ガルカドール(Galcador)とは、1947年生まれの
フランスの競走馬である。栗毛の牡馬。
1949年:サン・フィルマン賞
1950年:ダービーステークス、ダフニス賞
父Djebel、母Pharyva、母父Pharosという血統。
父はデッセ賞(現:プール・デッセ・デ・プーラン)、2000ギニーステークス、凱旋門賞などの優勝馬。
母は(おそらく)1戦未勝利。
父母ともにフランスの名馬産家マルセル・ブサック氏によって生産された。そしてガルカドールもブサック氏の自家生産馬である。
その後ガルカドールは元騎手のシャルル・サンブラ調教師の元で訓練を受けた。
ガルカドールは10月のロンシャン競馬場で1000mのサン・フィルマン賞に勝利した。
3歳緒戦は1600mのダフニス賞となったが、ここを楽勝し、ブサック氏によるクラシック有力馬と評されるようになった。
5月14日のロンシャン競馬場でのプール・デッセ・デ・プーラン(仏2000ギニー)に出走し、ここではのちに凱旋門賞連覇を果たすことになるTantiemeとの叩き合いとなったが、半馬身差競り負け2着に終わった。
その約2週間後の5月27日、エプソム競馬場のダービーステークスにオーストラリア出身のライ・ジョンストン騎手で出走した。25頭立ての中でガルカドールは11:1(12倍)のオッズだった。
レースではPewter Platterが逃げを打ったがやがてPrince Simonが先頭に立ち、ガルカドールはそれを見る4番手でレースが進められた。直線に入りPrince Simonはよく粘ったが残りの1ハロンでガルカドールはそれを捉え1馬身差でゴールした。手にしたダービーステークスの1着賞金17,010ポンドは当時の最高額であった。
ジョンストン騎手はガルカドールを「本質的にマイラー」と評価した。
そしてその後脚部不安で引退した。通算成績4戦3勝。
タイムフォーム誌は1950年のレーティングではガルカドールは133とし、トップのTantiemeとは3ポンド差だった。
ガルカドールは1951年から1959年までブサック氏の元で供用されたが殆ど活躍馬を出すことはできなかった。そして日本に輸入され、1960年から供用されることとなった。
日本で英国ダービー馬が供用されるのは*パールダイヴァーに次いで2頭目だったこともあって大変重用されると思われたが、それが悲劇のはじまりだった。
ガルカドールの担当厩務員は英国ダービー馬を担当するとのことで他の厩務員からやっかみをうけていじめをうけることになった。そのしわ寄せとしてガルカドールは厩務員から虐待を受けることになってしまったのである。ガルカドールはついには発狂してしまったという。
ガルカドールは1970年に日本で死亡した。数少ないながらも重賞馬を送り出したことが些細な救いだろうか。
| Djebel 1937 鹿毛 |
Tourbillon 1928 鹿毛 |
Ksar | Bruleur |
| Kizil Kourgan | |||
| Durban | Durbar | ||
| Banshee | |||
| Loika 1926 栗毛 |
Gay Crusader | Bayardo | |
| Gay Laura | |||
| Coeur a Coeur | Teddy | ||
| Ballantrae | |||
| Pharyva 1936 鹿毛 FNo.9-e |
Pharos 1920 黒鹿毛 |
Phalaris | Polymelus |
| Bromus | |||
| Scapa Flow | Chaucer | ||
| Anchora | |||
| Souryva 1930 栗毛 |
Gainsborough | Bayardo | |
| Rosedrop | |||
| L'Esperance | Pommern | ||
| Zariba | |||
| 競走馬の4代血統表 | |||
クロス:Bayardo 4×4(12.50%)、Polymelus 4×5(9.38%)
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最終更新:2025/12/27(土) 09:00
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