高崎白衣大観音とは、群馬県高崎市の高崎観音山の山頂にある白衣観音像である。
「高崎観音」、「観音様」、「白衣観音」等と略して呼ばれることが多い。
日本の「登録有形文化財」に指定されている。
1936年、井上保三郎が私費を投じて建立された。
三十三観音の一つ、白衣(びゃくえ)の仏像である。
高さ41.8m、重さは5985tと、白衣観音としてはかなり大きなものである。
それ以上の白衣観音としては100mの大観密寺(仙台大観音)が有名。
建立工事費は当時の金額で約16万円と述べる記事もあるが、公式サイトでは公表されていない。
ただし、改修費用についてはネット上で高崎市立中央図書館からの回答
を見ることができる。
群馬県の名物「上毛カルタ」では【ひ】の札として採用されており、「白衣観音 慈悲の御手」と紹介されている。
なお、読み方としては元となった白衣から、「ビャクエダイカンノン」が正しいと思いきや、「ビャクイダイカンノン」でも正しいようで、発音のしやすさからか「ビャクイ」の発音をよく聞き、上記の上毛カルタでは「ビャクイカンノン」と読まれるのが一般的。
標高190mとそれほど高い山ではないが、周囲に特に高い山もないため、その頂上にそびえ立つ41.8mの仏像は非常に目立っている。
元々、観光スポットとして建てられたためか、仏像の中には300円(中学生以下100円)で入場することが可能となっている。
若干行きづらい位置ではあったが、近年では「高崎市内循環バスぐるりん」が通るようになったため、かなり行きやすくなった。
1961年から遊園地「カッパピア」(改名前は「高崎フェアリーランド」)が存在していたが、経営悪化により2003年で閉園している。
閉園後、跡地の大部分は長らく放置されていたが、放火事件を機に高崎市が買い取り整備されることとなった。
その後、2016年「観音山公園」としてドイツのケルナー社の遊具を使用した「ケルナー広場」が先駆けて開園される。
2017年には「観音山公園プール」も開場され、2018年に「ケルナー広場」がさらに拡張された。
元は高野山にあった高野山真言宗の寺院だが、1941年に高崎に移転となった。
高崎白衣大観音の管理も行っている。
高崎山の麓にある神社で、1941年創建となった。
明治維新~第二次世界大戦までの戦死者4万7千274柱を祀っている。
高崎観音山麓にある寺で、808年に京都の清水寺から勧請して建立される。
征夷大将軍坂上田村麻呂が、蝦夷征伐の兵士の健勝と武運長久を祈り勧請したとされる。
なお、「高崎観音山」の由来は清水寺の千手観音から来るとされており、高崎白衣大観音の建立前から呼ばれていた。
| 年数 | 出来事 |
| 808年 | 高崎観音山麓に「清水寺」が建立される。 |
| 1919年 | 周辺施設、「洞窟観音」着工開始 |
| 1936年 | 高崎観音山頂上に「高崎白衣大観音」が建立される。 |
| 1937年 | 高崎観光協会が設立。観光地化計画の始動。 |
| 1938年 | 井上保三郎から高崎市へ「高崎白衣大観音」が寄付される。 |
| 1941年 | 「慈眼院」が観音像周辺に移転、高崎観音山麓に「群馬県護国神社」が創建される。 |
| 1961年 | 周辺施設、遊園地「高崎フェアリーランド」が開園される。 |
| 1964年 | 周辺施設、「洞窟観音」完成。 |
| 1969年 | 周辺施設、遊園地「高崎フェアリーランド」が「カッパピア」に改名。 |
| 1985年 1986年 |
白衣大観音建立五十周年記念事業として、大改築を実施。 工事費は約6300万円 |
| 1994年 | 周辺施設「高崎市染料植物園」が開園される。 |
| 1995年 1996年 |
コンクリートの一部が剥落する事故が発生、大修理が行われる。 工事費は約1億600万円 |
| 1997年 | 観音山キャンプパーク完成。 市内循環バス「ぐるりん」運行開始。 |
| 1998年 | 「たかさき都市景観賞」受賞。 |
| 2000年 | 日本の「登録有形文化財」に指定。 |
| 2003年 | 「カッパピア」が閉園。 |
| 2007年 | 「カッパピア」跡地が放火により大炎上。 |
| 2010年 | 高崎市が「カッパピア」跡地の整備を開始。 |
| 2016年 | 「カッパピア」跡地が「観音山公園」として開園される。 |
| 2017年 | 「観音山公園」に「観音山公園プール」が開場される。 |
| 2018年 | 「観音山公園」の「ケルナー広場」が拡張される。 |
掲示板
1 ななしのよっしん
2019/02/16(土) 16:37:09 ID: ey7gHMgTzQ
2 ななしのよっしん
2024/09/17(火) 11:59:22 ID: HOlFMlv4Tk
そもそも井上保三郎が、なぜ観音像を建てようと考えたのか
きっかけとなったのは昭和9年(1934年)の陸軍特別大演習で、昭和天皇が高崎市まで行幸してきたことにある
この時の行幸では、井上保三郎が地方財界人として、昭和天皇に単独拝謁の栄誉を賜り、感激した保三郎は白衣大観音建立を発願、2年後に完成開眼したものの由
ついでに、50年後の高崎観光協会の理事の語るところ、「昭和の行幸は素晴らしい文化と観光の遺産を残してくれました。行幸とは或る意味で大変有意義だったと言えましょう」
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/12(金) 11:00
最終更新:2025/12/12(金) 11:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。