村石宏實とは、日本の映画監督・演出家である。別名義に「村名宏美」「村名宏実」「村石ヒロチカ」。
円谷プロダクションに入社し、光学撮影部のスタッフとして『ウルトラセブン』に携わる。
その後、大映テレビを経て三船プロダクションへ。1971年『二人だけの朝』でチーフ助監督に。1972年に三船プロ演出部を退社し、以降フリーランスで活動。
1973年に自主制作映画『OH!カオ』で初監督。1975年『電人ザボーガー』で商業作品デビュー。
1993年に円谷プロの『電光超人グリッドマン』を手掛けた後は、『七星闘神ガイファード』など他スタジオのヒーロー番組に関わっていた。
東宝ビルトNo.5ステージに下見に来た円谷プロの小山信行プロデューサーにアプローチを掛け、『ウルトラマンティガ』に参加する。
ウルトラシリーズでは、全監督中最多となる74作品の本編を演出(OV・劇場版を含む)。
『ティガ』『ウルトラマンガイア』ではメインディレクターとして活躍。『ウルトラマンダイナ』でも、劇場版制作で抜けていたメインディレクターの小中和哉に代わり、重要なエピソードの多くを担当した。
平成ウルトラシリーズを代表する監督の一人である。
パワフルな説得力を持った極めて動的な画面と、シャープなカット割りが特徴。また、登場人物による生のアクションや、等身大ヒーローを活躍させる事も得意としている。
日活の無国籍アクション映画の影響で、無国籍風の絵作りをする事も。また、国内ロケで海外のムードを上手く表現している。
本人はとてもおっついていないと語っているが、男臭さ、骨太さ、ダイナミックさなどの演出骨子は黒澤明の影響を受けているという。
小山プロデューサー曰く、平成ウルトラシリーズに参加した監督の中で最も早撮りとの事。
脚本家の小中千昭とは、『ティガ』3話「悪魔の預言」の打ち合わせでウルトラマンのキャラクターの方向性を巡って激論を戦わせて以降(村石がティガと預言者の会話シーンを入れた所、ウルトラマンが喋る事について小中が反発した)、ライバル関係にあったとの事。
プロデューサーサイドから二人のペアは高く評価されており、このコンビが中心となって『ティガ』の根幹を形作っていった。自身も小中に「よし、お前の脚本がこうなったぜ」という部分を見せつけるのが一つの楽しみだったという。
『ガイア』の「我夢VS我夢」では、小中は当初舞台を東京として構想していたが、村石が世界観を広げるべく加えたサジェスチョンによってドイツに変更された。
後年、小中も村石の事を「それは無理だよ」と滅多に言わない稀有な演出家と評し、「村石監督無くしてウルトラ脚本家としての私は有りえなかった」と断じている。
顎鬚とサングラスがトレードマーク。『ティガ』の第33話のバーテンダーを初めとして、多くの参加作品でカメオ出演している。
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最終更新:2024/12/22(日) 00:00
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