焼き場に立つ少年 単語

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焼き場に立つ少年』とは、幼子を背負って直立不動で立つ少年を映した白黒写真である。

アメリカ海兵隊カメラマンが、終戦後間もない時期に長崎で撮した写真とされる。

概要

第二次世界大戦終戦後間もない時期、アメリカ海兵隊所属の23歳のカメラマンジョー・オダネル」(Joe O'Donnell, 正式にはJoseph Roger O’Donnell)は撮任務で日本を訪れた。彼は数かかけて、原子爆弾投下によって荒した長崎市広島市写真を撮した。彼は現地でジープを駆ったり、ジープでは入れない場所に行くためにを調達するなどして、任務のえた個人的な写真も熱心に撮してまわったという。

ジョー・オダネルは帰後に、それらの個人的に撮した写真ネガトランクの中に入れた上で屋根部屋にしまい込んでしまった。忘れ去ってしまいたかったのだという。

だが数十年経過した1989年ジョー・オダネルうつ病を患ってしまう。そのため彼は修院で宗教的な静養をとっていたが、自らの記憶を思い起こすうちに「自らの体験を核戦争を防ぐために役立てられないか?」と考えるようになった。自宅に帰った彼は屋根部屋からトランクを引っり出し、写真を取り出した。そして写真展を開いたり写真集を出版することをした活動を始めた。

だが当時の彼の妻から見て、その計画に携わる中で彼のうつ病は深刻さを増していったように見えたという。写真に説明を付ける作業には彼の息子や知人も手を貸したが、息子った「長崎にはウジが至る所に居た、子供たちはとてもかせており、ハエが集ったリンゴを食べていた」「死体の悪臭はとてもひどいもので、息もできないほどだった」などといったエピソードが印に残っているという。このような悲惨な思い出す作業は、彼の精に負担をかけていたのかもしれない。

1995年日本で最初の写真集トランクの中の日本従軍カメラマン非公式記録』が出版された。この写真集日本で大きな反を呼び、彼が日本ジャーナリストインタビューされることなどもあった。だがアメリカ人の中には、アメリカ原爆投下に批判的な意見をる彼を快く思わない人々も居たという。

2005年には、アメリカでも写真集Japan 1945: A U.S. Marine’s Photographs from Ground Zero』が出版された。また同じ年には雑誌『American Heritage』にも彼が著した記事が掲載された。そして2007年ジョー・オダネルは亡くなった。

それらの写真集に掲載された沢山の写真の中で恐らく最も有名なものがこの写真、通称『焼き場に立つ少年』である。この通称は写真の内容を端的に表したものだが、写真集の中では『焼き場にて、長崎』(cremation site, Nagasaki)などと題されている。

この被写体となった少年背中に幼子をおんぶひものようなものでくくりつけている。靴は履いておらず裸足である。背中の幼子は熟睡しているように小さな頭を後ろに垂れている。少年は「気を付け」のような直立不動の姿勢で、口元を引き結んでいる。

写真に付された説明によれば、この写真遺体の焼き場で撮されたものだという。写真が撮された後にこの少年背中の幼子を下ろし、焼き場の係員が幼子を焼いたという。つまりこの幼子は既に亡くなっていたらしい。

1945年8月9日長崎原子爆弾の炸裂直後にこの幼子が亡くなっていたならば、数週間経過してから日本を訪れたジョー・オダネルがこの写真を撮ることはなかったであろう。よってこの幼子は放射線降下物等による放射線障害健康したなどの理由で、原爆投下よりある程度日数が経過してから亡くなったものかと思われる。しかし詳細は不明である。

被写体となった少年であったのかは判明していない。それを突き止めようと調した人が「学校同級生だった○○○○かもしれない」という言を得た例はあり、「この○○○○氏がこの少年だった」とられることもある。だがその○○○○氏はこの写真について言及することないままに既に亡くなっているようであり、本当にそうだったのかどうかの確認は困難であろうかと思われる。

著名人の言及

見るものの心を揺さぶる写真であるため、複数の著名人もこの写真について言及している。

美智子皇后

2007年には当時の日本皇后であった美智子皇后が、自身の誕生日に寄せられた記者会からの質問「この1年内外で起きたことで,皇后さまにとって特に印に残ったことをお聞かせください。」に対して5つの「印に残ったこと」を回答したが、その中の一つがこの写真に関するものであった。[1]

今年8月新聞に,原爆投下後の広島長崎を撮した米国の元従軍カメラマン死亡記事と並び,作品の一つ,「焼き場に立つ少年」と題し,死んだ弟を背負い,しっかりと直立姿勢をとって立つ幼い少年の写真exitが掲載されており,その姿が今もに残っています。同じ地球上で今なお戦乱の続く地域の平和回復を願うと共に,世界各地に生活する邦人の安全を祈らずにはいられません。

フランシスコ教皇

ローマカトリックの教皇であるフランシスコは2017年の末に、この写真が印刷され「... il frutto della guerra」という言葉とともに自らのサインが入ったカードを配布した。この言葉は直訳すると「戦争からの果実」、すなわち「戦争がもたらすもの」という意味である。[2]そして「このような写真1000の言葉よりも人の心を動かす」と、この写真を配布した理由をったという。[3]

2019年にはフランシスコ教皇が長崎広島を訪問して核絶を訴える演説などを行ったが、長崎での演説の際にはこの写真が印刷されたパネルが付近に置かれたという。[4]

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関連リンク

関連項目

脚注

  1. *皇后陛下お誕生日に際し(平成19年) - 宮内庁exit
  2. *Il Papa: in una foto scattata a Nagasaki nel 1945 “…il frutto della guerra” - Vatican Newsexit
  3. *Hiroshima e Nagasaki: il frutto della guerra - Vatican Newsexit
  4. *ローマ教皇と対面 焼き場に立つ少年 撮影者の息子「父も喜んでいる」 | 長崎新聞exit
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掲示板

  • 3 ななしのよっしん

    2021/08/11(水) 18:00:35 ID: 3LQGbSAXN3

    昔から印的な写真だったけど、記事読んで写真開までの経緯とかも知れてよかったわ
    から40年以上を経て、ようやく世の知るところとなったんやな...
    それほど、WW2がショッキングなできごとだったということか...その重みを感じる

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  • 4 ななしのよっしん

    2021/11/07(日) 11:49:49 ID: Wax+ujFbML

    >>1はもはやギャグだろw

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  • 5 ななしのよっしん

    2022/08/08(月) 06:30:56 ID: nVX110eIEA

    なるほど、勝てば問題ないというわけか
    だが自衛隊の予算を増やしても軍事オン外交オンチの自が采配振るってたら勝てそうに思えない
    そして、結局は勝っても犠牲者は多数出るのだよな

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