本多雄一(ほんだ ゆういち、1984年11月19日-)とは、福岡県大野城市出身の元プロ野球選手(二塁手)である。2019年から福岡ソフトバンクホークスのコーチを務める。
福岡ソフトバンクホークス #80 一軍内野守備走塁コーチ |
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本多雄一 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 福岡県大野城市 |
生年月日 | 1984年11月19日 |
身長 体重 |
174cm 72kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投左打 |
守備位置 | 二塁手 |
プロ入り | 2005年大学生・社会人ドラフト5巡目 |
引退 | 2018年 |
経歴 | |
選手歴 コーチ歴 | |
国際大会 | |
代表チーム | 日本 |
WBC | 2013年 |
プロ野球選手テンプレート |
中学校時代は大野城ガッツ、高校は鹿児島実業高校に所属しており、杉内俊哉は両方の先輩にあたる。高校卒業後、社会人野球の三菱重工名古屋でプレーしていた。
2005年の大学生・社会人ドラフト5巡目で福岡ソフトバンクホークスに入団。背番号は46。
2006年(1年目)は骨折で開幕一軍を逃すが8月に復帰し、そのまま本間満から二塁のレギュラーを奪い下位打線でスタメンに定着。
2007年には大村直之の故障で上位を打つようになり、2008年からは川崎宗則との1、2番コンビが定着。2007年はリーグ2位の34盗塁、2009年も3位の43盗塁と快足を飛ばして盗塁を量産。しかし1番としては三振が多く、また積極的に打ちにいくため四死球が少なく出塁率が低いのが難点だった。
2010年からは川崎が1番、本多が2番に入るようになり、2番として早打ちを止めたのが功を奏したのか打撃も上向く。盗塁は失敗も多いが果敢に積み重ね、最終的に初の全試合出場で打率3割は逃したが、59盗塁で悲願の盗塁王を獲得(片岡易之と分け合う)。また50犠打(チーム新記録)も記録し、プロ野球史上初の「50盗塁・50犠打」という記録を残す。でも相変わらず三振は多め、四死球は少なめ。
2011年はパ・リーグ記録にあと1と迫る開幕から19試合連続安打を放つなど高打率を維持し、内川聖一と共に上位打線でチームを牽引。内川の離脱後は首位打者争いにも顔を出し、念願のオールスター初出場も果たした。その後も調子を落とすことなく活躍を続け、初めての全試合フルイニング出場を果たし、打率.305で初の3割も達成。自己最多の60盗塁で2年連続の盗塁王(初の単独)を獲得、昨年を上回る53犠打で2年連続「50盗塁・50犠打」と、自身初づくしの大活躍でリーグ優勝・日本一に大きく貢献。念願のゴールデングラブ賞も獲得した。
2012年からは移籍した川崎に代わって選手会長に就任。台湾とのチャリティーマッチでは日本代表にも選ばれた。この年は1番に回ったものの、首痛で2010年から続いていたフルイニング出場と2009年からの連続試合出場が途切れ、その影響でか打撃でもシーズンを通して不振に苦しんだ。2年連続のゴールデングラブ賞こそ確保したが、レギュラー定着後最悪の数字となる打率.246、出塁率.299、盗塁数は前年の約半分の34盗塁と成績は大きく落ち込んでしまい、チームの得点力不足の原因のひとつとなってしまった。守備ではプロ入り後初めて遊撃手を1試合だけ守る。
2013年、WBC日本代表に選出される。大会ではほぼ代走専門での起用となり、出場機会に恵まれなかった。その影響で打席に立つ機会が少なかったためか、シーズンでは開幕戦で満塁本塁打(ホームラン自体3年ぶり)を放ったが、その後は前年以上の不振に陥る。打率2割前後の低空飛行が5月まで続き、一時は李杜軒などに二塁のスタメンを譲る。セ・パ交流戦から徐々に調子を上げたが、7月には腰を痛めて登録抹消。8月に復帰したあとは定位置の2番を今宮健太に譲って8番に回り、通算1000本安打も達成した。最終的には規定打席に間に合わせて打率.283まで巻き返したが、盗塁数は前年よりさらに減って22盗塁に終わり、ゴールデングラブ賞も藤田一也に奪われ逃した。
2014年は5月17日のオリックス・バファローズ戦で通算300犠打、5月20日の広島東洋カープ戦で通算300盗塁、5月26日の中日ドラゴンズ戦で通算1000試合出場を達成。8月2日の北海道日本ハムファイターズ戦で左手に死球を受けて、骨折で残りのシーズンを棒に振ったが、日本シリーズで復帰した。
2015年は開幕から不調で、4月12日の日本ハム戦で右足首を捻挫し戦線離脱。7月に一軍復帰したが、離脱中に二塁は明石健志・川島慶三・高田知季がしのぎを削っており、8月以降調子を上げた明石と川島にそのまま定位置を奪わ、日本シリーズまで主に代走・守備要員となってしまった。61試合、打率.228、5盗塁とレギュラー定着後最低の数字に終わる。
2016年は二塁手のレギュラーを取り戻して復活。3年ぶりに100試合に出場した。オフにFA権を行使せず残留した。
2017年は川崎宗則の復帰、不振、首痛の影響もあり、62試合に留まった。
2018年は開幕一軍入りしたものの、5月下旬に抹消されて以降は二軍暮らしが続き、プロ入り後最少となる32試合の出場に留まる。2012年から悩まされ続けた首痛もあり、10月1日に現役引退を表明。引退試合となった10月6日の西武戦には1番・二塁でフル出場し、三塁打と二塁打を放って13年間のプロ生活に別れを告げた。
2019年から福岡ソフトバンクホークスの一軍内野守備走塁コーチを務める。背番号は80。
チーム随一の俊足を武器に盗塁を積み重ねるリードオフマン。しかしなぜか1番に入ると数字を残せない傾向があり、特に川崎の退団以降、首脳陣は足を活かすために1番打者で起用したがるが、結局は2番か8番あたりに落ち着くというパターンを繰り返した。
俊足を活かした広い守備範囲と強肩による二塁守備は一級品で、川崎宗則との二遊間(通称「ムネポン」)の守備力は非常に高い。川崎の退団後は今宮健太とやはり鉄壁の二遊間を組んだ。年に2回ぐらいある、テキサス性の当たりを右翼手の守備範囲まで追いかけてのダイビングキャッチは見物。ゴールデングラブ賞は日本ハムの田中賢介が毎年高い壁としてそびえていたが、2011年についに初受賞を果たした。
2008年頃まではスペ体質気味で、果敢なダイビングキャッチでファンを湧かせると同時に怪我しないかとヒヤヒヤさせたが、2010年は全試合出場、2011年はフルイニング出場を果たすなど徐々にタフになった。しかし、2012年に首を痛めてからは相次ぐ怪我との戦いになり、成績も低迷。結局首痛は完治せず、33歳の若さでの引退となってしまった。
通算342盗塁は歴代21位、通算243犠打は歴代22位(2018年現在)。
チーム内での愛称は「ポンちゃん」。大隣憲司とは生年月日が全く一緒で、WBC代表にともに選ばれたときには「誤植?」との問い合わせが多数来たそうな。
東野圭吾の小説『ある閉ざされた雪の山荘で』に「本多雄一」という登場人物がいるが、1992年に刊行された本なので、もちろん本多との関係は全く無い。ただの偶然である。
球団 | レス | No | プレイヤー |
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ソフトバンク | 応援歌のピコカキコ一覧#121 | 8708 |
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
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2006年 | ソフトバンク | 37 | 112 | 102 | 13 | 25 | 7 | 2 | 2 | 8 | 2 | 5 | 0 | 5 | 0 | 28 | 0 | .245 | .280 |
2007年 | 141 | 612 | 550 | 62 | 151 | 25 | 5 | 2 | 42 | 13 | 23 | 2 | 35 | 2 | 112 | 5 | .275 | .319 | |
2008年 | 107 | 489 | 454 | 53 | 132 | 14 | 3 | 3 | 38 | 13 | 6 | 4 | 23 | 2 | 75 | 1 | .291 | .325 | |
2009年 | 137 | 622 | 554 | 72 | 145 | 32 | 4 | 1 | 41 | 10 | 18 | 2 | 44 | 4 | 95 | 5 | .262 | .320 | |
2010年 | 144 | 651 | 564 | 88 | 167 | 21 | 10 | 3 | 39 | 59 | 50 | 3 | 29 | 5 | 81 | 8 | .296 | .334 | |
2011年 | 144 | 633 | 522 | 84 | 159 | 19 | 7 | 0 | 43 | 60 | 53 | 4 | 53 | 1 | 78 | 4 | .305 | .367 | |
2012年 | 123 | 536 | 480 | 52 | 118 | 15 | 4 | 0 | 31 | 34 | 14 | 4 | 37 | 1 | 65 | 6 | .246 | .299 | |
2013年 | 120 | 471 | 406 | 56 | 115 | 12 | 4 | 2 | 37 | 22 | 19 | 2 | 42 | 2 | 62 | 1 | .283 | .352 | |
2014年 | 94 | 398 | 344 | 51 | 100 | 12 | 6 | 0 | 21 | 23 | 16 | 3 | 33 | 2 | 47 | 10 | .291 | .352 | |
2015年 | 61 | 174 | 158 | 17 | 36 | 8 | 0 | 0 | 4 | 5 | 6 | 0 | 9 | 1 | 36 | 2 | .228 | .274 | |
2016年 | 110 | 388 | 332 | 52 | 93 | 9 | 1 | 1 | 27 | 23 | 19 | 3 | 33 | 1 | 51 | 6 | .280 | .344 | |
2017年 | 62 | 143 | 122 | 12 | 26 | 6 | 0 | 0 | 8 | 3 | 9 | 0 | 12 | 0 | 20 | 2 | .213 | .284 | |
2018年 | 33 | 101 | 85 | 15 | 22 | 3 | 2 | 1 | 8 | 5 | 5 | 3 | 8 | 0 | 17 | 1 | .259 | .313 | |
NPB:13年 | 1313 | 5330 | 4673 | 627 | 1289 | 183 | 48 | 15 | 347 | 342 | 243 | 30 | 363 | 21 | 767 | 51 | .276 | .329 |
機構 | 守備位置 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 二塁手 | 1293 | 2974 | 3639 | 75 | 684 | .989 |
遊撃手 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- |
タイトル | ||
---|---|---|
盗塁王 | 2回 | 2010年、2011年 |
表彰 | ||
JA全農Go・GO賞 | 1回 | 2009年7月 |
ベストナイン | 1回 | 2011年 |
ゴールデングラブ賞 | 2回 | 2011年、2012年 |
掲示板
17 ななしのよっしん
2018/11/07(水) 05:05:33 ID: WUm7i7GFYd
「独特なイントロで本多の打席だとわかり「お、本多だ。応援曲カッコいいんだけど早打ちだから長く聞けないんだよなぁ残念」と思いつつ早打ちする本多の姿に「やっぱりな」と苦笑いする」っていう個人的な風物詩が割と好きだったんだけど、それが出来なくなるのはやっぱり寂しいな。
それでもホークスのセカンドと言われたら俺は本多を思い出すだろう。
ありがとう、お疲れさま。
18 ななしのよっしん
2018/11/16(金) 08:19:28 ID: eAPRmgSa/b
現役最終試合、盗塁できなかったことを惜しむファンもいるし、気持ちもわかる。ただ、現役最後の二塁打三塁打はそれこそ首のことなんか気にせず全力でプレーしたからこそ、できたのかもしれない。「まだやれるじゃねーか!」と言われながら惜しまれるのも一つの引退の理想的な形よなぁ
コーチになるみたいだし、盗塁術やらなんやら後進に伝播されないかなぁ
19 ななしのよっしん
2020/01/23(木) 23:03:22 ID: FZNSpy/Upg
ぶっちゃけ首の爆弾無ければ今でも鷹の正二塁手はポンちゃんだった説あるしなぁ。
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最終更新:2025/01/14(火) 08:00
最終更新:2025/01/14(火) 08:00
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