| OB | |
|---|---|
| 弓長起浩 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 大分県東国東郡 |
| 生年月日 | 1967年7月5日 |
| 身長 体重 |
178cm 88kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 左投左打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 1991年 ドラフト3位 |
| 引退 | 2002年 |
| 経歴 | |
| 選手歴 | |
| プロ野球選手テンプレート | |
1967年7月5日生まれ。大分県東国東郡国東町(現:国東市)出身。
卒業後、亜細亜大学に進学。2年学年上に与田剛、1学年下に川尻哲郎・小池秀郎・高津臣吾らがいたが、彼らほど目立った成績は残せていない。
大学卒業後、熊谷組に入社。初年度には東京スポニチ大会優勝に貢献し、新人賞を受賞。都市対抗野球大会にも補強選手として出場。2年目にも補強選手として都市対抗野球に出場している。
1991年ドラフト会議にて、阪神タイガースから3位指名を受け入団。同期入団には久慈照嘉・桧山進次郎らがいた。
初年度の1992年、新人ながら中継ぎ投手としてフル回転。51試合に登板して、4勝1敗4セーブ、防御率1.35と抜群の安定感を発揮し、チームの2位躍進に大きく貢献した。
1993年、前年ほどの安定感はなかったが、54試合に登板して5勝3敗、防御率3.97とリリーフ陣を支えた。
1994年、54試合に登板したが、防御率4.39とやや精彩を欠いた。
1995年・1996年の2シーズンはこれまでの連投が祟り、登板機会が減少。
1997年、キャリア最多の59試合に登板して、4勝、防御率4.37という成績を残す。
1998年、開幕から21試合連続無失点を記録するなど好調。セ・リーグ最多の57試合に登板して、1勝3敗、防御率1.67と好成績を残して復活を果たした。
以降は故障に苦しみ、1999年は11試合、2000年は5試合の登板にとどまるなど低迷。
2001年、全盛期のキレは失ったが、44試合に登板し、1勝3敗、防御率4.26と復調。
2002年、9試合の登板に終わり、シーズン終了後に戦力外通告を受けた。その後、12球団合同トライアウトに参加し、韓国球界から獲得オファーが届いたが、入団すること無く、現役を引退。
引退後、スポーツトレーナーとして勉強を始め、鳥取県内のトレーニングジムに勤務。
キレのある直球と、カーブやスクリューを武器に打者を翻弄した中継ぎエース。対左打者の場面で起用されることが多かった。
| 通算:11年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 400 | 0 | 0 | 17 | 13 | 7 | --- | .567 | 411.2 | 206 | 273 | 176 | 150 | 3.28 |
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最終更新:2025/12/05(金) 21:00
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