怪が日常的に訪れるわ、巫女が妖怪と仲良く宴会をやってるわで、妖怪がほぼ常時たむろしている上に、人里から遠く神様がいる意味がよく分からない神社である博麗神社に参拝する人間は非常に少なくなってしまった。
一応、「神社内では妖怪は人を襲わない」と言う取り決めもあるのだが、「神社は妖怪に乗っとられた」と噂されたり、さらには神社の存在も知らない人間もいるなど、もう実に駄目な感じの評判である。これは現在の博麗の巫女である霊夢が自分の巫女としての仕事を人里に伝えないのも原因の一つ。
逆に妖怪の射命丸文の文々。新聞には「ここほど落ち着く場所はない」と書かれるなど、人間に比べて妖怪からの評判は悪くないのだがそれはそれで神社としてさらに駄目である。
この神社は幻想郷と外の世界の境界線に存在する。
そのため外の世界から見ても博麗神社は存在し、さらにいえば厳密には幻想郷にも外の世界にも博麗神社は建っていないのである。
何故境界にあるにも関わらず、外の世界の博麗神社と幻想郷の博麗神社が存在できるかというと、「博麗大結界(常識の結界)」によって、外の世界の常識と幻想郷の常識で分けられているからである。
外の世界の常識を持つものは外の世界の博麗神社にしか行くことができず、幻想郷の常識を持つものは幻想郷の博麗神社にしか行くことができないため、博麗大結界を越えることが出来ないと外の世界の神社から幻想郷の中に入る事はできない。
ちなみに博麗神社の鳥居は幻想郷の反対側(外の世界の方)を向いて立っている。
神社である以上神様は祀られている…はずなのだが、巫女である博麗霊夢も、具体的に博麗神社に祀られている神様が何かは知らない(文々。新聞には既に神を祀る場所ではないと書かれている)。
余り記録が残ってないということも原因ではあるのだが、それはもう信仰の少なさがヤバくなるのも当然である。
現在の博麗神社の場合は、妖怪の多さから参拝客が近寄らないため信仰が集まらず、信仰が少ないため神様は妖怪を追い払うだけの力がなく、さらに妖怪はやってきてしまうという悪循環に陥っている。
東方三月精において、光の三妖精が神社近くに引越してきており、数少ない参拝客にイタズラを仕掛け、参拝客はさらに減っているという。
博麗霊夢も信仰の少なさについてはそれなりに気にしており、森近霖之助に信仰を取り戻すための相談を持ちかけたこともあるのだが、
霊夢「まあ、信仰が減っても妖怪退治をしている事には変わりないから、うちの神社としては良いのかも知れないけど」
霖之助「霊夢、それは違う。信仰が失われる事は神社としては致命的な事だよ」
霊夢「そうねぇ、お賽銭が入らないもんねぇ」、
霖之助「いやいやそんな単純な理由じゃない。信仰が失われると言う事は、神様の力を失うと言う事だ。これでは別の悪霊が神社を乗っ取ってしまっても抵抗する事が難しくなってしまうよ」
と注意されるなど、あくまでそれなりというか「神社の信仰はお賽銭を入れるためにある」的な考えな上に、信仰と神様の力を神社にとってあまり重要視していない様子が見受けられる。
また、神社の信仰を取り戻すための最終手段として他の神様を勧請するという方法を挙げられた際も、最終的には現在博麗神社で祀っている神様が消滅するにも関わらず
と消極的ながらも肯定してたりと、霊夢自身の現在博麗神社に祀られている神様への信仰が無く、あくまで神社への信仰があれば良いという様子も見られる。
風神録では信仰にこだわる東風谷早苗、八坂神奈子などとの邂逅や弾幕ごっこを経て、守矢神社の分社が建てられ、神社自体の信仰は多少改善された様子だが、博麗神社に祀られている神様についてはどうなっているのか不明。
参拝客が少ないことを嘆いた霊夢が他の神社の神事を真似て始めた。
ウソが持つ罪を赦し、ウソを幸福に替える儀式。
霊夢が笛を吹いて呼び出した鳥の鷽(ウソ)が、ウソをついていた三月精や魔理沙を啄んだ。
霊夢曰く、この鷽は天神様の使いらしい。霊夢が適当に真似た神事であるため、本物の神事とはやり方が異なる。
霊夢が毎年年明けに行っている神事。この時ばかりは霊夢も真剣。
太陽である天照大神が、明けの明星(金星)である天香香背男命に負けると妖怪の力が強くなる闇の年になってしまうので、霊夢の儀式によって天香香背男命の力を封印し弱める。そうすることで天照大神を勝たせるのである。
神社の裏に生えていた巨大なミズナラの樹が落雷によって裂けてしまったため、有効利用しようと始めた儀式。
樹を神様として祀り、雷除けの御利益を設定し、形式上の儀式を行いお供え物をした。
しかし、霊夢が飽きてしまったため、誕生した神様が信仰が無くなったため死んでしまった。
このことにより、とある問題が起きてしまう。
通常、神社と言うのは神様を祀る。
神様の力(神徳)は人々から得られる信仰の多さに比例しており、信仰が増えるほど強い神徳を発揮できる。
逆に信仰が途絶えてしまうと神は存在が消えてしまう。
そのため分社を建てたり布教活動をしたりすることで信仰を獲得する。
これらの活動費として賽銭は使われるのである。
また、巫女自身の生活費や、神社の修繕にも使われる。
霊夢は信仰を獲得するための働きを殆どしていなかったため、賽銭が集まらないのである。
掲示板
200 ななしのよっしん
2020/04/19(日) 20:24:36 ID: sgsv2o7eR6
バス停でしょ。
201 ななしのよっしん
2020/05/09(土) 15:15:04 ID: Ktt0NlDXLX
そういえば、高麗野あうんの元になった博麗神社の狛犬って参道から少し外れた所に立地してるんだよね(茨歌仙より)
多分今の参道から90度くらい曲がった所に二体ともある。何度かそう描かれているし、普通はそんな所に狛犬を描かないから、あずまあや先生のミスじゃなくて、神主の指示だった可能性が高い
じゃあ何でこんな所にあるんですかと言われたら
昔の博麗神社の向きと今の博麗神社の向きが違っているんだと考える。
元々は一般的な神社と同じく南向きだった(現在の参道と完璧に直交してはいないので、南西向きか南東向きの可能性もある。北向きは排除)が、博麗大結界の成立するにあたって博麗神社を幻想郷の入口にする為に、向きを東に向けたのだと考察する
(緋想天で建物的な意味での神社は倒壊したが、参道や狛犬まで変えるする必要はないので排除)
あと、博麗神社には本堂はあるが本殿はない(茨歌仙や酔蝶華で何度か言われている為、誤植の可能性は薄い)んだが、個人的には博麗神社には建物的な意味での本殿は無いと考察する。
建物的な本殿はなく、社務所と拝殿しか無い形
(省略しています。全て読むにはこのリンクをクリック!)
202 ななしのよっしん
2024/08/14(水) 01:43:25 ID: EeTm6ez5AO
多分だが元々は天狗信仰の神社
外の世界では権現岳の山頂にあるというのが恐らく解答だ
問題は中の博麗神社だがコレは良く分からん
天社禁止令で廃止された神社を紫がぶっこ抜いた扱いだとは思うが
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最終更新:2024/12/28(土) 19:00
最終更新:2024/12/28(土) 19:00
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