133
31 ななしのよっしん
2014/04/19(土) 18:54:53 ID: c3uH8+bRMH
あと活躍も多く地位もかなり高かったのに名将言行録に逸話が載ってないんだよな
32 ななしのよっしん
2014/04/25(金) 19:07:21 ID: 1x3iTKC+kx
調べれば調べるほど
石田に足りない能力を持っていった感じがさらに惜しくなる。(石田が無能というわけでは決してない)
33 ななしのよっしん
2014/04/26(土) 20:23:54 ID: c3uH8+bRMH
34 ななしのよっしん
2014/06/06(金) 10:55:19 ID: 1x3iTKC+kx
石田も秀長もTOPの才能ではなくて
王佐の才って感じはしたねぇ、いろんな逸話聞いてると
二人共晩年の秀吉には苦労しただろうな……
35 ななしのよっしん
2014/09/07(日) 09:25:55 ID: TVoI0W0/bb
寧々ですら止められなかった秀吉の暴走をはたして秀長が止められるものかねぇ
過去の過失を蒸し返されていいがかり同然の理由で秀次諸共親類縁者皆殺しなのが関の山な気がする
36 ななしのよっしん
2014/09/07(日) 10:34:52 ID: XNyVhuNLsW
37 ななしのよっしん
2014/09/09(火) 17:37:01 ID: TVoI0W0/bb
豊臣家が生き残る道って、秀頼が生まれる前に秀吉か淀君が死ぬっていう極論しか残ってない気がする
38 ななしのよっしん
2014/10/12(日) 21:01:40 ID: BJoufYfp85
>>3
思えば秀長って地味に戦将としても生涯無敗な気がするんだよな。
勿論、戦略家あるいは戦術家として優れていたと言うよりは徹頭徹尾、段取りの達人だった点が大きいのだろうとは思うけど、秀吉に迎えられた当初「わしに戦が出来ようか・・・」などと弱気な態度を取っていたとは思えない活躍ぶりを見せているのも確かだし。
39 ななしのよっしん
2014/10/13(月) 05:11:57 ID: DRMQlKkve6
>>37
普通に子供が3人以上いれば良かったと思う
秀頼だって実の子か怪しいし
40 ななしのよっしん
2014/10/24(金) 22:24:45 ID: TVoI0W0/bb
大和大納言亡き後の豊臣の政治は無道でしかない、ということは戦国ファンの多くが唱えることである
41 ななしのよっしん
2015/03/23(月) 01:33:28 ID: U80/RMNIf/
まあ、秀長の生前と死後で秀吉の言動が一変するってのは否定しようがないな
寧々さんにも止められないものを止められるか、と言えば、
「この史実からすると止められるんじゃね?」としか言えない
秀長の死ってのは、秀吉にとって何らかの意味で致命傷だったのかもしれないね
42 ななしのよっしん
2015/05/16(土) 12:53:23 ID: xOmfkqLE5q
子供なら三人以上いたじゃないか
養子だけど
自分の血筋かわいさで自爆する方向に向かったのは他ならぬ秀吉
43 ななしのよっしん
2015/05/16(土) 23:52:47 ID: qT8y9RZtmW
>>41
・秀長と秀次の関係は良好
・晩年の秀長は一時期金銭的な問題で秀吉との仲が険悪になっていた
・畿内に100万石以上の領土を持ち、血筋も秀頼を除けば秀吉に一番近い男である=秀吉死後の天下人最有力候補
どう考えたってたとえ長生きしても秀長は秀吉存命のうちに難癖付けられて秀次もろとも一族郎党皆処刑されていただろう
44 ななしのよっしん
2015/06/13(土) 17:16:38 ID: VC9lJIisA6
45 ななしのよっしん
2015/06/13(土) 19:54:23 ID: U80/RMNIf/
>>43
そりゃ秀長が最初から秀吉の右腕じゃなくてただのライバルだと仮定すればその通りだろうけど、
ここまでの話から明らかなとおり、そんな仮定にはなんの証拠もない
大事なのはそんな仮定じゃなくて、秀吉晩年の変化をどう説明するか
46 ななしのよっしん
2015/06/14(日) 06:44:36 ID: DRMQlKkve6
そもそも豊臣家は徳川に滅ぼされたんであって
自滅したわけではないからなあ
秀頼が無能だったかっていうととんでもなくて
実際は秀吉と似ても似つかぬ大男で
その見た目もあって求心力もそれなりにあった
現に関が原以降も豊臣家自体は何事もなかったように実権を持ち続けている
結局家康という反乱分子が居続けるかぎり
いつかは内部分裂が起こされていたと思う
それこそ秀吉自身が健在であったとしても
47 ななしのよっしん
2015/06/30(火) 08:50:41 ID: 4Q08IG1e5o
まぁ家康も一時期 徳川と豊臣の共存も模索してた時期もあったんだけどね
老い先短くなった上に実物の秀頼に謁見して威風堂々とした将器とそれを慕う大名達と担ぎ上げようとする反乱分子を見た事により豊臣潰しを決意したってのは何かマジっぽい
秀吉は信頼する弟の死と溺愛する母の死と老い先短くなったせいで
晩年の政策は明らかに焦りが見えるような精細さを描いてる気が
48 ななしのよっしん
2015/06/30(火) 10:03:33 ID: 80eyj5E2/H
>>46
秀吉死後の豊臣がまともに実権を保持し続けてたらそもそも関が原が起こってないんだよなあ。
49 ななしのよっしん
2015/06/30(火) 19:58:57 ID: U80/RMNIf/
>>48
秀頼公7歳より家康57歳の方が老練であった、だから関ヶ原が起こった
それは間違っちゃいないが、そんなことを証明してどうするんだ?
50 ななしのよっしん
2015/06/30(火) 22:11:22 ID: DRMQlKkve6
>>48
なんでそう言い切れる?
51 ななしのよっしん
2015/07/04(土) 09:39:25 ID: xOmfkqLE5q
関ヶ原は三成が家康の背後を襲ってはじめた奇襲戦な
「あの時点での」徳川に豊臣方と戦闘する意思なんぞなかった
秀頼をほめる際に「体格」だの「風格」だの「覇気」だの割とどうでもいい文言しか出てこないあたりはお察し
彼我の戦力差もロクにわからず徳川にケンカ売るくらいだし能力的なものをほめる要素が存在しない
足利義昭のほうが千倍聡明
52 ななしのよっしん
2015/07/04(土) 12:11:36 ID: U80/RMNIf/
まあ、秀頼と家康のどっちが有能だったかなんてわからんわなw
史実で分かるのは、
・57歳の家康は7歳の秀頼より有能だから関ヶ原で勝てた、7歳じゃ総大将はできんだろw
・大坂の陣で家康は秀頼に勝てた、全国の30万の軍勢があるんだから、秀頼個人の力量なんて問題になんねw
まして義昭との比較なんて、いったいソースをどこから持ってくるんだ?
「秀頼は有能か?」ってだけならソースはある
『豊内記』によれば「礼を重んじて義を行い、聖賢の風を慕い凶邪の念を去り、私欲を哀れんで民を哀れ」んだ云々
この先は秀頼記事でよろしく
53 ななしのよっしん
2015/08/06(木) 11:47:17 ID: zJHxjL6GZV
なぜ関ヶ原が秀頼vs家康になってるんだw あれは豊臣政権内での内ゲバにただならない
まあでも秀長が死んでなくともどうだろうなあ 秀吉の征明観やらで揉めそうな気がするなあ。たとえ寿命が長くても秀頼が産まれると結局秀次や利休みたいな運命にあったのかもしれんね。
彼に二心がないのは明白で、秀吉にとっても政権内で唯一に近い肉親幕僚とはいえ、晩年の秀吉の狂気はすさまじいからなあ。
54 ななしのよっしん
2015/08/15(土) 07:57:20 ID: OXd5t4FZtZ
源義経「天下人の弟という時点で死亡フラグだよなー」
足利直義「お前は大概自業自得だと思う」
55 ななしのよっしん
2015/11/08(日) 13:39:50 ID: Ge8Q3M7m71
秀長の子の秀保も秀吉から厚遇されてたから、秀吉は大和大納言家を前田家や宇喜多家と並ぶ豊臣の藩屏にするつもりだったんじゃないかな
秀保は血統的に秀吉の後継者に据えられてもおかしくなかったが、秀吉がそうしなかったのも、頼りになる親藩を残す意図があったことを示しているのではないかと
ただし大和大納言家を秀長の血統以外に継がせるつもりはなくて秀保の死後に解体したのでは
56 ななしのよっしん
2015/12/25(金) 22:48:08 ID: mTcThO62CV
德川埋蔵金とともに、豊臣の埋蔵金200兆円、なんて話
もあって、実は、秀長がこっそり貯めてたのかも知れんね。
57 ななしのよっしん
2016/04/05(火) 17:35:56 ID: NTs0SPerkf
なんというか逸話に乏しくてあんまり優秀とも思えんのだけど
何がどうなって秀長が存命なら豊臣は存続していたなんて言われる様になったんだ
点数つけるなら60点くらいの人としか思えないんだけど
58 ななしのよっしん
2016/04/06(水) 01:40:04 ID: uhB977g/hs
別にみんな、おまえさんを納得させるために歴史話してる訳じゃないんでな。
59 ななしのよっしん
2016/04/06(水) 03:53:59 ID: U80/RMNIf/
逸話が乏しいと評価するなら、君には評価や批判をする材料が乏しいということになる
それなのに60点なんて根拠の乏しい恣意的な評価付けをしちゃ駄目だ
60 ななしのよっしん
2016/04/10(日) 05:45:40 ID: 6f7c0K2Q2D
創業者の最も近い血縁者の、戦績的にも豊臣家最強の常勝将軍で、100万石以上の領地をあたえられた家中最大大名。
幼君の後見任せるには大きすぎる危険な相手だと考えてもおかしくはないポジションではあるな。
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