第四三駆逐隊(だいよんじゅうさんくちくたい)とは、旧日本海軍の部隊の一つ。
編成は1944年~45年の一度限り。主に横須賀鎮守府籍の松型駆逐艦(橘型を含む)で編成されている。なお、本記事中では海軍艦艇類別表に準じ「松型駆逐艦」表記で統一する。
所属駆逐艦 | ||
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型 | 艦名 | 転入出・損失 |
松型駆逐艦 | 松 [II] | 1944.8.4 戦没 |
松型駆逐艦 | 竹 [II] | |
松型駆逐艦 | 梅 [II] | 1945.1.31 戦没 |
松型駆逐艦 | 桃 [II] | 1944.12.15 戦没 |
松型駆逐艦 | 槇 [II] | 1944.9.30 編入 |
松型駆逐艦 | 桐 [II] | 1944.10.10 編入 |
松型駆逐艦 | 榧 [II] | 1944.10.25 編入 |
松型駆逐艦 | 蔦 [II] | 1945.4.20 編入 |
松型駆逐艦 | 椎 [II] | 1945.5.20 編入 |
1944年7月15日、第十一水雷戦隊に所属していた松型駆逐艦松(舞鶴籍)・竹・梅・桃(舞鶴籍)により第43駆逐隊が編成された。(特に注のない編入艦は横須賀鎮守府籍の松型駆逐艦である)
8月4日、書類上の僚艦とは別行動で3729船団護衛任務中米艦隊と刺し違えて松が戦没(スカベンジャー作戦)。
8月20日、残る竹・梅・桃による43駆は、第三水雷戦隊残存艦艇及び海防艦・基地航空隊等により新たに編成された第31戦隊に編入。
9月30日、槇を編入。10月10日、桐を編入(同時に松除籍)。竹・梅・桃はそれぞれ輸送任務等に従事、槇・桐は31戦隊臨時旗艦大淀・52駆桑・杉と共に小沢艦隊に属しレイテ沖海戦(エンガノ岬沖海戦)に参戦した。10月25日榧(舞鎮籍)を編入。海戦後、槇は桑に救助された瑞鳳生存者を受け取り奄美大島に向かった。その後本土に戻り修理。隼鷹隊(隼鷹を基幹とする輸送部隊)に属す。佐世保入港直前にウルフパックに襲われ、槇は隼鷹を庇い艦首で敵魚雷を受け艦首損壊になるも隼鷹を身を挺して守った。20年3月15日まで三菱長崎造船所にて修理。
11月9日、竹は多号作戦第三次輸送部隊に属し出撃するも、入れ違い退却中の第四次輸送部隊の艦と交代してマニラに帰投した。一方の梅・桃は竹新艦長と共にH部隊(第四航空戦隊日向・伊勢を基幹とする輸送部隊)に属し、15日にマニラを脱出した第一水雷戦隊(戦没した那智に搭乗していた第五艦隊司令部便乗)と合同していた竹と合流、竹新艦長は梅から竹に移った。竹は再びマニラに戻り第五次・第七次多号作戦に従事、一方の梅・桃は20日まで大和・長門・金剛の帰還護衛に加わった後馬公に帰投。桐は榛名本土帰投護衛(馬公まで)の二水戦霞・初霜の護衛に加わり、榛名が隼鷹隊(前述)に移動後彼らと別れ再びマニラに向かう。榧(舞鎮籍)はヒ83船団(門司発。海鷹・卯月・夕月ら)出発当日の11月25日43駆に編入。高雄で船団と別れマニラに向かう。
12月、第7次多号作戦を終えた竹は損傷が激しく、本土に帰投し修理に入った。一方の梅・桃は52駆杉と共に第8次多号作戦に参戦。入れ違いに桐は30駆卯月・夕月らと第9次多号作戦に参戦。桐は航行不能となった夕月から30駆司令・夕月艦長らを移乗させ処分した。呉に戻り修理。12月15日、前日のマニラ湾空襲により損傷した梅から菅間司令が榧に移乗。空襲を逃れるため香港に移動中だった梅・桃だったが、桃が米潜ホークビルの雷撃により戦没(20年2月10日除籍)。43駆司令艦榧が52駆杉・樫を指揮する形となった。この3隻が12月26日の礼号作戦に加わり(但し20日に菅間司令はサイゴンの病院に入院し、榧艦長が司令代理)、2駆清霜を失うも作戦は成功した。
20年1月9日、香港で修理中の梅を司令艦とし、2代目司令として吉田正義大佐(風雲駆逐艦長等を歴任)が着任した。15日修理を終え台湾高雄へ。52駆杉・樫とも合同した後、両艦が本土に下がることとなり、入れ替わりに同52駆楓及び峯風型汐風(当時1駆)らによりフィリピン方面への輸送任務に就いたが米軍機による空襲を受け梅は航行不能となり、吉田司令らは汐風に移乗後処分戦没。司令艦は榧となる(1月9日に舞鶴着。修理中)。本土に戻った吉田司令は3月1日に41駆司令に転任する。(冬月に搭乗し坊ノ岬沖海戦に参戦する。)
同日、作間英邇大佐(綾波・玉波駆逐艦長等を歴任。前任冬月駆逐艦長)が43駆司令に着任。31戦隊旗艦花月、43駆槇・榧は坊ノ岬沖海戦に参戦する第一遊撃部隊の前路対潜哨戒任務に就く。第一遊撃部隊からの帰還命令により豊後水道にて第一遊撃部隊と別れる。
その後一部所属艦は回天母艦になるも最早訓練に用いる燃料にも事欠く状況となり、偽装係留して艦を温存することとなり、終戦を迎えた。
終戦後、竹・槇は復員輸送に従事後イギリスへの賠償艦に、桐は賠償艦としてソ連に、榧・椎は復員輸送に従事後ソ連に、蔦は復員輸送に従事後中国(中華民国)に賠償艦として譲渡された。
時期 | 名前 | 備考 |
---|---|---|
1944.7.15 | 菅間良吉 中佐(海兵50期) | 1944.10.15大佐昇進 |
1945.1.9 | 吉田正義 大佐(海兵50期) | |
1945.3.1 | 作間英邇 大佐(海兵50期) |
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最終更新:2024/11/08(金) 16:00
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