スーザ 単語


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スーザ

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→ジョン・フィリップ・スーザ、John Philip Sousa ジョン・フィリップ・スーザのお絵カキコ

スーザ(1854~1932年)はアメリカ作曲者で揮者。多くの行進曲製作したことからマーチと呼ばれているが、オペレッタなどの劇伴もいくつかかいている。

概要

スーザは1854年、ワシントンD.C.で生まれる。幼い頃から祖父の進めによってバイオリンを学び、絶対音感があると判ってからは専門的な音楽教育を受けることになる。13才になると父親トロンボーン奏者を務めるアメリカ海兵隊楽団へと入団し、5年間見習いとして音楽を学んだ。その後の2年は奏者を務めた。

20歳頃に海兵隊楽団を退団すると、5年ほど各地のオーケストラバンドを転々とした。その間に結婚し、生活の安定をめるため海兵隊楽団に揮者として復帰する。また復帰とほぼ同じくして団長に昇任し、1892年に独立するまでの12年間、海兵隊楽団を率いた。

独立する前の1889年、海兵隊楽団の団長という理由から新聞社のワシントンポスト社に表式で使う行進曲作曲依頼された。このとき作った行進曲ワシントンポスト」が高い評価を獲得し、作曲としての才が評価され始めた。ちなみに最初に海兵隊楽団を退団した頃には既に行進曲作曲を行っていたが、その頃の曲はあまり有名にはならなかった。

独立してからは自らが揮を取る形でスーザ吹奏楽団を組織。第1次世界大戦アメリカ参戦期間中を除いて、1932年に亡くなるまで楽団の揮を続けていた。演回数はおよそ1万5600回。1900年パリ万博ではシャンリゼ通りで演奏したのをはじめ、1931年までオーストラリアハワイなど世界中で巡業を行った。第1次世界大戦中は海軍少佐として海軍楽団を揮。彼は戦闘員ではなかったためか、給料のほとんどを兵・兵基金へと寄付した。大戦後海軍制服を着用して各地を回った。

揮者、作曲として名を獲得したスーザは多くの特技を持っており、術やクレー射撃で優秀な成績を残した。またチーズの鑑定人の資格を持っていたり、小説を3冊も出版するなど多な人であった。フリーメイソンにも所属していた。

また彼は蓄音機レコード)に対して批判的で、連邦議会聴会では演奏者にとっての多くの問題点、脅かされる権利について摘した。その時の演説著作権法の制定に(権利を守る面で)大きくしたとされている。それでも彼は時代の流れに逆らうことの意味さも把握しており、1929年にはラジオ放送のための収録に参加した。

代表的な行進曲

 

 

日本での印象

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