赤川克紀(あかがわ かつき、1990年7月31日-)とは、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(投手)である。
OB | |
---|---|
赤川克紀 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 宮崎県宮崎市 |
生年月日 | 1990年7月31日 |
身長 体重 |
184cm 87kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 左投左打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2008年ドラフト1位 |
引退 | 2015年 |
経歴 | |
選手歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
地元の宮崎商業高校で1年からエースとして活躍、1年次にいきなり30イニング無失点・46奪三振という数字をマークしてスカウトの注目を集める。3年次にはチームを甲子園出場に導き、高校生トップクラスの大型左腕として2008年のドラフト会議で東京ヤクルトスワローズに1位で指名され入団。背番号47。
1年目の2009年から一軍初登板を果たすが、1死もとれずに3失点という苦い一軍デビューになった。
2010年は夏場に一軍で初先発のチャンスを得るが、6回途中4失点で敗戦投手となり、一軍登板はこの1試合に留まった。
2011年は夏場まで主にリリーフで投げていたが、先発陣に故障者が相次いだため、8月18日の横浜ベイスターズ戦に6回途中無失点でプロ初勝利を挙げる。以降ローテーション入りを果たすと好投を続けて勝ち星を重ね、9月25日の中日ドラゴンズ戦では、完封こそ目前で逃したものの首位攻防4連戦4連敗を回避する初完投勝利でチームの窮地を救った。9月は月間4勝をマークするなど、最終的に23試合に登板(先発13試合)、6勝3敗、防御率2.03の好成績を残す。
クライマックスシリーズでも、1stステージの第3戦に先発し7回途中無失点の好投で勝ち投手となり、チームをファイナルステージ進出へ導いた。ファイナルステージ第4戦では初回に打ち込まれ敗戦投手となる。
2012年は開幕を一軍で迎え、先発ローテーション入りした。4月21日の読売ジャイアンツ戦でプロ初完封を達成するなどローテーションで投げ続け、前半戦で5勝を挙げオールスターに監督推薦で出場。第3戦で3回をノーヒットに抑える快投で、SKYACTIV TECHNOLOGY賞をゲットした。後半戦もローテーションを守り、規定投球回数に到達。28試合で8勝9敗、防御率3.79の成績を残した。
2013年も開幕ローテーション入りしたが、投球内容は全く振るわず5月に二軍落ち。7月に復帰したがやはりダメで、再び抹消されるとそのまま一軍に戻ることはなく、9試合で0勝5敗、防御率6.98と散々な成績に終わった。
2014年は中継ぎとして登板したが、14試合の登板で防御率7.45、25失点と課題を残した。
2015年は一軍での登板がなく、二軍でも防御率7点台という成績に終わり、戦力外通告を受ける。「もう野球はやりません」とコメントし、トライアウトも受験せず現役を引退した。
その後は都内で一般企業に就職し、軟式野球のクラブチーム・東京バンバータに所属しプレーしている。
ニックネームは「ジャイアン」だが、性格が真逆なため本人はあまり気に入っていないらしく、ドラえもんより魔女の宅急便が好きだとか何とか。「のほほんとして緊張感がない」とは荒木大輔コーチの弁。
水野祐希のブログに、中村悠平と裸でベッドインしている写真が掲載されアッーな意味で話題になったことがある。写真自体はただのネタだったのだが、東スポに記事にされてしまい色々大変だったそうな。
通算:6年 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 76 | 51 | 3 | 1 | 14 | 20 | 0 | 0 | .412 | 319.2 | 127 | 202 | 160 | 148 | 4.17 |
掲示板
急上昇ワード改
最終更新:2024/03/29(金) 03:00
最終更新:2024/03/29(金) 03:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。