フジ・メディア・ホールディングス(フジサンケイグループの持株会社)の筆頭株主でもある。
ゴジラやモスラなどが有名。スタジオジブリの映画や劇場版ドラえもん、劇場版ポケットモンスターを配給しているのもこの会社である。
東京都世田谷区の砧に自社スタジオを有するが、1970年代以降は自社による映画製作を大幅に縮小し外部の製作会社による作品を興行する形態へとシフトしたため、現在では実質的に貸しスタジオとして他社に貸し出されている。
丸の中に「東宝」と縦書きで書かれたロゴとその周りが光り輝くオープニングクレジットが有名。これを制作したのは円谷英二である。
舞台制作でも大手であり、特にミュージカルに強く劇団四季に次ぐ興行元である。日本を代表する演劇ホール「帝国劇場」は東宝の直営となっている。
東宝と東映は全く別物であり、東宝は東京宝塚劇場をルーツとする阪急電鉄の傘下で、東映は東京映画配給や東横映画という東京急行電鉄(東急)の出資で設立された映画配給会社・映画製作会社をルーツとする企業なので注意[1]。
東映系のT-JOY、松竹系のMOVIXと同様に、東宝も子会社にネマコンプレックスのTOHOシネマズを有し、全国展開をしている。この会社は元々外資系企業であったヴァージンシネマズを買収した後に、傘下の興業会社を合併して名前を変えたものである。
1932年に阪急電鉄によって設立された東京宝塚劇場が企業としての母体となる。[2]
1939年に帝国劇場(当時は映画館だった)を傘下に収め、演劇興行街としての日比谷の整備に着手する。
一方、1929年に現在の東京都世田谷区成城に写真化学研究所という映画フィルム現像とトーキー光学録音を研究・制作を行う会社が設立された。当時はまだトーキー映画自体が誕生期で受注自体が少なかったため、「それならば自社でトーキー映画を製作しよう」と専用の映画スタジオを建設し自社作品の映画製作・配給にも参入する。[3]
1937年、写真化学研究所や阪急資本によって設立された東宝映画配給など4社の映画会社が合併し東宝映画が発足。1943年には東京宝塚劇場がこの東宝映画を吸収合併して東宝に社名変更。映画製作から配給、興行のほか、演劇などの興行も手がける一大エンターテイメント企業が誕生した。
戦後は労働組合との対立の末、多くの俳優、スタッフが離脱、新東宝を設立する。一方で東宝は若手の俳優やスタッフを起用することとなるが、その中に三船敏郎がいた。
1950年代は、黒澤明作品のほか、ゴジラをはじめとする特撮もの、社長シリーズ、駅前シリーズが大ヒットする。1959年には、サンケイグループや大映、松竹とともにフジテレビ設立に関わる。
1960年代にテレビが台頭する時期においても、クレイジーキャッツ主演の無責任シリーズや加山雄三主演の若大将シリーズがヒットする。その一方で、旧労組主体の新東宝は経営破綻し、一部スタッフらは再び東宝に収まっている。
1970年代になるとテレビの人気は加速し、映画興行に陰りが見えてくる。その一方で「太陽にほえろ!」などのテレビドラマでヒット作を出すようになる。
1990年代にはゴジラなどの特撮シリーズが復活したものの、自社製作の映画の本数は減っていき、テレビ局との共同製作、配給ものの上映が主体になっている。
2013年にアニメーション製作部門として「アニメ事業室」を設置。「TOHO Animation」名義で新作アニメの製作に関わっている。
動画 | 削除理由 |
---|---|
行け!グリーンマンOP![]() |
(一部利用) OP |
燃える!お兄さん OVA1-1![]() |
本編 |
コメットさん☆第1話「星の輝きを持つ者」その1![]() |
本編 |
タッチ OP集![]() |
(一部利用) OP |
掲示板
急上昇ワード改
最終更新:2025/03/22(土) 15:00
最終更新:2025/03/22(土) 15:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。